第四話



 ―――財布にわずかばかり残っている金で、適当に切符を買い、列車に乗り込みました。あらかじめ買っておいたウイスキーと睡眠薬をたずさえて。




 そして二時間ほど鈍行に揺られ、この麓の駅で降り立ちました。山なら人に迷惑をかけず死ぬところなど、いくらでもあるだろう―――と。



 夏の名残を感じさせる強い日射しと、初秋の涼やかな風がまじり合う、ちょうど今ごろの季節です。



 この山をじっくり夕方ぐらいまでかけて登り、死に場所となる場所を探そうと、麓から山頂を見上げたのを覚えています。



 晩夏とはいえ、夜は冷えます。ゆっくりとウイスキーと睡眠薬を飲み、どちらとも一瓶を飲み尽くした頃には意識も朦朧として眠ってしまうだろう。

 そうすれば、この世のわずらわしい一切の事は無になってしまう。

 死んでからどこにいくのか、どうなってしまうのか――。そんな事は気にもならなかった。きっと全てがもう、どうでもよかったのでしょう。


 

 ゆっくりと時間をかけて登り、山の中腹あたりで――手ごろな場所を見つけました。

 勾配がほとんどなく樹々が鬱蒼と生い茂り、それがどこまでも続くように見える様は、どこか樹海を彷彿とさせました。



 ここが死に場所だ―――そう決めました。



 地べたに座ると、雑草や苔が含んだ水分が、ズボン越しに伝わってきて、妙に心地よかったのを覚えています。



 やがて辺りも暗くなり、月も姿を出し始めた誰もいない山中で、一人ウイスキーを飲みながら自分がこの世にいるのもあと数時間かと思うと、なにか不思議な気分に包まれました。時折、どこからか虫の鳴く声が妙に大きく響いていました。



 未練はなかったです。子供の頃からつい最近のことまでが色々と思い出され、唯々すべてが懐かしかった。

 思い出話というのは、誰かと話してこそ、過去を現実にあった事として実感できるのかもしれません。

 幾つかの思い出が、あれは現実にあった事なのだろうかと自信がなくなる、そんな奇妙な感覚に捉われました。

 いや、いいかげん酔いも回ってきてる頃でしたから、そんな風に感じたのかもしれませんね。



 ―――そんな事を思っていると、あたりはもうすっかり暗くなり、鮮やかな月が出ていました。この世での見納めにふさわしい美しい月が――。




 

 その時―――、視界の隅で動くものが目に入ったのです。


 女性でした―――。


 すっかり日も落ち、暗くなった山中を一人でふらっと歩いているのです。

 

 

 後ろ姿でしたが、若く、そして肉感的な―――。


 

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