第7話 地獄に咲く花

 一夜(?)のうちに咲いていた花は、酷寒の中に灯った小さな炎のようだった。


(可愛い……見ているだけで、温かいような……!)


「お前の仕業ではないのか」


 思わずほうと溜息をついたティルダは、ジュデッカの腕で思い切り揺さぶられた。死んだ彼女は軽くなってしまったのか、ジュデッカの力が強いのか。歳相応の体格のはずのティルダをぶら下げ続けて、彼の腕が緩む気配はない。精一杯、首を捻って見上げた彼の顔も氷の彫刻のようで、汗のひとつも見えなかった。くっきりと眉間に刻まれた皺が、彼も生きた感情のある存在なのだと教えている。


「あの、寂しいところだからお花でも咲いていれば、とは確かに思ったのですけど……」


 彼女自身に非があるなら、もちろん平謝りするしかなかった。何といっても彼女は地獄に堕ちた罪人で、ジュデッカはこの場所の番人──つまりは看守のような役目なのだろうから。でも、花については心当たりがないからそうと言うしかない。


「私、花を咲かせたことはないと、思います。ええと、生きていたころも……」

「……そうか」


 言い訳をするな、と怒鳴られたらどうしよう、と思っていた。でも、ジュデッカはティルダを疑わしそうに頭のてっぺんから爪先までじっとりと眺めはしたけれど、それ以上は言わなかった。代わりに、彼女を床に投げ出して──昨日と同じだ──、彼は荒い足取りで不思議な花の方に向かう。黒い手袋に包まれた手を伸ばす動作には遠慮がなくて、とても花を愛でるとかそっと摘み取るつもりには見えない。


「抜いてしまうのですか!?」

「コキュートスには不要のものだ」


 思わずティルダが叫ぶと、氷の眼差しでぎろりと睨まれた。地獄に花が咲くなんて、おかしいのは分かる。罪人の身で、美しさや慰めを求めてはならないのも。でも、せっかく咲いた花が無残に折られるのは見たくなかった。なぜか、そう強く思ったのだ。


「で、でも……花には罪はないのでは……!?」

「罪人が俺に意見するな」

「でも、あの──」


 ジュデッカが聞く耳を持たないのは明らかだった。彼の言葉だけでない、ティルダの馘に絡んだ鎖が不穏に鳴って蠢いて、彼女の声を封じてしまう。呼吸はしていなくても、鎖が纏う冷気が喉に巻き付いて締め上げてくると、痛みと苦しさが襲う。


(凍ってしまう……!?)


 これが多分、コキュートスの番人の本当の力だ。罪人が分を越えれば罰が与えられるのだろう。手足の鎖も締め付けを増しているから、全身が動かなくなるのもすぐだろう。ティルダが力なく目を閉じようとした時──でも、おっとりとした声が割って入る。


「ですが、ティルダの言うことももっともかと。主の役目は罪人の番であって。花の手入れは仰せつかっていないはずです」

「シェオル……!」


 白い巨大な狼が、またティルダの助けに入ってくれた。


(どうして……?)


 シェオルの方に気を取られたからか、ティルダを戒めるジュデッカの鎖の力が緩んだ。それでも口を挟む勇気はなくて様子を見守っていると、シェオルの銀色の目が涼しげに主の怒りを受け止めていた。


「コキュートスに変事があったなら、そしてそれが主の職分を越えるのならば、やはり神に──」

「くどい。黙れ」


 シェオルの進言を取り合わずに切り捨てるのは、これもまた昨日(?)みた光景だった。でも、不機嫌そうにしながらも、ジュデッカは指を鳴らした。小さく高いその音と共に、ティルダの首と手足に巻き付く鎖はもとの位置に戻った。拘束というよりは飾りのような、ただそこにいるだけ、の状態へと。


「……お前が原因でないはずはない、とは思うが──」


 手足をさするティルダに、冷ややかな声が降ってくる。でも、氷のように冷たくて感情がない、という訳ではなくて──苛立ちや不満を押し殺して冷静を装う声に聞こえてしまう。人間味がある、なんて言ったら氷の魔王は怒るのだろうけど。いかにも渋々ながら、といった表情で、彼はティルダに告げた。


「花の一輪に小娘のひとりだ。凍り付くまでの悪あがきくらい、大目に見てやる」

「……ありがとうございます!」


 跪いて手を組む──ティルダが咄嗟に取ったのは、祈りの時の姿勢だった。彼女にとってあまりに馴染んだ姿勢だからだろう。ただ、神に祈る時と違って感謝をささげる対象が目の前にいるから、今は顔を上げてジュデッカに心から微笑む。全身で感謝と喜びを伝えたかった。


「……礼を言われるようなことではない」


 ティルダの笑顔を見て、ジュデッカはいっそう顔を顰めると、くるりと背を向けてしまった。凍った床を高く鳴らして、部屋から出て行ってしまう。


「これで、しばらくご一緒できそうですね」

「え、ええ……よろしくお願いします……?」


 ジュデッカの姿が完全に見えなくなると、シェオルが嬉しそうに鼻先でティルダの手を突いた。多分、これで晴れてこの部屋を使っても良いということでもあって、確かに安心すべき展開ではあるのだろう。でも、彼女自身のことよりも、ティルダにはジュデッカの行き先が気になった。


あの方ジュデッカ……神様にお会いしたくないみたいだった? どうしてかしら……?)


 シェオルも連れずに、彼はどこへ行くのだろう。またあの玉座のまでひとり俯いているのだとしたら。とても寂しく寒い光景ではないかと、ティルダには思えてならなかった。

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