契約

『ミスズ、ミスズ。契約をするのだ』

「ちょっと休憩、させてください……」


 お母さんがトシローさんを飼うと言い出してから、大変だった。

 なにせ私の家では動物を飼ったことがない。

 まずお風呂に入って、ぬれた体を洗い流した。それから買い物に出発。


 ペットショップの店員さんと相談しながら、猫を飼うのに必要な道具をそろえた。

 まぁ私はただ、ついて行っただけなんですが。

 キャットフードやら何やら、たくさんの荷物に囲まれながら大きなため息をつく。


「契約って、何をするんですか」


 私の頭の中では、物語の契約書のイメージ映像がちらつく。

 こわそうな魔女のおばあさんが用意した、読めない文字で書かれた手紙。

 何が書かれてあるのか分からずに、サインをしてしまう主人公。

 そして、物語は主人公が予想もしない、理不尽な方向へ……――。


「ちゃんと、私にも読める文字で書いてくださってますか!?」


 とんがり帽子を脱いで、中から何かを取り出そうとしているトシローさんに聞く。


「それは大丈夫なのだ。ちゃんとした契約書をもらってきたのだ」


 ちゃんとした契約書って……。ちゃんとした契約書じゃないものもあるんですか。

 

 とんがり帽子からジャジャーンとトシローさんは、何かを取り出した。

 それは、帽子の中でぐっちゃぐちゃになった一枚の紙。


 トシローさんから受け取って、広げてみる。

 確かに、日本語で書かれています。でも。


「……しっとりぬれてますね」

『それは、仕方がないのだ。外が大雨だったからなのだ』

「向こうの世界でも雨だったんですか」

『そうなのだ。だから、契約書を盗んだあとが大変で……』

「盗んだ?」

『あ、いや、なんでもないのだ。急いでいたから、ぬれてしまっただけなのだ』


 あわてて訂正してくる、トシローさん。なんだか怪しいです。

 じっとトシローさんを見つめる。トシローさんは困った顔をする。


『本当に、何でもないのだ。でも、急がないといけないのだ』

「急ぐ……?」


 契約するのに、期限でもあるのでしょうか……。

 私が首をかしげていると、部屋の窓がガタガタと音を立てた。


 ふと窓の外へ目を向けてぎょっとした。


「でっ……でっ……」

『ん? どうしたのだ?』


 私は、無言で窓の外を指さした。

 のんきに毛づくろいをしていたトシローさんも、窓の外を見る。


『ぎゃあっ』


 窓の外には、カラスが一羽。こちらをにらんでいるように見える。

 このカラス、もしかしてさっき公園で出会ったカラスの仲間でしょうか。


『こんなところまで追ってくるなんて、ストーカーなのだ!』


 トシローさんが叫ぶようにカラスに向かって言う。

 すると、カラスは不満そうにくちばしで、コツコツと窓を鳴らす。


『まずいのだ。ミスズ、早く契約書にサインするのだ』

「契約したら、カラスさんは帰ってくれるんですか」


 正直、何もされなかったとしてもずっと窓の外にカラスがいたら落ち着かない。

 それにもしかしたら、窓を破って侵入してくるかもしれない。

 カラスさんにお帰り頂ける方法があるのであれば、その方法を試すしかないです。


『それが一番、可能性があるのだ。急ぐのだ』

「ちょっと待ってください。まだちゃんと内容を読めてないのです」


 急いで契約書を片手に、ボールペンを探す。

 契約書が見えた瞬間、窓の外のカラスがさわぎ始める。


『仲間を呼ばれたらまずいのだ』


 トシローさんの焦った声で、私もあわてる。

 今は一匹ですが、また公園の時のように何十匹も来られたら困ります。


『ふ、増えてきてるのだ……っ!』


 窓の外を見ると、さっきまで一匹だったはずのカラスが五羽に増えている。


『このままだと、契約できずにつれ戻されてしまうのだ……』


 ぼそっとトシローさんが言う。つれ戻される……? 誰に?


『せっかく、カイヌシになってくれるニンゲンが見つかったのに。このまま帰るなんて嫌なのだ』


「帰る……って、トシローさんがいた世界にということですか」

『そうなのだ。このままだと、そうなってしまうのだ』


 私の前に突然現れた非日常が、ほんの数時間で終わってしまう。

 そんなの、嫌だ。


「ああもう! どうにでもなるのです!」


 投げやりに言って、ろくに読んでもいない契約書に私は、自分の名前を書いた。


 そのとたん、契約書はぽんと音を立てて消えた。

 それと同時に、私の左手首がぽうっと光った。

 見ると、トシローさんと同じようなリボンが腕に巻きついています。

 そしてトシローさんと同じような石もついています。おそろいですね。


「ああ、消えてしまっては、後で読みなおすことができません……」


 くーりんぐおふ、という制度は利用できるのでしょうか。よく知りませんが。


 窓の外のカラスたちを見た。

 十羽ほどに増えていたカラスたちは、私の左手首のリボンを見た。

 彼らはうらめしそうな表情でしばらくにらんだあと、全員空へと飛び去る。


 それを確認して、私とトシローさんはベッドにころがった。


「ああ、よかったです」

『無事に追い返せたのだ、よかったのだ……』


 これで一つ、問題が解決しました。問題が一つ増えた気も、しましたが。

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