第40話 検査キット
秀志と春樹の研修受け入れは予定通り三日間で終わった。
夕食を終えて、萌音が別棟の自室に引き上げると、真紀が妙に深刻な表情で話し始める。
「秀志君と春樹さんが来ても、初めてだから戦力にはならないと思っていたけれど、結果的には伸びすぎたニラを全て収穫できたから良かったわね」
功も同じようなことを考えていたので、のんびりした口調で彼女に話を合わせる。
「そうだね。出荷調製作業は人手の多さが勝負だから、ずいぶん助かったと思う。山本事務局長にお礼を言わないといけないね。刈り取った4月植えのニラが成長して収穫可能になるまでに、6月植えのニラを収穫し終えたら上手く収穫サイクルがつながるから毎日の最適な収穫量を計算するよ」
功はニラの収穫作業は簡単だと思い込んでいたが、実際にやってみると、収穫が遅れて伸びすぎると自重を支えきれなくなって倒れてしまい、病気が発生する等、工程管理を上手くしないと翌年の春まで収穫を続けるのは難しいことがわかって来たのだった。
病気や害虫が発生すれば、病斑や食害痕がある葉は取り除かねば出荷等級が落ちて販売価格は大幅に低下するし、出荷するための手間が増えて更に収穫が遅れていくという負のスパイラルに陥ってしまうのだ。
しかし、功は真紀の表情が気になっていた。
「とりあえず、ネギアザミウマを退治して栽培計画もリカバリーできたけど、何か気になることでもあるの?」
功が尋ねると、真紀は小さな声で功に答える。
「また、妊娠検査キットを買って欲しいの」
功は真紀の言葉を聞いて彼女の表情の理由を理解した。
功にしてみれば、真紀が再び妊娠したのなら喜ばしいことなのだが、真紀は以前に流産したこともあり、いろいろと考えているのかもしれない。
「本当?今ならドラッグストアは営業しているから買いに行こうか?」
功はあまり喜んでいる感情を表に出さないようにして、努めて平静な雰囲気で真紀に答えたつもりだったが、真紀は慌てたように言う。
「そうして。でもね、まだ確かなわけではないから誰にも言わないでよ」
功はゆっくりとうなずいて出かける準備をすると、真紀のインプレッサに乗って妊娠検査キットを買うためにドラグストアを目指した。
ドラッグストアといえども功たちの最寄りの街にはないため、合併して同じわだつみ町に属しているとはいえ、もともとは隣町だった地区まで行かなければならない。
ドラッグストアに到着して以前購入した時を思い出して妊娠検査キットをレジまで持っていくと、レジ係の女性は以前購入したときに、功に妊娠検査キットの場所をしえてくれた店員で、彼女もその時のことを憶えていたらしく、心なしかニコニコしながらバーコードを読み取っている。
功は少々気恥ずかしい思いをしながら支払いを済ませると自宅に戻った。
真紀は検査キットを無言で受け取ると何事も無かったように舵を続けていたが、夜も更けた頃不意に功に告げる。
「検査キットで妊娠していると結果が出たの。県民病院の産婦人科の予約が取れたら診察を受けてみる」
功は内心嬉しい気持ちが溢れそうだったが、真紀の心境を考えて、あえて控えめな態度で接することにした。
「そうだね。その日は収穫を少なめにしてもいいし、場合によっては秀志がが農家研修名目で手伝いに来てくれるかもしれない。早いうちに行ってみたらいいと思うよ」
翌日、真紀はその日の午後に産婦人科の予約がとれたので、急遽診察を受けるために病院に行くことになった。
功は真紀が出荷調製作業を抜ける分を穴埋めするために臼木農林業公社に相談したところ、稲刈りが終わり研修用ハウスのナスも収穫が始まっていないため秀志の農家研修を受け入れてくれれば歓迎すると山本事務局長からの返事があった。
ぶっきらぼうな山本事務局長の返事は、事情は分かったので研修生を派遣するという意味合いを彼らしい理屈をつけて堅苦しくオブラートにくるんだ表現だ。
真紀はお昼になる前に相変わらず硬い表情のままで出かけて行ったが、後に残された功と萌音は黙々とニラの汚れた葉を取り除いたり、茎の長さを切りそろえて出荷できる状態に整えていく。
しばらくして、萌音が沈黙を破った。
「功にいちゃん、真紀ねえは産婦人科に検診に行ったのでしょ?」
萌音は家族なので真紀が流産したことも知っており、功と真紀の会話の端々からそれとなく状況を察していたのだ。
功は今更隠し立てする気にもなれずに彼女にありのままの事実を告げることにした。
「そうなんだ。でも本人は前回のこともあるから当分誰にも言うつもりはないらしい」
萌音はヤレヤレという表情を浮かべると、功を励ますように言った。
「あの人は昔から頑なな所があるから仕方がないわね。お兄ちゃんが扱いに困ったら私もサポートするから」
功は自分の状況を理解してくれる味方が現れたため、少し肩の荷が減った気分になる。
「ありがとう。きっとうまくいくと思うけれど、真紀は不安を感じることも多いと思うから見守ってあげてね」
萌音は功に頼まれて嬉しそうに微笑むのだった。
昼食の時間になり、真紀が作り置きした食事を食べていると、静かな田園地帯にバイクのエンジン音が響く。
「秀志が来たみたいだ」
功が作業場を出て庭先に出ると、スーパーカブをスタンドに止めた秀志がヘルメットを脱ごうとしているところだった。
「功君今日は研修よろしくお願いします」
秀志は相変わらず堅苦しく挨拶するが、功は慣れているので拘泥しない。
「いやいや、こちらがお世話になるくらいだからこちらこそよろしく頼むよ。春樹さんは一緒ではないの?」
功が尋ねると春樹は気まずそうな表情を浮かべる。
「春樹さんは東京で後片付けをしなければならない用事が出来たそうで、に三日研修を休んでいるのです」
「彼はその気になれば何でもできそうな雰囲気だけれど、その分目移りしてしまって、本気でするべき事が見つからないのかもしれないわね」
背後から真紀の声がして、功が慌てて振り向くと、秀志との会話に気を取られている間に真紀が戻っていた。
彼女の指摘は功もぼんやりと思い浮かべていたことだったので、功はことさらにコメントしないで実務的な話を始めた。
「とりあえず秀志には作業場で出荷調製作業をしてもらおうか」
功が作業場を示すと、秀志は自分のヘルメットと鞄を抱えて作業場に向かう。
後に残った功が物問いたげに真紀の顔を見ると、真紀はゆっくりと功に告げた。
「赤ちゃんが出来ているそうよ。まだ妊娠初期で、二週間後にもう一度検診に行って、超音波画像診断をしてもらうことになった」
功が祝福の言葉を口にしようとすると、真紀は機先を制するように言葉を続ける。
「まだ、ちゃんと育つと確定したわけではないから誰にも言わないでよ。次の検診も私だけで行くから」
功は自分の嬉しい思いや、真紀に対するいたわりの気持ちを形にする前に飲み込むしかなかった。
しかし、功の横から萌音が口を挟む。
「ごめん真紀ねえ。話が聞こえてしまったのだけど、功兄ちゃんの気持ちも考えてよ。次の検診に行ったら、きっと元気に育っているって言ってもらえるはずだから、いい知らせはみんなで聞きに行こうよ。私も功兄ちゃんも一緒に行くからね。私もおにいちゃんも絶対大丈夫だって信じているから」
萌音は穏やかな笑顔で真紀を見つめており、真紀は苦い表情を浮かべて答えた。
「わかった」
功は次の検診に真紀を一人で行かせることに不安を感じていたので、萌音の気遣いがありがたかった。
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