第4話 農業という不思議な仕事
功が農業体験研修所に到着すると研修と名がつくものにはつきもののオープニングセレモニーが始まった。
所長さんの挨拶に始まり、これもおきまりの参加者の自己紹介がはじまり、今回の参加者が五人しかいないと判明する。
功と茜さん、定年退職して農業を始めるために来たという吉田さん、大手居酒屋チェーンが経営する農園で働いているが、そろそろ自立したいと画策している小松さんと
自分の会社が農業分野に参入するので社命を受けて参加したという森本さんだ。
もう一人参加者に見えた若い女性は農業機械実習の「お手伝い」に来てくれた臼木農林業公社の研修生の川崎さんだと紹介された。
自己紹介が終わると功たちは農業用機械の取り扱いについて座学の講習を受けた。
功も運転免許もっているが、農業用のトラクターは勝手が違い、畑の畝を作るのに使う管理機に至っては、ハンドルにレバーがたくさん付いていていざとなると間違えそうだ。
功たちは講習が終わると早くもトラクターの操作実習を受けることになった。
功達研修生五人は更衣室で作業のできる服装に着替えてから実習棟に集合するように指示された。
身軽に動ける服装のストックがあまりない功は秘蔵していた高校の体育のジャージを着用した。
校章をきれいに取ってしまえば体育ジャージとは解るまいと思った功のもくろみは甘かった。
研修棟で集合する早々に、茜さんはにやにやと笑いながら功に近づき、
「功君それってもしかして、高校の時の体育のジャージじゃないの」
彼女は露骨に聞いてくるし、お手伝いに来ている川崎さんもしゃがみ込んで笑いをこらえているようだ。
「どうせ汚れるんだから何着いてもかまんろう、なあ功君」
その場をフォローしてくれたのは年かさの吉田さんだった。
「そうそう、研修受けるのに着るものなんてどうでもいいべさ」
森本さんもフォローしてくれたが、二人ともちゃんとした作業服を着用しているのは言うまでもない。
そこに教官の岩切が現れ、農業機械の操作実習がスタートした。
「それではみなさん、安全第一で研修を始めましょう。まずはそこの体育ジャージのきみからトラクターを動かしてもらおうか」
話を聞いていた訳ではないはずなのに、岩切氏は体育ジャージという文言まで使って真っ先に功を指名する。
功は気を取り直して倉庫の中に鎮座しているトラクターによじ登り、エンジンをかけた。
軽くアクセルを踏んでトラクターを動かすとステアリングを切って倉庫から出し畑へと向かう。
午前中の座学をちゃんと聞いていたのでそこそこ動かせる。
しかし、功が道路からの段差をなるべく垂直になるようにしてかわし、方向を変えようとしたときに、サッカーで審判が使うようなホイッスルが鳴り響いた。
「はいそこの体育ジャージ君、ブレーキの連結を解除して」
川崎の声が響き、功は午前中の講義の注意事項の一つを思い出した。
トラクターは左右のブレーキを別々かけて方向を変えるようになっている。
道路を走行するときはブレーキペダルを連結して片方のペダルを踏めば左右均等にブレーキがかかるようにしているが、畑に入ったら連結を解除するのだが、教わったばかりだったのに功は失念していた。
「そんなに怒鳴らなくてもいいじゃないか」
「ぶつぶつ言わない」
功が小さな声でつぶやきながら連結を解除していると、すかさず彼女の突っ込みのが響く。
運動系のクラブや体育会に縁がなかった功は、いちいち怒鳴られるのはどうも苦手だ。
功は気を取り直して畑に進入すると、ローターをおろして「耕運」を始めた。
トラクターを低速で進ませながら、エンジンとドライブシャフトでつながっているローターの回転する爪で土を耕していくのだ。
初めて使う機械をを難なく使いこなして、なんだか某アニメのキャラクターのようだと一人で悦に入っていると、トラクターが畑に残っていたでこぼこのせいで方向がずれ始めた。
「ここでペダルで方向を修正しなければ」とペダルを踏み込むと、方向はさらにずれた。
「なにやってんの、逆でしょ逆」
お手伝い要員の川崎の声が再び響く。
功はあわてて方法を修正し、畑の端まで到達するとローターをあげて方向転換する。
そして最初にローターの幅だけ帯状に耕してきた隣の部分を新たに耕運していく。
これを繰り返して畑全体を耕すのだが、練習なので数回往復したら次ぎの人に交代することになる。
功はトラクターをいったん畑から一段高い道路に戻すとおもむろにブレーキペダルを連結してからエンジンを止めてトラクターを降りた。
次ぎに乗った吉田さんを見学していたが、吉田さんと手スムーズに操作している感じではない。
そして時折、川崎の厳しい指摘が飛んでおり、功は皆が練習するために来ているのだからそんなものだと納得した。
吉田さんが森本さんと交代するのをぼんやりと見ていると隣から声が響いた
「さっきのでちゃんとできているからね。上出来だよ」
いつの間にか功の隣に来ていた岩切が功の運転ぶりを褒めてくれたのだが、功は川崎の素性が気になっていた。
「川崎さんは何故あんなに怒鳴っているんですか」
功から見て川崎は同年代くらいに思え、見た目もかわいらしいのにイメージが違うことはなはだしいのだ。
「彼女は声が通るから、今日は特にお願いしたんだ」
岩切さんの答えは、往々にして説明になっていないことがあり、横にいた茜さんが補足した。
「あの子はこの農業体験研修所を去年修了した修了生なの。みんなは真紀ちゃんと呼んでいるいい子なのだけれど、栽培に関してはいろいろと思い入れがあるのだと思うわ」
見た目が研修生のように見えるのも道理だと功は納得する。
「それに加えて、ここにいるときに、自分が担当して一生懸命育てていたおナスを新顔の研修生に手伝わせたら、間違えてほとんどの主枝をちょん切られてしまったことがあるの」
「それってダメージ大きいんですか」
功は主枝といわれてもよくわからなかったが、とりあえず話を合わせた。
「ショックは大きかったみたいね。それ以来、彼女は新顔研修生に対して厳しいのよ。」
功にとってはいい迷惑な話だった。
トラクターに乗っている森本も真紀に何か言われないかとビクビクしているのが功にも見てとれる。
しかし、功は翌日の栽培実習に入ったときに彼女がイライラしていた原因を身を持って体験することになるのだった
研修二日目の朝、功たちは指導教官が運転する軽四輪のワンボックスワゴン二台に分乗し、同じわだつみ町内にある臼木農林業公社に向かった。
本来なら農業体験研修所の研修用温室で栽培技術の研修を受ける予定だったが、臼木農林業公社の研修用ハウスで天敵昆虫がうまく定着しているのでそちらを借りて実習することになったらしい。
その温室を管理している農林業公社の研修生の一人が真紀だった。
わだつみ町は海に面していている土地柄だが、少し内陸にはいると緑の木々に覆われた山が連なっており、山の間を曲がりくねって流れる川沿いにわずかに農地がある程度だ。
臼木というのはその山あいの集落だ。
「臼木では、集落営農法人というのを作ろうとしていたんだけど、この辺の土地柄もあって、そう簡単に皆の合意が得られなかった」
岩切さんが説明してくれる。
「それで、農作業の受託を行う農林業公社を作って、同時に新規就農希望者の研修受け入れもできるようにしたんだよ」
功は相変わらず、農業に関する業界用語を知らないので話の中身があまり理解できない。
「農林業公社といっても、窓口でトラクターを貸してくれるってわけじゃない。地元の農家が事務局に稲作の作業を頼むとオペレーターさんが作業をやってくれる仕組みです」
その事務所に功と茜そして岩切氏が到着した時にはもう一台の軽四輪のワンボックスワゴンに乗っていた残りの三人の研修生と川崎は既に事務所で待っていた。
事務所にはいると川崎は上役とおぼしき職員となにやら剣呑な雰囲気で話している。
「真紀、西山の姿を最後に見たのはいつなんだ」
「昨日から見てない。ハウスの開閉も私がした」
「体験研修の指導は岩切さんにお願いするから西山の宿舎を見てきてくれないか、施錠されていたらこれを使ってくれ」
「西山さんに何かあったの?」
職員が手渡す合い鍵を受け取りながら、彼女も訝し気に尋ねる。
「西山からの手紙が郵便で届いたんだ、婚約者が手術を受けることになったので、まほろば県で農業をするのはあきらめて大阪に帰ると書いてある」
「携帯は?、作業中は携帯を車に置きっぱなしの局長と違って西山さんはわりとすぐに出てくれるんだけど」
「つながらない。電源を切ってるみたいだ」
それでも彼女は何か言いたそうにして立っている。
「研修用には西山が使っていたハウスを使うから行ってくれ」
職員がそれとなく察して彼女に指示すると、彼女は事務所を出ていった。
真紀は異聞が不在の間に功達研修生に自分の温室を使わせたくなかったらしい。
「その西山君の話は本当なのか。山本局長」
岩切さんが心配そうに手紙をのぞき込み、農林業校舎の事務局長らしき職員は岩切に答える。
「一声かけてから帰るなり、電話するなりできたはずなのにわざわざ手紙を送ってくるところが気になるな」
気遣わしげな表情の山本だったが、手紙を机の上に放り出すと功たちの方に向き直り、一転して穏やかな表情で言った。
「私は臼杵農林業公社事務局長の山本と申します。内輪のごたごたで失礼しましたが、予定通り研修を始めましょう。川崎の代わりに僕も指導を手伝います」
山本事務局長は功達研修生を研修用温室に案内してくれた。
「今日研修してもらうのは、ナスの収穫と整枝作業。それから時間があったら誘因作業もやってもらいます」
岩切は研修生に先の細い収穫用のはさみを手渡していく。
「まず収穫だけど、僕が手に持っているのがMサイズなのでこの大きさを基準にして収穫してください。出荷基準はそこの壁にポスターがあるからそれを見て、自信がなかったらそこの秤で重さを確認してください。」
「Sサイズより小さいのを取った人は研修最後の日のミーティングの時に何か芸をしてもらいます」
岩切の説明はわかりやすいのだが、失敗したら罰ゲームと言われると気の小さい功は微妙にストレスを感じ、茜に本当に罰ゲームをやらされるのか尋ねた。
「岩切さんが覚えてたらご指名があるかもしれないけど、せいぜい歌を歌えとか瞬間芸をやれっていうぐらいでそう大したしたことないわよ」
彼女はこともなげに答えるのだが、そういうのが苦手な功はさらにストレスが増える結果となった。
岩切の罰ゲームを意識して、功は時々秤で重さを確かめながら真剣そのものに収穫をする羽目になったが、それ故に規格に合った果実しか収穫していない。
そしてナスと言う作物は収穫しながら枝の剪定もしなくてはならないのだった。
岩切の説明では、ナスは一つの株から三本の茎を伸ばして主枝にする。
それぞれの主枝からは枝に当たる側枝が出ているが、側枝には一個だけナスの果実が付いている
その果実を収穫すると枝そのものを根本の葉っぱを一枚残してちょん切ってしまうのだ。
葉っぱの根本からはちゃんと芽が出るようになっており、出てきた枝にまた花がついて実がなるというシステムらしい。
功が収穫作業に慣れてきて少しスピードアップした時背後から大きな声が響いた。
「ああっ、やっちまったよ」
背後から聞こえた声に、功が振り返ると山本局長がにやにやしながら、こちらを見ていた。
「今切ったのが何かよく見てみなよ」
そう言われて、手元のちょん切った枝をよく見てみると、それはどうやら大事な主枝の方だったようだ。
「ど、どうしたらいいんでしょう」
昨日からさんざん言われていたのに、功が真っ先に失敗をしてしまったのだ。
「うーん切ってしまったものはどうしようもないけど真紀のやつ激怒するんじゃないかな」
「あら、今日の罰ゲーム第一号は宮口君みたいね」
茜まで近くに寄ってきたのでちょっとした人だかりになり、結局岩切も顛末を耳にすることとなったが、岩切は意外と優しかった。
「功君そんなに困らなくてもいいよ。成長は遅れるけど上の方の側枝を主枝の代わりに伸ばすことができるんだ。それに、ワイヤーの高さまで伸びたら摘心といって主枝を切ってそれ以上伸びないように止めるからそれほど気にしなくていいよ」
功は周囲のナスの状態を見たが、すでにワイヤーの辺りまで伸びて「摘心」した枝も多い。
功は岩切の言葉でどうにか気を取り直すことができた。
山本局長は功の肩をポンと叩くと壁際に戻っていき、功は皆で自分をからかっていたではないかと気が付いたのだった。
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