タイムカプセルレコード

藤ノ宮 陸

隆盛

 巨大な研究所の最奥で、大小のコンピュータが大量に置かれた無機質な部屋。その片隅で、白衣を着た二人の研究者が扉のそばにあるベンチに座りながら話し合っていた。片方は太った背の低い男で、もう片方は眼鏡をかけた背の高い男だった。二人ともこの研究所に勤める科学者であり、現在進められている新型記憶装置開発プロジェクトの責任者だ。

 数年前、それまでのコンピュータとは一線を画した性能の量子コンピュータが発明された。圧倒的な情報量を捌くため、レコードのように円盤を利用するHDD(ハードディスクドライブ)や、半導体メモリに情報を保存するSSD(ソリッドステートドライブ)に代わる大容量の記憶装置の開発が急がれたというわけだ。

 太った男が満足そうに腕を組み、キャンディを口に放り込みながら話す。

「今度の開発も上手く言って良かったな。特許の申請も上手くいきそうだし、大成功と言って差し支えないだろう」

それに眼鏡の男が見た目通りの堅物さで応えた。

「そうでないと困る。なんせSSDに代わる新型の記憶装置の開発はどの会社も大量の人員と資金をつぎ込んでいると聞くからな。一番に完成させないと意味が無い」

「まあそう堅くなるなよ。上への報告も済んだことだし、今日の夜は打ち上げと行こうぜ。お前は素直に料理の感想を言うから妻も喜ぶだろう」

「あんな奥さんがいればお前がぶくぶく太る理由も分かるな。うらやましいことだ。」

 眼鏡の男は溜息を吐きながら相棒の腹を見る。彼は研究を始めてから一層痩せた自分とは対照的に、いくら白衣を買い替えてもすぐにサイズが合わなくなっている。

「うるさいな、俺のは幸せ太りだからいいんだよ。部下も表に戻ったことだしもう今日は帰ったっていいだろ」

「そんな適当だから私より昇進が遅れるんだよ。冗談言ってないでさっさと片付けだ。」

 突如、部屋の電気がバチンと音を立てて切れ、二人の視界が大きく揺れた。地面に固定されたいくつもの機器がガタガタと音を鳴らし、机におかれていた書類や筆記具が床に散乱する。男達も慌てて身近な机に身を隠し、様子を見守る。数秒たつと揺れは収まり、二人の科学者はこわごわ立ち上がる。その頃には緊急時用電源からの電力が供給され電灯も回復していた。

「地震か、結構大きかったな。俺らは怪我一つ無いが表の奴らは大丈夫だろうか」

「耐震基準はクリアしているはずだから大丈夫だろう。一応コンピュータが壊れていないか確認しておくぞ。結構な負荷がかかっていたからな。私はこちら側を確かめる」

「もうやってるさ。……だが、まずい、まずいぞ。とんでもないことになった」

「どうした?こっちもPCが壊れているのか起動しないが、データを取り出せば問題ないだろう」

「いや違う。中の記憶装置が焼き切れてる。これ、下手したらデータ全部飛んでるぞ。俺らの研究……全てパーになったかもしれん」

「……え?」



 翌日、太った科学者が出勤すると、社員用ロビーにある各部屋の使用状況を示す掲示板に仮眠室が使用中と表示されていた。長い廊下を渡り仮眠室へと歩みを進める。部屋の扉を開けると、中には眼鏡を傍に置きアイマスクをつけて寝ている長身の科学者がいた。

「施設内の機器を根こそぎ確認する為に徹夜していたお前を心配してやりたいが、それどころじゃない。この新聞を見ろよ。思ったより、いや、誰の想像よりぶっ飛んだことが起きてるぞ」

「……おはよう。なんで新聞なんか持ってくる。テレビを見ればいいだろう」

「残念ながらそれはできないな。下手したら、俺らは永遠にそれを出来ない」

「まどろっこしいな、新聞を寄越せ。なになに……。これは、どういう事だ? 信じられない!」

 科学者が思わず取り落とした新聞には、一面にでかでかと記事のタイトルが印刷されていた。

   機械文明にお別れか 全てのデータ消失

「そうさ、データが消えたのは俺たちの研究所だけじゃなかった。数日前、太陽が大規模なスーパーフレアを起こしたのは知っているだろう。停電の方も大事件なんだが、もっと酷いことが起きている。今まで観測されたことのない種類の電磁波が太陽から飛んできて、確認されている中ではフラッシュメモリ型やSSDタイプの記憶装置が全滅したようだ」

「……全てが?」

「このご時世それ以外の記憶装置はほとんどないからな。物理的に情報を記録するハードディスクなら分からんが、そんなものは本の中でしか見たことが無い」

 眼鏡の男の頬は死人と見まがうほど真っ青になっていた。それでも頭の中の冷静な部分は活動をやめず、太った男に必要な質問を投げ続ける。

「私たちの新型記憶装置は」

「社史室にあった旧式の黒電話という骨董品で確認したんだが、今日つなげてみたら電気を通した瞬間に壊れたらしい」

「これから、どうなる」

「電磁波は今この瞬間も太陽から送られ続けているらしい。コンピュータの中で記憶装置を使っていないものはほとんど無い。この新聞も大昔の印刷機を引っ張り出してつくったらしいし、どこも動かないというのは本当だろう。だから……終わりだな。今まで作ったものは全て破壊され、これから作れる見通しも無い。科学技術は、大きく後退することになる」

「……そうか。教えてくれてありがとう」

「お前、どうするつもりだ。俺は親父が農家だからここが潰れてもなんとかなるが、お前は身寄りが無いだろう」

「どうかな……。どうしようか。仕事なんて見つからなそうだが、金はある。当分、旅でもしてみようか」

「お前……。やけにはなるなよ。どうにもならなかったら家の畑で働かせてやるから」

眼鏡の男はあきらめたように大きくため息を吐き、白衣を脱ぎ捨て仮眠室の扉を開けた。部屋に太った男を残し、振り返らぬまま最後の言葉を吐いた。

「そのうち頼むさ、その時はよろしくな」

「ああ」

 それからは、大体太った男の想像通りだった。電子的な機械はそのほとんどが使用不能になり、降り続ける電磁波に対抗する手段を人類は見つけ出せなかった。科学は滅び、民衆の生活レベルは低下した。



 そして、それからいくらかの時が経って。放棄され廃れた村に一人の旅人がいた。彼は太った男とも眼鏡の男とも違った人間で――というより、彼らとの共通点は全くない髭面の男だった。日差しを遮るための麦藁帽に、テントや鍋など最低限の装備が入ったザックを背負ういかにも旅慣れていそうな装いだった。村の中心部にあるひときわ大きな建物の前で男は立ち止まる。

「ここに、例のモノが残っているという話は本当だろうか」

 そこは、かつては博物館と呼ばれていた場所だった。看板を汚す砂を払うと、太陽光で色あせたそれには博物館の名前らしき文字が表記されていることが読み取れる。

「文字はいいものだ。永遠とも思える時間をたった一人で待ってくれている」

博物館の名前を見る限り、音楽に関連した遺物を蒐集していた施設だったらしい。ぎしぎしと音を立てて扉を開け、男は中に足を踏み入れる。ホールには1900年代に作られたのであろう色あせたポスターが張り出されていた。男が知っているのとは違う言語で書かれていたが、どうやらコンサートの告知ポスターのようだった。200年以上前に作られたとは思えないほど保存状態は良く、解読はできずともどのような文字が書かれているかははっきりと読める。

「これなら、あるいは……」

男は中に歩みをすすめていく。目的のものは程なくして見つかった。それは真っ黒な薄い円盤で、中央に穴が開いている。壊れ物を扱うように、ほこりを被ったそれを男は恐々持ち上げた。

「これが、れこーどというやつか」

記憶装置が滅びた世界で、男は大昔の物理的な記録装置を探して回る旅人だった。それも時代の流れで滅びる寸前だったが、この博物館には残っているという情報を聞いてやってきたのだった。

「案外、簡単に見つかったな。これで音楽を聴くにはれこ……なんとかいうやつが必要だったはずだ。きっと近くにあるはずだし、物理的な機械だから使えるはずだろう」 

 男はまたあたりを探し始めた





…………………………………………





「なんてことが起きれば、こいつもまた注目されるかもしれんな」

 そこは書斎だった。その部屋の主である老人は棚の奥に仕舞ってあったレコードプレーヤーを引っ張り出してほこりを払い、しばらく眺めていた。すべては老人の空想であり、この世界には未解明の太陽フレアも無ければ新型の記憶装置もない。SSDがHDDに代わり記憶装置のメインに成り替わろうとしている時代であり――要するところ、2000年代である。

「ずいぶん前にはCDなんてものがでて、今の若者はパソコンなんて使って音楽を聴いとる。レコードの針から出る繊細で重厚な音楽には誰も見向きもせん。悲しいことだ。そういう機械が全部壊れてしまえば、お前もまたたくさんの人から使ってもらえるだろうな」

 老人が時代に取り残された感想をぼやいていたところ、廊下の方からバタバタと何かが近づいてくる音が聞こえた。それに気づいた老人は柔らかい椅子に腰掛け、足を組んだ。猛烈な勢いで扉が開かれ、小さい女の子が転がるように走り込んできた。それを見た老人は破顔する。

「こらこら、部屋に入る前にはノックをしなさいと言ったろう」

「こんこん!」

「うむ……?ああ、そういうことか。いいだろう、どうしたんだい?」

「おじいちゃん!それなあに?お花みたい!かわいい!」

女の子――老人の孫娘は祖父の机に置いてあった機械に興味津々だった。部屋に入る前には祖父に用事があったはずなのだが、彼女の思考は見慣れぬ造形物に奪われている。花に似ているというのは、恐らくプレイヤーの上部につながっている金色のスピーカーのことだろう。老人は孫が興味を持っていたことに驚いた顔をしたが、すぐに表情を緩めて話し出した。

「ああ、これかい?これはレコードプレイヤーと言ってだね……いや、実際に聞いた方が早いな」

老人は棚からレコードを出し、プレイヤーの中央に置く。針を円盤の外側の溝にはめ、電源を入れた。レコード特有の雑音が入り、オーケストラが奏でる音楽がスピーカーから流れ出る。曲はヴィヴァルディの協奏曲、四季の春。知らない音楽を聴いた女の子は目を輝かせて老人の膝に飛び乗り、声量以外は大人しくそれを聴いていた。

「なにこれ!すごい!きれい!」

孫娘が音楽に引き込まれているのを眺め、老人は安心したかのように微笑んだ。

(まだ、廃れる心配はしなくていいようだな)

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