青空には手が届かない

内山 すみれ

青空には手が届かない


 私はどうして生まれたのだろう。むせかえるような匂いの中、薄暗闇の空間に私は寝ていた。これが一番古い記憶だ。薄い闇が徐々に明るくなっていった時、見上げると美しい青が目に入った。私は初めて立ち上がった。青は見渡す限り一面に広がっていた。私はその美しい青が欲しくなって、手を伸ばす。けれど私の視界は一転し、下へと落ちて行った。


「おや、可哀想に」


 身体を強く叩きつけられて痛みに悶えていると嗄れた声が聞こえた。見上げると、醜い何かが私を見下ろしていた。


「あ、あなたは?」

「私かい?私はヒキガエルさ」


 ヒキガエルはゲコゲコと笑うと、持っていた杖を振り上げた。


「お前達、お嬢さんをお連れしなさい」


 ヒキガエルは傍にいた二匹のヒキガエルに声をかける。私は怖くなって逃げようとしたけれど、二匹に呆気なく捕まってしまった。






 ヒキガエルに捕まった私を助けてくれたのは魚達だった。けれど、今度はコガネムシに身体を掴まれて、知らない場所に置き去りにされてしまった。


「おやまあ、可愛らしいお嬢さんだ」


 途方に暮れていた時に声をかけてくれたのは老齢のネズミだった。彼女は私を優しく介抱してくれた。けれど、彼女の食事は異臭を放つものばかりだった。


「ご馳走なのに。贅沢な子だね」


 引き攣った顔に私に、彼女は残念そうにそう呟く。美味しそうに貪る彼女がおぞましくて、私は唯一食べられるクルミや葉を齧り食いつないでいた。けれどそんな日も長くは続かなかった。隣の家の金持ちのモグラが私を嫁に欲しいと言った。彼女は私の意見など聞きもせずに快諾した。私は酷く絶望した。彼女は私と引き換えに、腐った食事をたくさんもらっていたのだ。私はあの食事と同じ価値しかないのか。

 結婚式を開くまでの間はネズミの家からモグラの家に毎日来いと言うので私はそれに従った。モグラは目が不自由だったので、愛していると迫られても恥ずかしいからと逃げ続けた。

 モグラの家には瀕死のツバメがいた。見て見ぬふりをするのは気が引けたので介抱をすることにした。


「可哀想に。辛かったですね」


 私はツバメに声をかけながら、家にあった塗り薬を塗る。


「もう大丈夫ですよ」


 包帯を丁寧に巻いてやる。


「早く元気になって、大空を飛べるといいですね」


 全て、自分に言い聞かせるように。私もこんなところで地を這っているよりも、大空を飛びたい。私が生まれてからずっと焦がれてきた空を自由に飛びたい。けれどそんな願いは叶わないと分かっている。私にはツバメのような羽はない。ツバメを見ると胸が苦しくなってきた。どうして私はこんな目にあっているのだろう。


「ねえ、ツバメさん」

「なんですか?」

「羽が治ったら……私をここから連れ出してほしいの」

「恩人のあなたの願いでしたら、お安い御用です!」


 ツバメは笑って言った。


「嬉しい」


 私は生まれてから初めて、心から笑った気がした。






 モグラとの結婚式の日。白いドレスに身を包んだ私を、ツバメは背中に乗せて飛んで行く。ツバメは約束通り、私を助けに来てくれた。それから、ツバメと同じ目線で空を飛ぶ嬉しさといったら、格別だった。風が私の頬や髪を撫でるのが心地よい。どこまでも続く青い空を堪能していると、美しい花畑が見えてきた。


「わあ!美しい花畑ね!」

「ええ、そうでしょう!ここは花の国ですから」

「花の国?」

「ええ、花の国は美しい花が一年中咲き誇る国なのです」


 花の国の中央にはお城のような建物が建っていた。入り口には、私と同じ大きさの人間達がたくさんいた。


「おお!花嫁が戻って来たぞ!」

「花嫁!万歳!」

「花嫁!万歳!!」


 人間達は私を見て喜んでいる。その異様な光景に私は既視感を覚える。


「……は、花嫁って……?」

「忘れたのですか?あなたは数年前、突如姿を消してしまった花嫁なのですよ。さ、奥で王子様がお待ちです」


 部屋の奥に押し出された私は、部屋の中を見て、思い出してしまった。部屋の中には一本の太く大きな大樹。木目は美しい女性たちの顔が刻まれている。花の国はこの大樹の力で美しい花畑を維持している。大樹は数年に一度、花嫁を欲する。選ばれた女性は大樹の栄養となり、命を落とす。私はその事実を知り、命からがら逃げてきたのだった。ショックで記憶を失った私はこうして再び戻ってきてしまったのだった。


「今度は逃げられませんからね」


 ツバメは囁く。重い扉が無常にも閉じられた。逃げ場はなく、私は座り込んでしまった。大樹から触手がゆっくりと伸びる。私の指先、手首、腕に絡みついてゆく。


『おかえりなさい。旅はどうでした?』


 触手は私を持ち上げ、大樹の下へと運んで行く。どこからか声が聞こえた。大樹の声なのだろうか。酷く優しい声色だ。なんだか酷く眠くなってきた。


「……最低だったわ」


 私は吐き捨てるように呟いた。


『大変でしたね。僕の中でゆっくりと眠るといい』

「嫌よ、そんなの」

『ふふ、そのうち気持ちが良くてずっとここにいたくなるはずだよ』


 ぽかぽかと、まるでひだまりの中にいるような心地よさに身体中が包まれてゆく。


『君が大好きな青空を見よう。ずっとずっと、永遠に』


 まるで子守歌のような声。


「そうね、それも悪くないかもしれないわ」


 私の意識はゆっくりと溶けていていった。


Fin.

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

青空には手が届かない 内山 すみれ @ucysmr

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ