K-4:: 皇帝の寝室

 エウロパを発ったあと、俺は数週間をかけて木星と火星の間を巡った。もちろん俺がバベル病とやらを発症することはなかったし、リリアの言う通りそもそもバベル病が実在するとは思えなかった。バーのオーナーの話は、暗く閉ざされたハイヴの底に沈殿した、狂気の一種だったように思えてならなかった。

 そんなことより、俺は折に触れてババの逮捕についての情報を集めようとした。ババのことが心配だったとも言えるし、ただの興味本位だとも言えた。港の常連の何人かにも会って話を聞いた。しかし、予想していたことではあるが、誰からも芳しい答えは返ってこなかった。

 常連たちの中では、ババに会ったのは俺が最後だったようだ。俺は例の二人の内衛ポリの顔を思い出した。もしかしたら、あのがババを逮捕したのだろうか。あいつらが帝国の側に寝返ったということか――もともと、ピサロの犬と帝国の犬の間にそんなにはっきりした境界があるわけではないのだから。

 あの日、わざとらしくおにぎりの話をして俺とすれ違ったその足で、彼らはババの部屋に向かった。のっぽが無表情のまま錆びついたドアを蹴破り、驚き慌てるババにちびがニヤニヤしながら銃をつきつけた。そして無抵抗なババを手荒に逮捕した――そんな光景を想像した。

 それは違和感のない想像だった。そしてとても、嫌な気分になった。

 ババのことが表の世界のパブリックなニュースになることは、もちろんなかった。それにこの辺りでは〈ウェブ〉がすごく薄いので、アクセスにやたら時間がかかる。ちょっとした検索結果ひとつ返ってくるのに何時間もかかるようなことがある。そもそも、信用できる大事な情報なんて、〈ウェブ〉に転がっているわけがない。

 この辺境では情報の流れは遅く、いつも不確かだ。

 結局のところ俺にとっては、自分の宇宙船ふねで飛びながら知り合いの話を聞いて回るという、カビの生えた古臭い方法が一番手っ取り早く、信用できるように思えた。

 そうしている間も俺はあの港に戻ることはなかった。そこはかつて自分にとって間違いなくいちばん愛着のある、いちばん頻繁に訪れる拠点だった。でも今や、広大な宇宙空間を挟んだ向こうにあるその場所は、俺のよく見知った場所ではないように思えた。

 嘘か本当か分からない話は、いくつか聞いた。

 ある情報屋の話はこうだった。

 ババはかつて帝国の高級官僚で、若い頃は地球で優雅な生活を送っていたのだという。薄汚かった最近のババの姿からは想像できないが、ともかく昔は高い地位について煌びやかな生活をしていたってことだ。

 しかしあるとき、権力闘争に負けて無実の罪で投獄されそうになり、すんでのところで地球を脱出した。そして小さな宇宙船でひとり寂れた宇宙港まで逃げてきて、そのままそこに隠れ棲んだ。

 ほどなくして、どういう心境の変化かは分からないが、ならず者どもにおにぎりを配り始めた。きっかけは単なる暇つぶしだったのかもしれない。あるいは実際のところ、ババの頭はおかしくなってしまっていたのかもしれない。いずれにせよ、それから三十年間おにぎりを配り続けたのは事実だ。

 つまりは、かつては帝国の権力の中枢にいたものの、やがて地球を追われ、落ち延びた辺境の地でになったってわけさ。

 もしそうだとしたら、ババの逮捕の真相は、かつての仇敵――つまり帝国の権力者ども――に三十年の時を経てついに発見され、連れ戻されたということなのだろう。権力闘争の最終的な決着だ。

 でも、その話が本当だとは、俺にはあまり思えなかった。


 しばらくして、別の情報屋からも話を聞いた。

 その話は、ババがかつて帝国の高級官僚で権力闘争に負けてあの港に落ち延びてきた、というところまでは同じだった。しかしその情報屋によると、今回ババは逮捕されたのではないという。

 そうではなく、ババがかつて高級官僚だった頃にもっていた特別な知識とスキルを頼って、帝国の連中が迎えに来たのだという。重要人物として丁重に――かつての権力闘争は水に流して。

「で、帝国の連中はなんで迎えに来たんだ?」

 俺はあくび交じりで情報屋に訊ねた。

「それが、不思議な話なのさ」

 情報屋はもったいをつけて言った。情報屋の宇宙船はここから少し離れたところにあるようだから、通信にはタイムラグがある。

「帝国の首都に、凶兆が現れたらしい。ある日、皇帝は自分の宮殿で、いつものように寝床に入ろうとした。付き人はなく、一人だった。あの皇帝は変わり者で、自分の寝室に女以外の誰も入れないのさ。そういえば最近じゃ後宮の女に飽き足らず、の女にまで手を出そうとしているらしい。まあ、それはどうでもいいさ。とにかく、皇帝がふと気がつくと、奇妙な青い――そう、サファイアとかいう宝石に似た色の――光り輝く球体が部屋の中に浮かんでいた。プカプカってな。どうやって現れたのかは分からなかった。そしてそいつが、皇帝の頭上を旋回するようにぐるぐる飛び始めた」

 サファイア?

 俺は少しぎょっとした。でも、そんなことはおくびにも出さずに、

「それでどうなったんだ?」

「皇帝はすぐに警備の者を呼んだ。しかし彼らが到着すると、その部屋には既に何もなかった。青く輝く球体はどこかに消えちまったのさ。もちろん宮殿のセキュリティは万全だから、不審なものが出入りすることなど不可能なはずだ。だから、球体がどうやって皇帝の部屋に入って出て行ったのか誰にも分からなかった。ひょっとしたら、テロリストが作った何かとんでもない兵器の類だったのかもしれない。あるいは――誰も口に出しちゃ言わねえがな――皇帝の頭がちょっと、こう、アレになったのかもしれないな。ありもしない球体の幻覚を見たってわけさ」

 そこまで聞いて、俺はその話に不信感を持ち始めた。どうしてそんな皇帝の安全に関わることが、こんな辺境にまで伝わってくるのか。それに、どうも話が詳細すぎる。

「それが本当なら、きっと帝国の最高機密みたいなものだろう。宮殿のセキュリティや、皇帝の精神状態に関わる話だからな。それを、何でお前が知ってるんだ」

 俺がそう言うと、情報屋はクククと笑って言った。

「情報源は明かせねえな。ま、〈技術者エンジニア〉の筋、とだけ言っておこうか」

 うさんくさい奴だ。お前みたいなのが、〈技術者エンジニア〉にそんなことを教えてもらえるわけないだろう。俺の不信の眼差しに気づいたのか、情報屋はわざとらしく肩をすくめてから、続けた。

「いいから聞けよ。面白いのはここからなのさ。で、その球体は、どうやら世界の終わりを告げるものらしいんだ」

 予想しなかった言葉が情報屋の口から飛び出したため、俺は思わずそれを繰り返した。

「世界の終わり?」

「そう、世界の終わりを告げる凶兆さ。その球体は、すごく遠い――この太陽系のずっと外側の――宇宙からはるばるやって来る。ずっと昔、どこかの異星人が作ったものらしい。その異星人どもはとっくに滅んじまってるそうなんだが、球体だけはずっと存在していて、銀河中を旅してる。サファイアのような球体が、さ」

 正直に言って、俺は動揺していた。しかしそれを相手から――あるいは自分自身からも――隠そうとして、手元のグラスに入っていたウイスキーを一気に飲んで言った。

「とても信じられる話じゃないが、もし、本当だとして、その球体には、何かがあるのか? 何のために、宇宙を旅して、地球までやってくるんだ? それが世界の終わりとどう関係するんだ?」

「何ていうかな、そいつは、死にゆく文明のコレクションをしているのさ。色々な惑星の文化とか歴史とか、そういうものの記録を、集めてるんだ。ひとつひとつ、な。もし滅びても、この宇宙からその文明の記憶が失われないように。一説によると、人間――他の星系なら他の知的生命体だが――の記憶を、個体レベルでひとつひとつ収集している可能性すらあるそうだ」

 その突拍子のない話を、俺はどう受け止めていいのか分からなかった。情報屋は続ける。

「そんなことを繰り返して、いまや球体には、この銀河から失われた数多の文明の記憶が蓄積されているらしい。それはいわば、墓標さ。

 なんだって?

「その球体は、銀河の中で滅びそうな文明を見つけては、そこにやって来る。それでその記録を残す。言い換えると、その球体が現れた文明は、もう滅びそうな文明ってことさ」

 俺はなんとかして冷静さを取り戻そうとして、ウイスキーをもう一杯グラスに注いで、質問をする。

「その球体が、文明を滅ぼしに来るって、わけじゃ、ないんだよな? 球体はいわば、滅び行く文明を、見物しに来るだけなんだろう?」

「その通りさ。球体が攻撃を仕掛けてくるわけじゃない。とにかく何らかの理由で滅びようとしている文明のことを目ざとく察知して、やって来て、記録して、そして去って行く。なんでも、〈大崩壊グレート・フォール〉のときにもこの太陽系に来ていたって噂さ」

 俺は出来る限りの平静を装って尋ねた。

「で、その話に、ババがどう、関係するんだ?」

「そこが問題なのさ。聞いた話だと、ババは官僚時代、その光る球体のことを調査していたらしい。ひょっとしたら、あの〈技術者エンジニア〉どもとさえ協力していたかもしれないという話だ。ちょっと信じられんがな。ともかくババは、その球体の専門家ってことで帝国から呼び戻されたのだろう。にも精通しているらしい」

 その話は、突拍子もないことを除けば、筋が通っているような気もした。しかし、あるいは、ただ俺の頭が混乱しているだけなのかもしれなかった。

 情報屋はこう付け加えた。

「ひょっとしたら、ババにはこの文明が滅びるのを止める方法が分かるのかもしれないな。ババが世界を救ってくれるのかもしれない」

 俺は少し冷静になった。

「ババが球体の専門家なのだとしても、球体が俺たちを滅ぼすわけじゃないんだろ? だったら、どうしてババに世界を救うことが出来るんだ?」

「そこが、分からないところさ。そもそもどうして世界が滅びるのかも分からない。でもきっと、ババが球体と話したりして、世界の滅びる理由を聞き出してくれるのさ。理由が分かれば、対策も立てられるかもしれないさ」

「そんな都合のいい話があるのか? そもそも、その球体は意思疎通したり何かを訊ねたりできるものなのか?」

「知らないさ、そんなこと。分かるわけがない。俺は俺が聞いたことしか分からない」

 それ以上、情報屋から聞ける話はなさそうだった。彼は最後にこう念を押した。

「情報源は、明かせないからな。とくに、帝国の機密や〈技術者エンジニア〉に関わることは、情報源を明かしたら俺の命が危ういのさ」

 やはり、うさんくさい奴だ。そもそも、お前がどうして帝国の機密にアクセスできるんだ。

 情報屋に礼を言って、量子通貨で対価を送信し、通信を切った。


 はるか太陽系の彼方、オールトの雲の向こう側からやって来る、青い球体。気が付くと俺は、ぼんやりと想像していた。それは自分を作り出した主人を、とっくの昔に失っていた。それからずっと、何もない恒星間空間の暗闇で、孤独な旅を続けてきた。気の遠くなるような長い年月の間。そして時たま、滅びゆく文明に出会うと、それを描き残そうとする――その文明が消えてしまう前に。

 いつかリリアが言っていた、渦のことが大好きだった、変な名前の画家みたいに。


――くだらない。

 

 俺はふと我に返って、自分のくだらない妄想にうんざりした。だいぶ焼きがまわったな。インテリのリリアに毒されちまった。

 そもそも、青い球体が実在しようが、しなかろうが、そんなことは俺には何の関係もない話だ。

 たとえ真実が分かったところで、帝国からババを取り返す手段など存在しないのだから。

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