出陣

 月曜日の朝五時、庸平は千紗の部屋の前で待っていた。

「行けるか?」

「あと少し!」

 五分ほどしてバッグを提げた千紗が出てきた。二人とも服装はスーツ。

「よし、行こう」


 伏兵を避けるために、永井組事務所まであえて回り道をして行く。

 歩きながら千紗があくびをする。

 まだ東の空がほの明るいばかりだ。

「気ぃ抜くなよ」

「うん」

 恥ずかしそうに千紗が笑う。

 遠くで、ニワトリが鳴いている。

「大丈夫か?」

「何が?」

「前言っていた…」

「ああ、あれね。うん、大丈夫」

 道が開けて左に、起き始めている町が一望できる。

 千紗が立ち止まった。

「穏やかでいい町ね」

「そうか?」

 俺にとっては戦場でしかない、とは言わないでおく。

「こんなのどかな朝は久しぶりかもね」

 俺が随分と前に忘れた感性だ。

 ふと、たまにはこうしてゆっくりした時間もいいという考えが生まれてきた。


 俺は何を背負ってずっと戦っているのだろうか。

俺が背負うは、国か?

いや、俺自身の美学だ。

 俺だけだ。こんなやっかいなものを背負ってこんなもののために戦っているのは。


 俺だけ!


 それは間違っているということではないのか。

 まあ考えても仕方がない。

 正しい道かそうでないかは後にならないとわからないんだ。だから今は、信じた道を進むだけだ。


「約束の時間になる。行こう」


 林の中の小径をゆく。

 両脇に灯篭が並ぶ石段を下ると、木々の間から朝陽が差し込んでくる。

「今晩は、食いもんに気を取られてちゃダメだぜ」

「わかってるよ」

 千紗がすねる。それを見てフッと笑っていた庸平が急に、深刻な顔つきになった。

 どうかしたの?と千紗が聞く間もなく、左右の茂みから複数の男たちが飛び出して二人を囲んだ。

 どうやら、前に襲ってきた奴らとは違うらしい。

 さて、どうやって千紗を逃がすか。

 斎藤たちは?間に合わない。俺が守らなければ。

 不思議といつもの興奮・快感は湧いてこなかった。


 そこにあるのは使命感か?いや、違う。

 恐怖か?俺が?

 千紗は?少し震えているようだが、俺を信頼している。よし、やってやろう。


「大人しくついてこい」

 と手錠を持って進み出る上段の男に、庸平が手を差し出した。

 錠をかけようと男が庸平の腕を掴んだ瞬間、庸平はその手を掴み返し、右足を下げ踏ん張りながら男を下へ投げ飛ばした。

 それにぶつかった何人かがそのまま石段を転がり落ちていく。

 と同時に、左手の千紗の後襟を掴んで引っ張りながら、右手の男のこめかみへ裏回蹴りを入れ、開いた茂みへ飛び込んだ。

 千紗の肩を抱き斜面を滑り降りる庸平の顔は必死であった。

 斜面を降りると、木造建築の建ち並ぶ住宅街に出る。


「走るぞ」


 複雑に入り組んだ家々の間の路地に駆け込む。

「なんの音?」

 千紗が顔をしかめた。

 確かに何か聞こえる。バリバリと何かを裂く音と、巨大な重機の音。

 角を右に曲がると、それは姿を現した。

 軽自動車一台が通ればやっとという道を、両脇の建物を押しのけながら巨大なトラックが向かってくる。

「戻れ!戻れ!」

 二人はもと来た方へ。後ろを見ると、トラックは角まで来て停まった。

「あそこからは曲がってこれねえだろ」

 と安心したのも束の間、荷台から武装した男たちが次々と吐き出される。

 二人は曲がり角をくねくねと奥へ逃げ込む。

 周囲からは無数の二輪エンジン音が響く。

 庸平は家の軒下のくぼみに千紗を押し込み、シートを被せた。

「ここに隠れてるんだ。すぐに戻る」


 千紗は不安げにシートを握りしめる。

 遠くではエンジン音、銃声も聞こえる。


 するとほどなく、エンジン音が一つ近づいてきた。

 千紗は口を手で押さえる。

「千紗!俺だ!」

 バイクに跨る庸平がいた。

「急げ!後ろに!」

 千紗の手を肩に確認すると、アクセルを全開に回した。


 二人を乗せたバイクは敵を引き離し、永井組屋敷の前に。

 屋敷の中は準備で慌ただしい。一人が庸平たちに気づいた。

「あぁ、桐野さん、伊藤さん!」

「永井さんは?」

「ボチボチ出てきますよ!」

 忙しそうだ。そのまま玄関先で待っておくことにする。ほどなく永井が幹部に囲まれて出てきた。

 庸平が促し、千紗も慌てて駆け寄る。

「永井さん、この度はよろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 千紗も庸平に倣ってお辞儀する。

「うん。自分たちの身は自分たちで守れよ」

「ええ」

 正面に黒い車の列が停まっている。二人は指示された車の後部に乗り込んだ。

 一斉に車が発進する。


 古都の街並みを照らす朝日をバックに、五重塔が遠くに見える。


「きれいね」

「出陣の朝日だな」

 庸平にしては珍しく感傷的なことを言った。

 ふと千紗の顔を見ると、神妙に前を見つめている。


 なんと脆い。

 俺がやられれば、誰が彼女を守る?

 彼女のためには俺がいなければならない。生きなければならない。


 庸平の中で、戦う目的、生きる目的が変化しつつあった。

 この幸福も知らず、命を美しく消費することしか考えてこなかった男に、初めて生きる義務が与えられた。

 それが同時に戦うことへの恐怖を生んだ。

 戦う、というのは簡単なことだった。本能に任せて相手を、斃す。

 何も考える必要がなかった。余計なことを考えない。それが庸平を作り上げていた。

 理屈も感情も邪魔だった。しかし今、千紗を守るという理屈が、戦いに付与された。

 そして千紗への特別な感情も。

 笑い、悲しみ、怒り、愛情…。

 これらひとつでもその胸に抱けば、その感情の種は状況とともに変化する。

 戦いの場においては、感情の種はどのように暴走を始めるかわからない。


 ジッと見つめてくる庸平に千紗も気づいた。

「どうかした?」

「ん?いや、考え事をしていた」

「らしくないね。庸平も緊張してる?」

 と皮肉な顔をしてくる。

「やる気に燃えているんだよ」

 ますますらしくない発言に千紗が思わず噴き出す。

 笑われた庸平は不服だ。やはり慣れないことは言うもんじゃない。

「着いたら千紗は余計なことは気にせず、自分の仕事に専念してくれ。安全は俺が絶対に守る」

「頼んだわ」

 庸平の真剣な眼差しに千紗も気が引き締まる。

 しかし高速道路に乗ると、気づけば千紗は寝入っていた。

 庸平は黙って窓の外を見ている。

 果たして上手くいくか。

 考えるのはやめよう。やるべきことをやるだけだ。


 千紗が目を覚まして外を見ると、遠くに高層ビル群が見える。あの辺りが目的地だろう。

 だとするともう二時間ほど寝ていたことになる。

 外を見ていた庸平も、目を覚ました千紗に気づいた。

「よく寝れたかい?」

「おかげ様で」

「そりゃよかった。もうすぐ敵地に入る。気ぃ引き締めて行こう」

 こんな風に励ましてくることもいつもの庸平からは想像できない。

 千紗に元気を出させようと必死なのだろう。

 ビル群の中に大きなホテルがあり、車はその地下に停まった。

 ホテルの中に入ると、シャンデリアの荘厳なロビーから始まる。

 二人のもとへ永井組の者が駆け寄って来た。

「これがお二人の部屋の鍵です。

 出発は十八時です。遅れないように」

 部屋は十五階のツインベッド、かなりの広さだ。

 窓からは街が一望できた。企業の本社などが集まるビジネス街である。

 二人はそれぞれ色直し、武器の準備を終え、ベッドの前に戻って来た。

「発信機は?」

「うん、大丈夫」

 互いにスマホの画面を見せると、地図上の同じ場所で光が点滅していた。

「はぐれたら、逐一互いの位置を確認するように。千紗は、計画外のことが起きたときはその場を動くな。必ず俺が行く」

「わかった」

「これを渡しておく」


 差し出したのは1丁の拳銃。


「でも、持ったこともないわ」

「じゃあ今持ってみるんだ」

 戸惑う千紗の手に銃を握らせ、操作を教え込む。

「こうしてだな…。よし、構えて」

 背後に回り千紗の手をとる。

「肩の力を抜いて、撃つだけだ」

 そのとき、千紗が振り返った。

「使わなくていいようにしてね」


 その引きつった笑いが、妙にいじらしかった。


「ああ、それが俺の役目だからな。

 だが俺も助けが必要になるかもしれない。

 俺は千紗を信頼しているから、こいつを託す」

 千紗の顔は強張ったままだ。

「これが終わったらまた打ち上げだ。甘い物でもなんでも、千紗が好きなもんたらふく食えるぜ」

「もう」

 千紗が白い歯を見せた。

「そう、その顔だ。気持ちを作るのは顔からだぜ。

 明るくいこう」

「そうね」

 二人は談笑しながら部屋を出た。


 陽も暮れかけた頃、公園敷地内に黒い車の列が入る。

 この公園は厳重な門と塀により関係者以外は一切入れないようになっている。

 車の列は敷地内のずっと奥にあるホールの前に停まった。中央の車から永井が降り、その後ろからは庸平・千紗が降りる。

 永井組の列の中には、組員に扮した斎藤らもいる。

 ホールに入り、それぞれ持ち物検査。

 警備役の組員らは外で待機。会場内に入れるのは幹部、そこに混ざる庸平・千紗・藤田・高橋のみ。

 中ではすでに、政府のお偉方、政府と近い企業や組織の幹部が集まっている。

 政府からは副総理から各省庁幹部までいる。

 立食のテーブルそれぞれで談笑が始まる中、庸平と千紗はどこに混ざるでもなく隅のテーブルで二人突っ立っていた。

「見ろよ。結局は政府も王室も、反社と繋がりを作りに来ている。だが反社に手柄を取られるのは嫌らしい」

「庸平も政府と繋がり作っておいたら?今後のためにも」

「……」

 情報部の藤田や高橋は政府や企業の連中と楽しそうに話し込んでいる。

「私も行こうかな」

「今日はやめておけ。この中にも、もう敵がいると思った方がいい」

「そうね」

 そこへグラスを持った眼鏡の男がやって来た。

「なんだ、ここは随分暗いな」

 誰だ?という顔で庸平が千紗を見る。

 千紗も困り顔をしながら話をしてみる。

「はじめまして…」

「ああ、俺は山内だ。よろしくな。

 君たちは永井組の者かね?」

「はい、そうです」

 相手を千紗に任せて、庸平はしかめっ面のままグラスを傾ける。

 こういう他人の間合いにズカズカ入って来て、そうする方が上位の人間だと勘違いしている輩がいけ好かない。

 しかし山内の目は庸平を捕えた。

「まったく辛気臭い男だ。

 そういう男に限っていざという時にも何もしないし何もできない」

 あ?と顔を上げる庸平を隠すように、千紗が間に入った。

「まあ、こいつは仕事だけはちゃんとやるんですよ」

「君もこんなのといたら退屈だろ。

 あっちで飲まないか」

「いえ、私は…」

 千紗が困っていると、外で警備をしていた林が入ってきた。永井の耳元で何かを囁く。

 すると永井が庸平らを呼びつけ、二人は山内を置いて駆け寄った。

「どうしました?」

「事務所の方で何かあったみたいだ。

 お前たち、ホテルに戻って確認してきてくれ」

「わかりました」


 二人が会場を出ると、玄関前に車が一台停まっていた。その横に運転手が立っている。

 加藤だ。

 三人を乗せた車は公園入口方面へ走り出した。

 かなり広い公園だ。ホールから入口まで車でも十分ほどある。

 その間にも、様々な建物・庭園などがあり道も複雑に入り組んでいる。

 すると突然、車は進路を変え左の道へ入った。

 庸平は座席下からバッグを取り出す。

 バッグの中には拳銃、ナイフから武器が豊富に詰まっている。

 それらを取り出しながら一つ一つスーツの下に装備していく。

 その武器の群れを見て千紗は、これから始まることが現実のものであると認識した。

 急に窓の外が暗くなった。公園内の林に入ったようだ。

 途中、林の中で庸平が降りて何かゴソゴソしていたが、すぐに戻り再び車は走り出す。

 やがて、木々に隠れるように巨大な建物が現れた。


 四角い、岩を積んだようなゴツゴツした建物である。

 入り口前には警備員が二人立っている。

 車はその前に停まった。


「待ってろ」


 と庸平は車を降り、警備員の方へ歩いて行った。次の瞬間には、警備員は二人とも倒れている。

「よし、いいぞ」

 慌てて加藤・千紗も降りて駆け寄る。

「殺したのか?」

「麻酔銃だよ。殺す相手は他にいる」

 加藤も千紗も顔に緊張が表れる。そんなことにはお構いなく、庸平はずかずかと建物へ入っていく。

 慌てて二人もついていく。

「にしても随分警備が甘いわね」

「ここは政府の管理下だ」

「え?」

 という千紗に庸平が振り返った。

「警備が堅けりゃ自分たちも入れないだろ?」


 三人ともサングラスをかけ、口元を布で覆いながら中に入ると、カウンターに女が二人。

 庸平はそこへ近寄るなり機関銃を向ける。

「スタッフ全員を集めてすぐに立ち去れ。危害は加えん」


 女二人は血相を変えて飛び出した。


 スタッフが全員出たのを確認し、庸平が何やらリモコンのスイッチを押す。

 と、外で大きな爆発音。庸平が林の中で設置してきたらしい。

「よし、行こうか」

 と庸平が言うと、さらに二、三発爆発音。

 三人は顔を見合わせる。

「いや、これは俺じゃねえ」

 と庸平。だとすれば答えは簡単だ。

 咄嗟に庸平が指示を出す。

「加藤は計画通り管制室へ。急いでカメラの映像を基地に繋げ」

「わかった」

 加藤が堅く頷く。

「よし千紗、行こう」

「うん」

「ほら」

 と庸平が口を指さす。

「また顔が硬いぜ」

「フッ、そうね」

 顔を見合わせ頷くと、二人は奥へ駆け出した。

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