拾玖:隠微

「マダラ、呪いの件は片付いたのですか?」


「おう。あんたが怪異の毒気にやられて倒れてる間にな。護符も効かないとは弱っちまったぜ」


「それは……その、わたくしの鍛錬が足りないのが悪かったのです。ごめんなさい」


「気にしなくていいって。あんたのお守りも依頼の内だ。警察が呼んだ坊主がガキ共を供養したら、たたりもっけ共も鎮まるだろうさ」


 車の中で目を覚ました沙羅は、辺りを見回してからオレに話しかけてきた。

 しっかりと記憶は失っているらしい。ただ、記憶を喰ったあとにオレと関わっていることがどういうことになってるかまでは読めない。

 記憶を奪っても、強い感情が残っていれば記憶が戻ってしまうこともある。今回は、契約を交わした上で自らの意思で捧げた対価なので平気だと思うが、静はどうしても大丈夫か確かめたかったらしい。


『あっはっはっはっは……。一番大切なモノ……それでもこうなるのか。ボクに対する執着だけは買っていたんだけどなぁ、沙羅』


 大好きな兄様みたいな見た目をしているオレを見ても、怒ったり不安定になったりしない沙羅を見て、静はオレの頭の中で、大きな声で笑った。

 してるぜ。

 皮肉を返すが、静は反応しない。隣でしょぼくれている沙羅を横目に、オレはタクシーを発進させた。

 警察は、ハイキングに来たオレ達がヤバいモノを発見したという証言を信じてくれたらしく「後日事情を聞くかも知れない」とだけ言って、オレを解放してくれた。

 

「呪い屋の妻だったって話だぜ? あの人の良さそうなおばさんがなあ」


「ああ、だから妙なコネクションも持っていたということね」


 沙羅が、首を傾げながらオレの顔をじぃっと見つめている。

 微かにだが、違和感は残っているらしい。新しい記憶が馴染んでいないからってだけかもしれねえが。

 いたずらに頬に触れて見ると、ぴしゃりとその手は叩き落とされた。


「気安く触らないでちょうだい。確かに今回の件は助かったけれど……あなたを信用したわけじゃないわ」


「美人に対しては手癖が悪いんだ。悪いねぇ」


 頬を赤らめた沙羅は、コホンと咳払いをして車窓の外へ目を向けた。


「それにしても……胎児を遺棄して呪いを振りまくなんて……。さすが便利屋のマダラ、ね」


「お嬢様が一人前の怪物師になるまでは贔屓にしていただきやす」


「お嬢様なんていきなり呼ばれても気持ち悪いだけだわ。やめなさい」


 揉み手をして冗談めかすと、沙羅は無邪気に笑ってオレの頭を軽く叩いた。

 それから、スマホへ目を落とす。


『ああ、こんなものなのか。ボクを縛っていた成井家ってものは』


 頭の中で静の楽しそうな声がする。


「それにしても……なんであなたみたいな顔が良いだけが取り柄の怪しい男にわざわざ頼んでしまったのかしら……後悔する点はそこね」


「腐れ縁ってやつだろう? あんたらの一族にはなにかと縁がある生まれでね」


「そうだったわね。実力はあるのだし……まあ、そうね」


 夜の道は空いていて、あっと言う間にタクシーは、成井家の前で止まった。


「じゃあな、沙羅。次の代償は一番大切なものにでもするかい?」


 降りていく沙羅にそう声をかけた。


「あなたみたいな怪しいやつにそんな代償払うわけないでしょう。今回はご苦労でした」


 一瞬だけ目を見開いた沙羅は、すぐに鼻でその言葉を笑い飛ばすように返事をして、背中を向けて家の門を潜っていく。


「あいよ。では、まじない、呪い、悪霊祓いなんでもござれ。便利屋マダラ、またのお声掛けをお待ちしております」


 彼女の背に向かってそれだけ呟いて、オレはタクシーを再び走らせた。


『なあ、斑』


 車窓の外を眺めているオレの頭に静の声が響く。


『お前はボクの為によくやってくれた。だから、ボクももう少しお前に優しくしようと思う』


 珍しいな。どうした? 沙羅から記憶を奪って感傷的になっちまったのか?


『お前は、ボクに甘えられることが好きだろう? なあ、聞いておくれ斑』


 なんだよ。聞くに決まってるだろう?

 こいつは自分の感情を制御出来る。内側に居るときは、感情の揺らぎも影を通してみることが出来ない。だから、声色を信じるなんて愚かなやつがすることだってわかってる。

 

『ボクはお前のものでいてやる。お前が飽きるまで、いつまでも、だ。だからな、斑』


 でも、オレは愚かな怪物ケモノで、美しい人間にはとっても弱いんだ。

 人間に何かを請われる気分が良い。ずっとずっとこの世に発生うまれてから命令をされることしかなかったから。

 それが、静からのものならなおさらだ。


白尾しらおを取り戻すのを、手伝ってくれないか? 方法はまだ完全にはわからないが……お前が、白尾しらおを壊していないのは知ってるんだ』


 オレのはらの中に、白尾しらおの魂を隠していたこと、バレているとは思わなかったなぁ。

 運転手が怪訝そうにこちらを見て来るのも気にせずに、オレは思わず噴きだしてしまった。

 なんとか誤魔化しつつ、静へ言葉を返す。

 ちゃあんと「白尾しらおを生きたまま無力化させろ」って命令、覚えていたんだぜ? まあ、言わなかったことはすこぉしだけ反省している。悪い。


『させろじゃない。ボクが無力化させると言ったはずだが……』


 ひっひっひ。細けえ事はもう忘れちまったよ。

 で、バカみたいにオレはそれを守ってた。

 壊したかったし、壊せたはずだけど、壊す気になれなかったんだ。白尾しらおには、それなりのよしみも、借りもあったしな。


『それは、昔にも聞いた』


 口の中に入れちまえば、厳流いかるにも、喰ったあやかしがどうなるかなんてわからないからな。

 ってことは、気配を消してる間、あんたと混ざり合ったオレの内側を、人間のあんたが探ってたって事か?


『その通りだ』


 命令しちまえば、オレは嘘を吐けないから正直に答えるしか無かったのにな。

 あんたも変わり者すぎるだろ。


『ボクの手で見つけなきゃ意味が無い。それに、ボクはお前に命令したくない。そう伝えただろう?』


 そりゃそうだが……自分の体を乗っ取らせて、あやかしの魂を探るなんて並の精神力で出来ることじゃねえ。狂っちまうことだってあるってのに。

 でも、白尾しらおのこと、いつから知ってたんだ?


『オレはいつでも力になるぜ……そうお前がボクに言ったときから』


 そうかい。

 オレはとんでもない奴に掴まっちまったかもしれねえなあ。

 笑いが込み上げてくる。使役するべき怪物ケモノに体の主導権を与えて、発狂しかねないほどおぞましい化け物の腹の中を探るなんて、まともな神経をしていたら到底思いつかない危険なことだ。

 愛しい静。おもしろそうだからと力を貸した子供が、今、オレの予想を超えてくれた。

 だから、改めて誓おう。お前がオレの宝物である限り、オレはずっとずっとお前の為に生きるって。


 じゃあ、オレの静、言ってくれよ。オレが、どうしても断れない魔法の言葉を、な。


『お前にしか、頼めない。ボクのためにこれからもそばにいてくれ』


「いいよぉ」


 フッと短く息を漏らすような、いつもの笑い方をして、静は気配を消した。

 ああ、まだまだオレは退屈とは縁遠い生活を出来るらしい。

 タクシーから降りて、寝床に辿り着いたオレはベッドに倒れて微睡みに身を任せた。



〈了〉 

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便利屋マダラ こむらさき @violetsnake206

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