拾肆:綻び
むせかえるように暑さで、外に出たことを少しだけ後悔する。
モモと会う前に一仕事してしまおう。あいつがおびき寄せてくれた手掛かりをみすみす逃してやるほどオレも怠惰ではない。
部屋に沙羅がいる間中、窓から覗いていたなにかの気配。部屋にたくさんの撒き餌を置いておいたのにやっと姿を見せるとはな。
本当に、沙羅は巫女や依り代としては最高の逸材だ。
アパートの裏手にある公園は、この暑さのせいか夕暮れだというのに人通りは少ない。人目に付かないように木に登り、妖気の痕跡を辿る。
枝に染みついた負の感情の残滓と一緒に、仄かに生臭い香りが鼻を突く。
『……斑、右の枝を見ろ。獲物は手掛かりを残してくれたみたいだぞ』
静に言われた通りに視線を動かすと、茶色い風切り羽が枝に引っかかっていた。実体を持ってるあやかしか。めんどくせえなあ。
『……羽根の外側にセレーションがある。猛禽類のもので間違いは無いだろう』
猛禽類ってのがわかったところでなぁ。鳥のあやかしなんざ唸るほどいるぜ?
鳴き声でも聞けりゃあいいんだろうが、オレにはなぁんにも聞こえなかったしなぁ。
『ボクたちに聞こえない声……女だけに聞こえる、のか……』
木から下りる間も、静は一人でブツブツと何か呟いている。静は、あやかしや怪異の知識だけではなく動植物の知識も貪欲に調べていた。
その方があやかしの名を特定しやすいと言っていたからしているだけだと言っていたが、オレを扱うのなら力任せに敵を押さえつけて、そいつの口から吐かせればいいだけなのに。
それがわかってからは、文句をなるべく言わずに手掛かりを探すようになった。
『あの女と会うんだろう? あいつも招きやすい。撒き餌として使えるんじゃないか?』
静は、思い出したように、モモのことを持ち出した。
モモと会うときはお仕事のこと考えたくねぇのになぁ。
「招きやすい
わかってるってぇ。ちゃぁんと仕事もするよ。
機嫌が良いのか、オレの返事を聞いて「ふ」と息を漏らすように短く笑った静は、気配を消した。
まだ夕暮れ時だ。そんな急ぐ予定でもないし電車に乗って移動することにした。
学生が多くいるのを横目に、スマホの画面を確認するとちょうど「ポコン」という気の抜ける通知音と共に、モモからの返信が表示される。
「来るときに無糖の紅茶買ってきてぇ」
白いもこもこした犬がハートを抱えている絵文字と共に送られてきたメッセージを見てスタンプを返す。
電車の外に目を向けると、影よりももう少し暗い何かが空を飛んでいるのが見えた。ただの鳥ではない。
いや、そういう素質のない人間には見えないか、ただの鳥に見えているのかもしれないが……。そこら辺にいるやつをひっ捕まえて「アレが見えますか?」と聞いてみるわけにも行かない。
沙羅ほどではないが、モモもそういうものを引き寄せる素質がある。オレ達が餌に使う前に取り憑かれてたりしてな。
『手間が省けていいな……』
まあ、そうだけどさぁ! モモちゃんにはいい感じに小物ばっかりたくさん引っかけていいおやつボックスでいて欲しいんだよなぁ。
大物に憑かれて死んだり、ケガして欲しくないというか……。
『情が移ったか?』
違うって。本当にちょうど良いんだよ。そこら中の悪意や怨念を、ハエ取り紙みたいにべたべたとくっつけているのにぽけーっとしてる子はレアだってのは静だってわかるだろ?
それに、オレに依存してこないし、都合が良い時に遊べるから楽なだけだって。
オレの宝物は、静、お前だけだよ。
『
噛みしめるように、ぽつりとそう言って静は黙り込んだ。
電車が目的地に着いたアナウンスを流す。人の流れに沿って駅を降りて、モモの家近くにあるコンビニを目指す。
『なあ、ボクが望めばお前は……』
コンビニの扉が開くと同時に鳴る陽気な音楽に、かき消されそうな程微かな声で、静は何か言いかけた。
『いや、なんでもない。何かあったらまた声をかける』
すぐに、いつもの冷静さを取り戻したかのような言い方をして気配を消そうとした。
普段、静の考えていることはあまりわからない。少し嬉しそうだとか、そういうのは察することができるが、何をしたいのかとか、何を企んでいるのかなんて伝わってこない。
オレの考えはほとんどこいつに伝わってるのになぁって、ちょっとだけ悔しい気分になる。
でも、今はこいつが何を言いたいのかわかった。わかってしまった。
だから、オレは鼻歌を歌いながら、モモから頼まれた無糖の紅茶をカゴに放り込みながら、頭の中にいる静にこう言ってやることにした。
成井家の頸木から解き放たれた後も、あんたが望むなら、なんだってしてやるさ。だって、あんたはオレの宝物だからな。
『そうか』
クソ。声色からはなんも読み取れねえ。
でも、怒ってなかった気がする。ヒットを打てたと思うんだけどな。女なら、キュンってなってコロッとなるはずのヒットだ。
まあ、簡単にそうなるような相手を、オレも宝物だなんて呼んで大切にしたりなんてしない。
納得の行かないような、ホッとするような微妙な気持ちのまま、モモの住むマンションに辿り着いた。
玄関の開けるなり、ニコニコと笑っているモモがオレを出迎えてくれた。
相変わらず、肩に色々載せてるなぁ。彼女の肩を抱いて、頬にキスをする。顔を離す時にそっと首筋に絡みついている黒い塊を飲み込んで、小腹を満たす。
本当に都合が良くて、そういう意味ではとても好ましく思っているのは確かだ。
「待ってたよー! ちょうど会いたいなーって思ってたの」
「なんだよ。もしかしてぇ、まーた呪われでもしたか?」
さっき買ってきた無糖の紅茶を手渡しながらそれとなく異変がないか探りを入れてみる。
「ちがうよぉ。あ、でも最近ちょっと困ってるから手伝って欲しいかも」
「ん? なになに?」
「このネット、バルコニーに張ってくれない? なんか鳥の鳴き声が五月蠅くて……梟の鳴き声がして、羽根もたくさん落ちてるんだけどなかなかいるところが見れなくてさー」
モモが指を指したので、バルコニーへ目を向けてみると、物干し竿にびっしりと止まっていた大量の黒っぽい鳥が、一斉に飛び立ったところだった。
「マジかよ」
『本当に都合が良い女だなこいつは』
呆れと感心の間みたいな声の静が、頭の中でぽつりと呟く。
その言葉に同意しながら、オレはモモから手渡された鳥よけネットを受け取った。
まあ、あやかしだって言って怖がらせるのも面倒だし、頼みを聞いておくか。
「マダラ、お願い。今日はどんなお願いも聞いてあげるから」
「……任せとけってぇ」
笑顔を作って、オレはバルコニーへ出る。足下にたくさん散らばった羽根を踏みながら、張っても無意味であろう鳥避けネットの取り付けに数時間を費やした。
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