兄妹編

拾参:結び

「もう……えっちぃ……マダラったら、まだするのぉ?」


 オレの上に跨がって腰を振っている金髪の女に口付けをして、首に手を回す。

 一年間コツコツとをして来た甲斐があった。

 来る者拒まず、去る者を追わずでいたら、沙羅と約束をした時に限って部屋に三人も女がいる。

 ジャンクフードをたくさん食べたいときもあるにはあるけどさぁ……。部屋の扉がノックされる音がした。綺麗な薄い唇をへの字に曲げて思いっきり眉を顰める沙羅の顔を思い浮かべると、笑いが込み上げてくる。


「機嫌よさそーだねぇ。また誰か来たみたいよ?」


 舌っ足らずな声でそう言われてやっと返事をし損ねていたことに気が付いた。

 返事をする代わりに深くまで自分の牙を突き立ててやると、あられもない嬌声が口から漏れる。


「鍵は開いてるよぉ」


 ガチャリと乱暴に扉が開くと同時に、大きな溜息を吐くのが聞こえたけど、わざと無視をする。

 足音を荒げて部屋に踏み入ってくる沙羅がオレの背後で立ち止まる。


「マダラぁ……あの子だれ?」


 きっと、沙羅は鋭い目付きでこちらを睨んでいるんだろう。少しだけ怯えたような表情をした金髪の女が、耳元に口を寄せて小声で囁く。

 質問に答える前に、オレの肩はグイッと力強く後ろに引っ張られた。振り向いてみると、静によく似た涼しげな瞳に嫌悪の感情をありありと浮かべている沙羅の顔がある。

 山なりの眉も、薄くて整った唇も、白磁のような滑らかで白い肌も、ツインテールに括られた烏の濡れ羽色をした細く柔らかい髪も……静の幼い頃を見ているみたいだ。そんな端正な顔を嫌悪感で歪ませながら、オレを睨んでいるのだからとても気分が良い。

 熱を取り戻しそうな自分の牙を、オレに跨がっている女からそっと抜いて、口角を思い切り持ち上げる。


「そんな怒るなってぇ」

 

 ちょうど、シャワーを浴びていた女が出てきたのか沙羅の背後に立つ。

 少し回転が遅いこいつらにとって、沙羅はさぞかし苛烈な女に写ってるんだろうなぁ……。

 感情を抑えるなんて知らないみたいに、ぎりりと歯ぎしりをした沙羅を指差して、風呂上がりでタオルを体に巻き付けただけの女が首を傾げて、口を開いた。


「だぁれ?」


いもーと


 クックックと肩を揺らしながら、上に跨がっている女を退ける。ずるりと中から引きずり出されたオレの牙が、また熱を持ちそうだったがめんどくさいのでさっさと手近にあるタオルを局部にかけて、沙羅を見た。


わたくしは、お前の妹ではないわ」


 険しい目付きのまま顎を上げ、こちらを見下ろすように睨み付けてくる沙羅を茶化したくなるのを抑えて、オレは彼女から視線を逸らす。


「はいはい」


 汗ではりついていた前髪を掻き上げてから、適当な服を渡してやる。女も、流石にどんな状況か察したらしく、のろのろと下着と服を着始めた。


「用件があると伝えていたはずです。さっさとこの部外者共を追い出しなさい」


 組んだ腕を人差し指でトントンと叩きながら沙羅はそういうと、大きく溜息を吐く。怒鳴り散らさないということは、これでも怒りを抑えているつもりらしい。

 可愛い子供の精一杯の努力をからかうのはやめておいてやろう。まあ、沙羅をおびき寄せるための撒き餌みたいなもんだし、こいつらとはここいらで縁を切っておいて損はないだろうし。


「ってぇことで、悪いけどここで解散かーいさーん


 手をパチパチと叩いてこっちに意識を向けさせる。オレの隣にいる女、沙羅の後ろにいる女、それとベッドに座っている女とそれぞれ目を合わせて、軽い暗示をかけてやった。

 記憶を奪うことと危害を加えることは禁じられているが、操ってはいけないなんて決まりはない。それに、部外者を追い出せとちょうど沙羅が命じてくれたところだ。

 大人しく服を着た彼女たちは、ぼうっとしたまま部屋から出て行った。

 これで最後だ。首に手を伸ばしてきた女に「ご苦労さん」と告げながら深い口付けを交わして送り出す。

 まるでゴキブリでもみるような目で、部屋にたむろしていた女達を見送った沙羅は、ずっと口元に当てていたハンカチを下ろしてこちらを見た。


「まじない、のろい、悪霊祓いなんでもござれ。便利屋マダラでございやす。さあて、ご依頼はいかがなもんで?」


 わざとうやうやしく頭を下げて、用件を聞いてみる。

 何も答えてくれないものだから、顔を上げてみると、沙羅のつり上がった眉が怒りでひくひくと動いている。思わず笑いそうになるのを耐えて、肩を竦めた。


「服を着なさい」


 それだけ告げて目を逸らしたので、仕方なく言うことを聞いてやる。パンツは……遠くにあるから、まあ、局部さえ隠せればいいか。

 部屋着のTシャツとサルエルパンツをとりあえず身に纏ってから、ソファーに腰を下ろした。

 どんなことをされても鉄仮面を貫き通す静が、ふと表情を緩める瞬間は全身がゾクゾクするほど快感だが、それとは別に、静によく似た顔がコロコロと表情を変えるのも面白い。


「まあ、座ってくれよ」


 オレの言葉を無視した沙羅は、腕を組んだまま座ったオレを睨み付ける。


「呪いの調査と解決の依頼よ。依頼料なら……」


 ああ、予想通りだ。祓い屋のテリトリーで危険を冒した甲斐があった。

 沙羅がまとめたのであろう事件の概要を書いたファイルを受け取りながら、オレは首を振って目線だけ上げて彼女の顔を見る。


「ああ……金なんていらねぇよ。オレはちゃぁんと言ったはずだぜ?」


 一瞬、ビクリと体を強ばらせた沙羅だったが、ハッとした表情を浮かべてから態度を取り繕う。

 怪物ケモノに舐められてはいけないという涙ぐましい努力だが、見え見えの去勢はあやかしオレ達には通じない。

 生唾を飲んで、緊張を隠しきれないでいる沙羅に札束の入った茶封筒だけ押し返して、腕を伸ばした。

 沙羅の細い首元にそっと手を触れる。


「対価ってえのはな、大切なモノ、寿命、霊力……成井家からの依頼はそういうモンをもらえってのが御主人様との契約なんだよなぁ」


 オレの差し出した手から逃れるように、一歩後ずさった沙羅は茶封筒を持っている学生鞄にしまい込むために俯いた。


『もし、もし……だ。沙羅の捧げる対価が成井家から逃げたいのだとしたら、こちら側へ引き入れる』


 さっきから黙ってやりとりを見ていた静が、口を挟んできた。

 全てを諦めたような面をして、まだ家族に情が残っていたのかと意外な気持ちになる。

 まあ、妹はあんたにも白尾しらおにも、酷い事なんてひとつもしてないもんなぁ。で、家にあんたを連れ戻そうとしたら……容赦なく大好きなお兄ちゃんの記憶を奪っちまうのかい?


『当たり前だ。ボクをあの家に戻そうとする者は全て消す』


 さっきの柔らかい声とは打って変わったような、冷たいゾクゾクとしてしまうような声。きっと、オレが静を成井家に連れ戻そうとしても、妹にするのと同じように、どんな手を使ってでもオレを消しちまうんだろうな……と思わせてくれる。


「女性の友人ばかり数人、体調を崩しているのよ。頼まれて霊の仕業なら祓おうとしたのだけれど、どうも呪いのようだからお前に頼みに来るしかなかったの。金銭以外の対価も、もちろん払います」


 沙羅は、鞄の留め具をきっちりと留めてから顔を上げてそう言った。

 背筋を伸ばして、まっすぐに前を見ている。膝が小さく震えているのは見ないフリをしてやるが……少しだけ意地悪をしたくなる。


「へぇ……呪い、ねえ。そういや、嬢ちゃんはまだ怪物ケモノは従えないのかい?」


 膝に肘を立てて、組んだ指の上に顎を乗せた。

 沙羅がまだ怪物ケモノに触らせて貰えないのは、匂いでわかる。持ち前の気質もあるが、そうじゃなくてもこれだけ感情の起伏が激しいんじゃあ、どの怪物ケモノもこいつにひっぱられて暴れ出すだろう。

 下唇をぎりりと噛み、きっと目をつり上げた沙羅は、胸を反らしながら頬を紅潮させた。


「それ以外の理由でわたくしがお前に頼る理由はないでしょう。それに……お前に対価を祓い霊力を食わせれば兄様は早く目覚めると聞きました。なんとしてでもお前には協力してもらいます」


 及第点だ。格上のあやかしに怯まずに頼み事をしたことだけは褒めてやりたくなる。

 まあ、仕えていた家のよしみというヤツで、静がいい顔をしないのはわかってるんだが。

 立ち上がって、沙羅の肩に腕を回す。

 彼女がオレの腕を払いのける前に耳元に顔を近付けて、オレはこいつの対価を聞き出すために心を揺さぶる。


沙羅さら、あんたの覚悟を見せてくれりゃあいい」


 ぎりっと奥歯を強く噛む音が聞こえた。目を見開いて、紅潮させた頬は僅かに震えている。

 静の見た目で、静と遠いことをすれば、面白いほど感情が揺れる。こいつといると、オレですら感情が引きずられて高ぶっちまう。あやかしや神を自分の感情にひきずりこむ手腕は本当に天下一品のものだと思う。

 巫女としてなら、名を挙げられただろうになぁ……と同情しながら、オレは沙羅から顔を離す。


「そうさな……一番大切なモノを対価に出してくれ」


 さあ、どう答える。

 目を泳がせて、必死に考えている沙羅を静に見守る。

 無理矢理に答えを言わせたんじゃあ、つまらない。

 大切なモノを対価にするなんて下手な真似、一流の怪物ケモノ使いならしちゃあいけない。そんなのは百も承知だと思うが……。

 はっは……と浅い呼吸をしているのがわかる。


『……ここで迷うようなら、使い物にならないだろうな』


 ニヤニヤして見守っていると、静がしびれを切らしたようにそう言った。

 ああ、そりゃあ、好きにやっちまっていいってことか?

 オレの質問に、静は何も答えない。そりゃあ、やっちまっていいってことだ。

 深呼吸のために、沙羅が息を思い切り吸ったタイミングで声をかける。油断をした獲物に飛びかかって首筋に牙を突き立てるように……。


「あんたの大切なお兄ちゃんを取り戻すための覚悟ってやつがオレぁ見たいんだよ」


 鳶色に綺麗な瞳が、ギラリと輝く。

 握り込んだ拳は力を込めすぎて、指先が白くなっている。掌に爪が食い込んでいる痛みも感じていないように、彼女は唇を小さく何度か開閉させた。吐息だけが僅かに漏れるが、言葉は聞こえない。

 あと一押しだ。何かに縋ろうとしている小さな子供に、優しく手を差し伸べてやる。


「嫌ならいいんだよ。オレも成井の怪物ケモノには変わりない。主以外からの命を断ることは出来てもぉ、契約を無理強いするなんてできねぇからなぁ」


 本人に自覚はないのだろう。小さく「あ」と声を漏らした沙羅の髪をそっと撫でる。目を細めて、口角を僅かに持ち上げる。

 怒りと、軽蔑と動揺、そして兄への恋慕。こいつの中に入り込まなくても伝わってくる。兄への親愛の気持ち、オレへの憎しみ、怒り。

 オレの下半身が熱を持って微かに首をもたげる。ああ、ああ、もっともっと浴びさせてくれ、あんたの静への羨望を……。

 綺麗な静。完璧な静。優しくてなんでもできて、いつでも冷静な静。

 そんなお前の理想の存在は、今オレのものだよ。絶望した顔も憎悪に満ちた顔も泣いた顔も笑った顔も全部、全部、オレのものなんだ。

 そう言いふらしたいのを必死で耐えながら、オレは沙羅にわざと背を向けた。


「兄ちゃんに会いたいくらいで、一番いっちばん大切なモノをオレに捧げられるわけないか」


 揺れている相手に最も効果があるのは、退いてみせることだ。

 焦って判断能力を失った子供は、容易く判断を違えてくれる。


「黙りなさい」


 反射でそういったのだろう。ゆっくりと振り返ったオレは、沙羅がしまったとでも言いたげに口元に手を当てたのを見逃さなかった。

 こいつは本当に、表情が豊かで飽きないな。静とは真逆の面白さだ。


わたくしの覚悟は本物です。いいでしょう。兄様を呼び出した後に、わたくしの一番大切なモノを対価として支払います」


「いいよぉ」


 ああ、そうだ。それでいい。

 静が「ふ」と息を漏らすように短く笑って、また気配を消した。なんだよ最後まで見ていけよなと思いながらも、動きを止めるわけにはいかない。

 腕を伸ばして、沙羅の細い手首を掴んで、口元へ持っていく。犬歯を牙に変化させて、彼女の親指にゆっくりと突き立てる。

 痛みで顔を顰められたが、これは契約に必要な痛みだからオレの魂も体も無事だ。ほんの少しだけしか口に入っていないってのに、甘い甘い砂糖水をさらに煮詰めたみたいな味が喉を焼く。

 食らいつきたくなる気持ちを抑えて、オレは血の流れる沙羅の親指で自分の頬を撫でさせる。

 あやかしだけじゃなく、神までも酔わせるこいつの血は、本当に美味い。口角が持ち上がるのを耐えられず、オレは笑みを作る。


「あんたがオレに命じれば、一度だけ我が主はこの体に戻る。まあ、長くても一日しか保たねえがな」


 手を離す。これ以上持っていたら、体が焼かれるとわかっていてもこいつを喰ってしまいそうになる。

 ぼうっと呆けた顔をしていた沙羅が、慌てて目をつり上げて、両腰に手を当てた。可愛らしく胸を反らした彼女は小さく咳払いをしてからオレの顔を見上げる。


「それで十分です。魔を祓い、功績を積めば力も強まりその責も軽くなるのでしょう?」


「そぉだけどさあ」


 あやかしや怪異を喰らい、体内に霊力を高めればオレと静は強くなる。嘘ではない。静が自分に施した呪いも、解けるには解けるらしい。本人が望んでいないので、解けたとしてもあいつがオレを追い出すかなんてわからねぇが。

 沙羅は、オレの返事を最後まで聞かずに、言葉をまくし立てる。


「成井家次期当主代理に二言はありません。それと、沙羅と呼び捨てにすることを許した覚えはありません。わたくしのことは、お嬢様と敬って呼ぶように」


「あいあい。わかったよ、お嬢様。契約成立だ」


 ああ、ご主人様ごっこにも特別サービスで付き合ってやろう。こいつは一番大切なものを捧げてくれるんだから、最後に見る夢くらいいいものにしてやるとするか。

 さっき付けた沙羅の血が体の中に染みこんでいく。上等な酒を飲んだ時みたいに気分が高揚する。

 半口を開いてオレの体に血が吸われていくのを見ていた沙羅は、ハッとしたように背筋を慌てて伸ばすとくるりと回れ右をした。

 二つに括られた髪がさらりと靡いて、甘い匂いがふわりと香る。


「んじゃあ、調査はして置くから気をつけて帰れよぉ」


 扉を開いて外へ出ていく沙羅の背中にそう告げたが、彼女は振り返らずに、乱暴に扉を閉めて出て行った。

 沙羅に引きずられて昂ぶらされた感情が一人で処理できそうもない。静の気配もないことだし、好きにやるか。

 テーブルに放置していたスマホを手に取ったオレは、久し振りにモモにメッセージを飛ばしてから、服を着替えて外へ出かけた。

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