眠れない夜の道連れ

千羽はる

眠れない夜の道連れ

眠れない夜は、決まって「あの夢」がやってくる。


こちらの意識が覚醒していようとしていなかろうと関係ない、はた迷惑なモノ。


それは決していい心地ではなく、けれど拒むことも許されない。


この街では、眠らないものは「悪い子」だから、と皆は言う。


連れていかれる。


・・・


―――あぁ、やってしまった。


ちゃんと睡眠薬も呑み、風呂にも一時間以上前に浸かり、眠る準備は万端だったのに、眠れなかった。


だから、きっと今日もやってくる。


カーテンを閉める前に見た空に、きょとんとした無垢な子猫の目のように丸い満月があったのだから、確実に「アレ」はやってくる。


諦めと、そして恐怖が絵の具のように混ざりあう。きっと今、僕の心の中を紙にしたためたなら、極彩色のマーブル模様になるだろう。


そして案の定、寝返りを打った瞬間に、それがきた。


僕の短い人生の中で怖かったことの一つに、海水浴でうっかりと海藻に引っかかったこと、というのがある。


慌てて離れようとすればするほど、身動きが取れなくなって、網にかかった魚の絶望を否応なしに知らされたあの恐怖。


その時と非常によく似た感覚が、まったく安全な布団の中で再現された。


しっとりと冷たい3本の触手のうち、2本が右腕に、1本が左腕に。


「ほらいくぞぉ」と絡みついてくる。


逃げることは許されず、その背筋に氷が這う様なおぞましさの前では反抗の意志すらへし折れる。


すさまじいスピードでどこかへ引っ張られる感覚が、ぎゅっと目を瞑っていても、わかる。


日常では決して味わうことのない、ぞっとする感触ではあるが、この街の住人であれば慣れたもの。


目隠し座席なしジェットコースターの感覚が収まったところで、うんざりした気分で目を開く。


そこは、光源の見当たらない不可思議な紫の光に包まれた異形の群れ。その、最後尾に僕は立つ。


前にいる者達の顔立ちは、本当に様々だ。


顔のないのっぺらぼう。ひゅるりと長い首の美女。朽ちかけている最中の犬もどき。靄に包まれたトラックよりも大きな生物は、おそらく凝視しない方が賢明だろうな。獣の顔をした人間の姿もあれば、下半身が獣で上が人間という者も多い。どこをどう見てもスケルトンな骸骨も、本来土の中にいるべきだろうに、意気揚々と歩いている。


そんな連中の最後尾につくことになった僕は、個性のないパジャマを着ているだけの本当にただの一般人だ。


「あぁ、またか……」


眠れない日は、いつもここに連れてこられてしまう。3度目となると、もう腰も抜けない程には慣れてしまった。


僕の呻きのような呟きを聞き留めたのだろう。


すぐ前で歩みを進めていた、軽自動車を縦にしたらちょうどこの高さになるだろう昆布腕を持つ異形が振り返る。


身長(?)の高い異形だが、顔の高さは僕の胸のあたり。

ひょろりと薄いその顔が、覗き込むような上目遣いと共にニンマリと微笑まれた。


「悪い子悪い子、今日はお前も道ずれじゃ」


「—――わかってるよ」


満月の夜に眠れないものは、異形と一緒に街を練り歩かなければならない。


それが、昔から続く、不思議なこの街の伝統である。


・・・


昆布腕は、もう片方(数本)の腕に何人か僕と同じ境遇の人間たちを引っ張り込んでいたらしい。


この街の人間だとすでに慣れたものなのだが、外の市からきたらしい壮年の男性が口から泡を吹いて気絶しかけつつ、ずるずると昆布腕に引きずられながら歩いていた。可哀そうに。


不慣れな彼に同情はするものの、生まれてからずっと住んでいる僕らからしてみれば、彼の方が不思議だ。


だって本来、夜は彼ら異形の領域で、彼らの王国だったのだから。


今の時代がおかしいのだ。明かりが強すぎて居場所のない彼ら。人の命が高慢すぎて居場所を失った彼ら。


でも、この街は唯一、彼らが「普通」でいられる場所なのだという―――不思議と、これらの知識は昼間の間は忘れており、こうやって連れ出されている間だけ思い出す。


「よかったよぉ、鬼使(キシ)がいる街がまだあるから、ワタシらこうやって楽しめるんだもんさぁ」


と、僕の腹を一周してけらけらと笑う首の長い美女は言う。


彼女は群れの中でも姐御肌で、人間にも優しいので有名だ。


ちなみに昼間はレジでモテまくり、令和の時世に彼女を巡って決闘まで始まったという、ある意味伝説的なコンビニ店員だとか。


年齢はもちろん非公開だが、夜眠れずに何度か連行されている僕とはもはや顔なじみの間柄である。


「鬼使って、確か地獄の番人?」


「ううん。ワタシたちを見てる、ただの管理人だよぉ。地獄の番人だったらもっとアメコミみたいにマッチョじゃないと面白くないじゃーん?」


そういう問題だろうか?


彼らの間でよく話題になる「鬼使」という存在を見たことがない僕にはよくわからないので、曖昧な微笑みで話題を流すことにした。


「で、今日はどこに向かうの?」


「もっちろん。いつものとこまで」


ひゅるりんと首を回して、美女は楽しそうに笑う。


彼女の腕にはしっかりと、自身のコンビニで仕入れてきたらしいワンカップが10個以上エコバックに入れられていて、ガプン、と重量と水気のある音を立ててわざと揺らされた。


「せっかくの満月の夜だもん。飲んで飲んで飲みまくるのだぁ!!」


・・・


今宵は満月。


異形の群れ――百鬼夜行は、ビルよりも高い場所を目指し、目に見えない階段を、ゆっくりゆっくりと進んで行く。


誰もが寝静まった夜。


満月の情け容赦ない存在感のせいで、小さな星が隠れた夜。


ギラギラと場をわきまえずに輝き続ける地上の光さえ、生きる人の目には見えない靄で真っ暗闇の中にある。


今宵こそ、異形のための宴の日。


かつて【神と謳われた鬼】の意志を現世まで継ぐ者が、闇を憎んだ人によって弾き出された異形のためにあつらえた無法の日。


夜行の中で、誰かが歌い始めた。


【夜に忍び、闇に言祝ぎ、我らは往こう。


 望月の足元へ、紅の座する場へ、鬼の守りを胸に抱き、悪しき人の子連れ去って。


夜に言祝ぎ、闇に忍び、我らは往こう。


酔い畏れ、笑い酔え。我らは往こう。世の果てへ。悪しき人の子連れ去って】


ケタけたケたけタ、ケタけたケたけタ。


怪異達の狂い咲いたような歌声が、ぎょろりと見開かれた目玉の満月の下で木霊する。


・・・


やんややんやと、人の姿をしていない者たちが騒ぎ踊る。


そこは、不思議な夜空の原。


後ろが透けて見える桜の大木がそびえ、足元に小さく光の点る街を見下ろすことのできる場所こそ、異形たちの宴会場。


僕のように夜眠れなかった人間も巻き込まれ、彼らに振り回される。


関節が異様に多い筋張った手を持つ巨人に手を握られて、くるくると廻され踊る女の子の笑顔が弾けている。


泡を吹いていた壮年の男性は、一つ目の爺様と一緒に日本酒の呑み比べでお互いに赤ら顔。


小生意気そうな小さな男の子は、のっぺらな女の子と一緒に流行りのカード遊びに興じている。


その上では、卵の黄身のように色鮮やかな満月が輝いている。


少し手を伸ばせば触れられるだろう身近さで、満月が異形たちのために光っている。


首の長い女性は相変わらず僕の胴体に巻き付いていた。


ふわっと鼻をくすぐる甘い香水が近くて、ボーイッシュな服装に隠れた意外にグラマラスな身体を意識してしまう。


相手は怪異だと言い聞かせても、僕の心臓の高鳴りは止まない。


美女は、顔を身体がある方と反対側の僕の肩に乗せながら、ほろ酔い顔で微笑む。


化粧っけがないけど整った顔立ち。

怪異でないなら、彼女はモデルで不動の人気をつかめたのかもしれないな。


「あ、ほら。いたよ」


「え?」


彼女の指さす先、背後が透ける桜の枝の上。


そこに、不思議な雰囲気をまとう女性がいた。


鮮血を連想する血色のカーディガン。癖のない艶やかな黒髪を夜風になびかせ、異形たちのどんちゃん騒ぎを呆れ顔で一瞥している。


その顔の造作まで見えない程遠い場所だったが、それでも、彼女が圧倒的な存在感を放っているのがわかる。


「あれが鬼使様。ワタシたちをああやって見てくれてるんだよ」


「そうなんだ……」


僕は立ち上がった。どこか遠い場所にいる様な雰囲気を持つ彼女と、話したいと思ったのだ。


「やめときなぁ」


立ち上がった僕を、首長女が止める。

どうして?と僕が問うと、彼女は今まで見たことがない微笑を浮かべた。


……なんだか吸い込まれそうだ。


黒く輝く瞳には果てがない。


甘い香りで頭がクラクラする彼女の手が、僕の顔をがっしりと挟んだことが、僕を見捨てかけている五感を通じて、遠い場所から届く。


彼女の瞳が、ひときわ強く輝いた。満月が移り込んでいて、まるで猫のよう。


金色が、僕の中で強烈に突き刺さり、侵入し、心臓を、心を、優しく、しっかり、離さないように、掴まれる。


今まで以上に親しみが込められ、そして、それ以上に邪悪な気配を滲ませた怪異らしい微笑みが、ぼくを、呑み込んでーーー!!?


「だぁって、きみ、まだ消えたくないでしょう?せっかく死んでからも、こうやって遊んでられるのにぃ」


「………………………え?」




・・・


「おい、アヤ。—―いや、ろくろ首」


「んはぁい。今日も良いお月様ですねぇ、鬼使様?」


「まったく。お前たち、また人間の霊魂を絡めとって歩いたな。満月の夜は魂が抜けやすいが、わざわざ「自分たちに身近」な人間を抜く奴があるか」


「大丈夫ですよぉ。みんな、ちゃんと朝になったら返しますからぁ」


「……お前がその首に絡めとっている人間は、どうみても死んでるが?」


「この子は三回も一緒に遊んじゃいましたからぁ。でもでも、ワタシは、ちゃんと良い子にしてましたよ? 精気はギリギリ残してお返しするのが、この街の流儀ですもん」


「………確信犯だろ、お前。」


「えー?なんのことです??今日は彼、睡眠薬を飲み過ぎちゃったんですねぇきっと。………体は持ってこなかったもの」


「……ハァ。この街の人間も大変だな。百鬼夜行が起こる満月に眠れなければ、こうやって霊魂引っこ抜かれて死にかけながらの宴会だ。「こちら側」の中毒になる人間もいるだろうよ」


「ふふふふふふふ。こうやって生きてきたし、これからも生きていくんですぅ。—―――令和の怪異はね」


・・・


帰りは後ろを振り返ってはいけない。

それが、この街の人間が生き残るための流儀でもある。


怪異達はほろ酔いではあるが、しっかりと一人ずつ、捕まえた人間たちを家に帰して行った。


人よりも彼等に惹かれ、その宴がとても楽しくても、どれだけ名残惜しくても。


もしも、バイバイと言おうとして、後ろを振り返ったら―――――。


永遠に、彼らの道連れとなるだけなのだ。



――――――僕のように。

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