第12話「BE TO 陰!YO!YO!陽!」

 ツナに言われるまま、セツヤとカナミは客人になった。

 その道すがら、カナミから最低限の説明を受ける。

 平安京が栄えた時代、みやこを守る武家の頂点に君臨したのが源氏である。そう、後の世の源平合戦げんぺいがっせん、牛若丸とか弁慶べんけいとかが出てくるあの源氏だ。

 そして、今宵こよいの京には鬼が出た。

 この時代の人間ならば、鬼としか思えぬ異邦人エトランゼたちとの遭遇だった。

 そんな一夜を生き延びた二人には、なによりもまず休む寝床ねどこが与えられたのだった。


「んっ、ん……あ、あれ? ああ、そうか。夜も遅いからって昨日は確か……」


 ふと目を覚まして、セツヤは小鳥のさえずりを聴いた。

 朝日はどこか弱々しく、障子しょうじの向こうで庭を照らしている。

 たたみに布団を敷いた和室の中で、ゆっくりとセツヤは身を起こした。

 そして、横に安らかな寝息を感じて視線を滑らせる。

 隣の布団では、よほど疲れたのか眼鏡めがねをかけたままのカナミが眠っていた。そっと手を伸べ、静かに眼鏡を取ってやる。カナミはどうやら寝入っているようで、僅かに鼻を鳴らして寝がえりを打つだけだった。


「それにしても……さっぱりわからない。歴史は苦手なんだよな。年表とかあるしさ」


 ひとちて起ち上がり、庭に面した障子をそっと開ける。

 借りた寝間着を引きずるようにして、セツヤは外に出た。祖父母の家にある縁側のような場所だが、スケールが違う。

 流石さすがは源氏の総本山、武家屋敷といったたたずまいである。

 そして、なんともみやびな庭園の中央で、木刀を振るう人影があった。その人物はセツヤの視線に気付き、鍛錬を中断して振り返る。


「やあ、お客人。昨夜は災難だったね。よく眠れたかい?」


 第一印象は、おだやかでほがらかな好青年。

 だが、肌も露わな上半身の筋肉は、無数の古傷と共に精悍な肉体美を形成していた。一流のアスリートのように、無駄な肉が全くない。

 セツヤはさむらいらしき青年にぺこりと頭を下げる。


「あ、ども。お世話になってます。一応、その、ありがとうございました」

「うんうん、気にすることはない。昨今の都は実に物騒だからね。怪異がのさばり、鬼が出る。……あとは、鬼火おにびかな?」

「鬼火、ですか」

「ああ。妙な光で、まばゆいかと想えど火種はない。そして、よからぬものを運んでくる」


 そこまで言って、歩み寄ってきた青年は木刀を向けてきた。

 刃のない切っ先を突き付けられて、金縛りにあったようにセツヤは動けなくなった。微笑ほほえみを浮かべてはいるが、青年からははっきりと殺気が感じられた。

 下手な言動は即、命の危険に繋がる。

 セツヤはそう察したが、恐怖に震えることすらできない。

 目の前の男は、静かに問いただしてくる。


「お綱の話によれば、君はその鬼火の光から現れたそうだね」

「……は、はい。その、ゲートっていって」

「げえと?」

「異なる世界同士、違った時間軸同士を繋げる謎の技術です。それがたまたま、俺の中学にあって……」

「ちゅうがく……ふむ、さっぱりわからん! はっはっは、私は難しい話は駄目なんだよ。悪かったね、少年。ええと、名は」


 改めてセツヤは名乗り、まだ寝ているカナミも紹介する。

 男はどうやら、二人を夫婦か姉弟と勘違いしていたようだ。それで同じ部屋に寝かされてたのかと思うと、今になってセツヤは耳たぶが熱くなる。

 だが、男はトントンと木刀を肩で遊ばせながら笑った。


「私の名は頼光ライコウ。源氏の棟梁とうりょう源頼光ミナモトノライコウだ。この都の守護を任されている」


 申し訳ないが、全くわからないし知らない。

 そもそもセツヤは、侍の時代は全て江戸時代だと思っていた程の歴史音痴おんちである。だが、今は知らないわからないとばかりは言ってられない。

 とりあえず、かなり偉い人だと踏んで話を進めてみた。


「えっと、今の京都……都って、そんなに治安が悪いんですか?」

「ああ、悪い。最悪だよ。もののけのたぐい跳梁跋扈ちょうりょうばっこし、夜な夜な鬼が往来を闊歩かっぽする。おまけに、宮中にはたちの悪い女狐めぎつねが出る始末だ」

「は、はあ」

「残念だが、今の都は無法地帯。民も怯えてうつむくばかりで、みかどもそれはそれはおなげきだ。だが、我ら武家の力をもってしても鬼は倒せなかったんだよ」


 昨夜、綱が言っていた。

 二度の敗北はないと。

 その言葉の裏には、忘れがたく耐えがたい屈辱が潜んでいたのだ。

 頼光もそのことを思い出したのか、苦々しい笑みを零す。


「昨夜の鬼は、あれは茨木童子いばらぎどうじだな。よくぞ無事で……お綱の助けがなかったら、今頃はしゃれこうべとなって野ざらしだね」

「あ、その、鬼なんですけど……なんて説明したらいいのかな」

「奴らの正体を知っているのかい? まさに神出鬼没、どこから来た邪悪やら」

「俺もよくわかんないんですけど、あれって人間が乗ってる機械なんですよ」

「きかい、とは?」

「あーもぉ、なんて言ったらいいかな。ロボット……そう、人間が中に入って操る人形なんです」

「ふむ、傀儡くぐつ呪具じゅぐか……なるほど。ありがとう、セツヤ。――綱! お綱はいるか!」


 不意に頼光の瞳が強い瞳を宿す。

 彼が見もせず呼びかけると、すぐに屋敷の奥から少女が現れた。昨夜と同じく、長い髪を総髪ポニーテールに結って身なりも実にさわやか、そして常在戦場じょうざいせんじょうとでもいうべき鋭い緊張感を湛えている。

 綱はセツヤたちの側まで来ると、うやうやしくひざまずいた。


「お綱はここに、頼光様。なんなりとお命じくださいまし」

「昨夜は大義であった。よもや鬼の……茨木童子の腕を切り落とすとはな。あっぱれである」

恐悦至極きょうえつしごくですの。されど茨木童子は鬼の副将格、大将首ではございませんわ」

「大将首は私に譲れ、お綱。今度こそ酒呑童子しゅてんどうじくびねてくれよう。さて、朝餉あさげとしよう。もう一人の客人も起きてきたことだしな」


 振り返れば、眠そうな顔でもそもそとカナミが部屋から出てきた。

 彼女はよほど視力が悪いのか、両手を探るように彷徨さまよわせている。どうやら眼鏡を捜しているようで、慌ててセツヤは畳んで握るそれを渡しに駆け寄る。


「うぅ、眼鏡、眼鏡は……」

「悪ぃ、カナミ! ほらよ、これだ!」

「あ、セツヤ君。おはようございまふ……ありがとうですよぉ」

「しゃんとしろって、寝ぼけてるのか?」

「あい……わたし、朝は弱くて」


 もにょもにょと要領を得ないカナミに、セツヤは今朝の話を説明して頼光の名を告げる。ぼんやりと頼光、そして綱を交互に見やり……突然カナミは仰天ぎょうてんにのけぞった。

 それはもう、見ている皆が驚くほどにオーバーなリアクションだった。


「はひーっ! 頼光! 源頼光! あの有名な! 渡辺綱を筆頭とする頼光四天王を従え、土蜘蛛つちぐもや酒呑童子など、なだたるあやかしを千切っては投げ、千切っては投げ」

「はは、詳しいな。だが、土蜘蛛は斬れても酒呑童子は討ち漏らしたんだがね」

「ええっ!? そ、そんな! 物語と、本と食い違ってしまいます。昨夜の一条戻橋いちじょうもどりばしでの茨木童子の事件、あれは酒呑童子討伐のあとのお話では」


 血相を変えたカナミは、嬉しいのか焦っているのか、なんだかよくわからない状態で地団太じだんだを踏んでいた。

 だが、すぐに綱が言葉を挟んでくる。


大江山おおえやまにて一戦交えましてよ。でも……負けてしまいましたの。栄えある頼光四天王も今は戦力半減、碓井貞光ウスイサダミツ卜部季武ウラベノスエタケの二人が深手を負ってせってますわ」


 セツヤにもぼんやりとだが、事態が呑み込めてきた。

 誰もが御伽噺おとぎばなしだと思っていた鬼退治は、実際にあった事件だったのだ。そして、後世のセツヤたちが知る内容とは、微妙に食い違い始めている。

 それはつまり、歴史が変わってしまうということだった。

 改めて考えると、訳もわからず身震いが込み上げる。

 だが、頼光はさして気に留めた様子もなくパンパンと手を叩く


「まあ、なんにせよ鬼はいずれ私が、私たち源氏の一門がめっする。それにはまず、腹ごしらえだな。お客人、朝餉を振舞うゆえ食べていかれよ」

「は、はい。ども、ゴチです」

「はわわ、あの頼光様が朝ごはんを……も、もしやこれは、源氏飯げんじめし!? いったいどんなごはんが。ああもう、大変ですよセツヤ君! わたし、わたしっ!」


 興奮するカナミを、どうどうと落ち着かせる。

 着物を羽織って屋敷に上がった頼光は、そうだと思い出したように綱に確認の言葉を放った。


「そうそう、お綱。例の鬼の腕、運び込めたかい?」

「ええ。万事抜かりなく、ですわ」

「午後には金時キントキも来るだろうから、検分してみねばな」

御家中ごかちゅうの者たちは皆、毒脂どくあぶらの臭いと不吉な光に怯えてましてよ?」

「はは、そりゃそうだ。なにせ鬼の腕だからなあ」

「そのことで、頼光様。お耳を拝借ですわ」


 サササと綱は頼光に身を寄せ、なにかをささやいた。

 その内容はセツヤには聞こえなかったが、すぐに知れた。

 嫌そうな顔で頼光が叫んだのだ。


陰陽師おんみょうじも呼んだ、だあ? ……どっちのだ? ほら、お綱、二人いるだろ」

蘆屋道満アシヤドウマン様には断られてしまいましたわ。もののけや怪異の類なら呼べ、人と俗世ぞくせに興味はないと」

「あのじい様、なにを……いや、鬼の狼藉ろうぜきを人の所業と? ふむ……それで? 道満殿が来ぬということは」

安倍晴明アベノセイメイ様がいらっしゃいます」

「くそっ、なんてことだ! お綱、私は狐が死ぬほど嫌いなんだぞ? かの者は狐が産み落とした遺児いじと聞いているが」

「ふふ、頼光様の狐嫌いにも困ったものですわね。宮中でも弓に矢をつがえて、庭先に現れた狐にいかけたとか」

妖狐ようこの類だ、あれは。私の直感、源氏魂げんじだましいがそう言ってる」


 とうとうセツヤは、カナミを抑えきれなくなった。

 聞いたこともない名前が二つ飛び出し、セツヤにはちんぷんかんぷんだが……カナミの興奮は絶頂に達して、その限度を軽く突破してしまった。

 彼女はフンス! と鼻息も荒く、両の拳を握って一息で喋る。


「蘆屋道満! それに、安倍晴明! 後の世に最高の陰陽師として名を残す二人ですね! そうでした、この平安時代400年の歴史の中で数多あまたの英雄が同時に存在してたんですよね!  ああ、どうしましょう……これは、これはもう、もぉ!」

「落ち着けって、カナミ。その、なんだ? オンミョージって、誰だ?」

「セツヤ君! 陰陽師っていうのはですね、ええもう説明しましょう! まずは――は、はれれ?」


 興奮し過ぎたのか、カナミの鼻から赤い雫が一筋落ちた。

 どうやらのぼせて、鼻血が出てしまったようだ。

 それを見て、頼光は実に気持ちのいい笑い声をあげる。


「はっはっは! カナミとかいったね、君。実に見識の深いおなごではないか。宮中務めの経験でもあるのかな? 鬼火の光より出て参ったと聞いたが、なかなかに詳しい」

「それは、その、えと……セツヤ君、どうしましょう。鼻血が……エモくてとうとくて、鼻血が止まりません!」


 すぐに綱が懐から手ぬぐいを出してくれた。

 だが、朝食を皆で囲むまでずっと、カナミの鼻血は止まらなかった。

 それでも、大昔の京都での新しい一日が始まり、セツヤとカナミの無数の試練が同時に幕を開けるのだった。

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