第10話「Between 現代 To 大昔」

 セツヤは光に包まれ、光そのものとなって飲み込まれた。

 うずだ。

 音もなく回る、それは光の本流。

 声も出ぬまま、握る手が握り返してくる。

 しっかりとカナミと結ばれたまま、セツヤはゲートを通過した。

 永遠にも思える一瞬だった。

 残念ながら、セツヤにはそれ以上の語彙ごいがなかった。

 そして、突然視界が開けて放り出される。


「うわっ! っとっと、カナミ! お前は平気、っ、ガッ!」


 尻もちを突く形で地面に落下し、慌てて立ち上がろうとする。

 その時にはもう、カナミが顔面に落ちてきた。

 互いの心臓が急接近する、密着の距離。

 繋いだ手と手は、驚きに固まっている。

 それでもうつ伏せのままセツヤの上で、もそもそとカナミは動き出した。


「ここは……暗いですね、セツヤ君。見えますか?」

「な、なにも、見えねえって」

「真っ暗です」

「お、俺もだ……ぷあっ!」


 どうにかカナミの下から這い出て、気付く。

 自分は今まで、カナミの胸に圧殺されていたのだと。

 そのことを頭から振り払うようにして、立ち上がる。

 そこは奇妙な空間だった。

 カナミの言う通り、真っ暗な闇が広がっている。

 だが、わずかな星明りが徐々に世界へ輪郭を与えてくれた。


「カナミ、夜だ。見ろ、星も……月も出てきた」


 そう、ゆっくりと雲間に月が現れた。

 だが、それは真っ赤な三日月みかづきだ。

 まるで、血に濡れた死神の鎌デスサイズである。

 その光で、さらに周囲の景色が鮮明に浮かび上がる。影の中に沈んだ、そこは大都市の威容が広がっていた。しかし、どの建造物も純和風の古いもので、高さもない。

 カナミに手を差し伸べ、起ち上がらせつつセツヤは身構えた。


「こりゃ、時代劇の世界だぜ。とすると、あれか? 江戸時代、的な」

「待ってください、セツヤ君。時代劇といっても、その時代設定には千年の幅がありますよ。セツヤ君の言ってる江戸時代は、水戸黄門や大岡越前、遠山の金さんなんかです」

「えっ? 全部が全部、江戸時代じゃねえの? ……あっ、いや、今は説明はいい! それより」


 妙な町である。

 酷く静かで、暗い。

 普段から都会に暮らしているセツヤには、理由なき恐怖を励起れいきさせる闇だ。

 それもそのはず、整然と並ぶ左右の建物は、どれも閉め切っていて明かりがともっていない。

 驚くほどに広い大都市に見えて、往来に人の気配は全くなかった。

 どうやら深夜のようだが、あまりにもセツヤには不自然に感じられた。

 カナミもそう思っているようだが、不意に眼鏡めがねを上下させてフムと唸った。


「見てください、この大通り……真っ直ぐに伸びてます。交差する道も全て、碁盤ごばんの目の様に整備されていそうですよ」

「だな。あっちには橋があるみたいだけど」

「恐らくここは……京都じゃないでしょうか」

「京都だぁ? まあ、戦国時代のみやこといやあ、東京じゃなくて京都だけどよ。京の都と書いて京都だし」

「いえ……この雰囲気から察するに、そのずっと前。ここは、この都は」


 やばい、またカナミの例の病気が始まりそうだった。

 心臓の病は完治してるとのことだが、長い入院生活で培った厄介な本患ほんわずらいである。

 だが、カナミは表情を引き締め、端的に一言だけ告げてくる。


「……京都じゃなくてか?」

「平安時代と呼ばれる時期、京都は平安京と呼ばれていました。本格的に都市計画が整備された、世界でも有数の大都会です」

「にしては、こう、辛気臭しんきくさくないか?」

「いえ、この時代ではこれが普通ですね……ともあれ、確かめてみましょう」


 どうやらカナミの好奇心は、探求心と共に燃え上がっているらしい。

 彼女は待ちきれない様子で駆けだそうとして、ふと立ち止まって振り向く。


「い、一緒に行きましょう、セツヤ君。帰る手段を探すにしても、はぐれないようにしないといけません」

「あ、ああ。まあ……帰れるなら、な」

「でっ、ででで、では、失礼しますね……先程は咄嗟とっさのことだったので、つい」


 おずおずとカナミは、セツヤのそでをぎゅむと小さく握る。

 そして、引っ張りながら足早に歩き出した。

 狭間中学校の制服はブレザーで、下はワイシャツにネクタイだ。勿論もちろん、放課後になるなりセツヤは襟元えりもとゆるめているが、ブレザーはなかなかに格好いいので悪い気がしない。

 そして、ボタンの並ぶ袖を一生懸命カナミは引っ張ってゆく。


「ここがもし本当の平安京なら、大通りと橋には全て名前がついてます。それで現在地がわかるんです」

「お、おう。って、見ろカナミ! 丁度いい、橋の上に人がいるぜ!」


 この世界で初めて、人間を見た。

 あでやかな着物を羽織はおった、女の人である。

 どうにもただならぬ気配があって、妖艶ようえんという言葉を知ってればぴったりなのだが……カナミの前に出て、さりげなくセツヤは身構えた。

 橋には、一条戻橋いちじょうもどりばしと達筆な文字が張り付いていた。

 そして、その中ほどで女がゆっくりこちらを見下ろしてくる。


「あのー、すみません。ここって京都、じゃないや、平安京? とかいうのですか?」


 とても美しい女性だった。

 だが、妙だ。

 ゆるゆると夜風に揺れる着物の下に、なにか別の服を着込んでいる。

 そう、洋服にも見えるが、もっと非日常的で時代錯誤なありえない意匠だ。

 それがはっきり見えない程度に周囲は暗いが、セツヤは警戒心がささくれ立つ。

 それなのに、カナミは無防備に質問を重ねて声を弾ませた。


「失礼ですが、今の元号を教えていただけませんか?」

「おい、カナミ」

「平安時代と一口に言っても、400年くらいの幅があるんです。でも、間違いありません……この空気、本で読んだ通りの平安京です」

「空気? そういや、なんだ……妙だよな」


 そう、とても不可思議ふかしぎだ。

 僅かにひんやりとした夜気は、どこか呼吸を浅くさせる。目に見えない何かが充満して、張り詰めたような空気が満ちていた。

 心なしか、気持ちが落ち着かなくて神経が苛立いらだつ。

 それなのに、目の前の女は笑っていた。

 そして、なんとも雅な声が響く。


長徳元年ちょうとくがんねん、そう聞いている。というか、お前たち……なんだ? そのいでたちは」


 綺麗な声音に、フランクな砕けた口調。

 どうにも、テレビなんかで見る京女きょうおんなのイメージを裏切ってくる。

 だが、次の言葉にセツヤは目を見張った。


「妙だな、洋服を着ている。ということは、もしや……! おいっ、子供たち!」


 橋の欄干らんかんに腰かけていた女が、飛び降りるなり着物を脱ぐ。

 マントの様に羽織っていただけの、その下に着こまれた着衣は異様の一言だった。

 肌の露出はないが、シルエットは裸そのもの。

 首から下をピッチリと包む、それはまるで宇宙服みたいなものだった。


「お前たち、妙な光を見なかったか? そして……そう、学校だ。けものの面を被った、奇妙な巫女みこのいる教育施設。物凄くクラシカルな、そう、まるで西暦時代のような」


 若い女は、真剣な目をしていた。

 髪は短く切りそろえて、清潔感が凛々りりしい。

 だが、やや釣り目な眼差まなざしは強い輝きを灯していた。

 心当たりがあるどころじゃなくて、もしやと思いセツヤも言葉が走る。


「それって、狭間中学校はざまちゅうがっこう! 俺たちの通ってる中学だ。んで、あの女はチギリ。狭間中学はゲートっていう、色んな世界や時代を繋いでしまう場所なんだ」

「……やはりか。隊長の推論通りということだな。あれは集団幻覚ではなかった……くっ、撤退中にまさか、こんな非科学的な……いや、そうでもないな。ふふ、はははっ!」


 不意に女は、疲れたような声で笑い出した。

 なんだか訳のわからない単語を聞いたが、軍隊や兵隊のことをセツヤは思い出す。だが、平安時代にはそんなものは存在しないし、そもそも女の違和感は最初から明らかだ。

 先程のチギリの、無意識と意識の話、認識の仕組みを思い出す。

 普段から不思議に思わないのは、街で外国人を見ることが普通だから。

 そう、

 異変の中でなにもかもが謎で、思考からその事実を無意識に遠ざけていたのだ。それに、金髪のリネッタとの交流も感覚を麻痺させていたのだろう。


「子供たち! 悪いが私と一緒に来てもらおうか! ようやく掴んだ情報源、逃がしはしないっ!」


 女が手首をさすると、Pi! と電子音が響く。

 もう、この人が平安時代の人間ではないことは明らかだ。

 だが、橋の下で水が割れる音を聴いて、すぐにセツヤは硬直しているカナミを抱き寄せた。

 橋の下から、巨大な影が浮かび上がる。

 そう、立ち上がった……それは人の姿をかたどる異形だった。

 月明かりの中に、見上げるほどの巨体が出現する。

 それはセツヤには、二本の角をひたいから生やしたおにに見えるのだった。

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