第5話「Between ゆるふわ校医 To ミステリアス巫女」

 セツヤは驚愕した。

 先ほど、チギリと名乗った校医の女性が豹変したのだ。どこか呑気でおおらかな空気をまとった、伸び放題なぼさぼさ髪の姿はもうない。

 白衣でさえまるでドレスの様に着こなす、神秘的な美女が笑っていた。

 狐の面越しに、にんまりと妖艶な笑みを浮かべているのがわかる。

 だが、面を取ったチギリの表情は違った。


「ハハハッ! さては少年、試したな? どうだい、大人たちの冷ややかな視線は。失笑と哀れみにも似た、やれやれという空気のいたたまれなさは!」


 酷い言われようだが、当たっている。

 母親に話してみて、確かにそういう雰囲気に俯くしかなかったのだ。

 だが、先ほどの図書室で疑念は確信に変わった。

 やはり、この学校……市立狭間中学校にはなにかがある。

 そして、それを知ってて秘匿し隠蔽しているのは、目の前のチギリに間違いない。


「チギリ、先生。教えてくれっ! これはどういうこと――」


 セツヤが食って掛かる勢いで身を乗り出した、その時だった。

 彼よりも早く、意外な人物が前に出る。

 驚きで固まるセツヤと違って、少女は歓喜に瞳を輝かせていた。

 そう、彼女の名はカナミ。

 本の虫というには少し可憐で、だけど垢ぬけない変な女子だ。

 カナミはチギリに食って掛かるどころか、飛びついた。躊躇なく手に手を取って、さらにもう片方の手を重ねる。


「あのっ! なにか御存知なんですね! このエルフさんも、学校の異変も!」


 どこか儚げで弱々しい印象があったのだが、いっぺんに吹き飛んだ。

 先程の図書館で、セツヤに本を選んでくれた時も一瞬そうだった。

 女の子は老いも若くも、豹変するものなのだろうか?

 そう思っていると、身をのけぞらせたチギリが唇を尖らせる。


「こら、少年。老いも若くもとはなんだ。この乙女は若いが、ボクが老いているなんて言わせないぞ? 思わせてもやらないんだ、フン!」


 そうは言いつつ、チギリは中性的な顔立ちに玲瓏な笑みを浮かべる。

 そう、とても冴え冴えとして冷たく感じるくらいの美しさだった。

 彼女はそっとカナミの手を振りほどくと、狐のお面を不意にかぶせた。そして、突然視界を覆われたカナミがあたふたしてるうちに、ポンと軽く押しやり距離を取る。


「さて、乙女よ。意気込みに満ちた探求者よ……名を聞こうか。それと少年、キミもだ。ボクは名乗ったぞ?」


 言われれば確かに、まだ名乗ってなかった。

 だから、それこそゲームの勇者が魔王を前にした時の様に高らかに叫んだ。

 叫ぼうとしたが、遮られた。


「おうっ! 俺の名は――」

「わたしは渡良瀬カナミです! 15歳、趣味は読書! 好きな本は、ええと、ええと」

「……あ、はい。俺は春日井セツヤだ」


 出鼻を挫かれた。

 っていうか、本人にその気はないけど完全に食われた。被ってしまった。

 だが、チギリはセツヤとカナミを交互に見て鼻を鳴らす。


「カナミにセツヤ、か。わかった、見知り置くよ? さて……そろそろ起きる頃だから、彼女も紹介しよう」


 チギリはなんだか、終始余裕たっぷりで泰然とした揺るがなさが怖い。

 そう、怖いんだとセツヤは初めてわかった。

 怒った母親も怖いし、ちょっとだが担任教師になった桜井ショウコも怖い。恐れや怯えはないが、言葉にできない違和感が怖かった。中学生というセツヤの新しい生き方が、まるで最初から「こうあるべし」と定められてるような窮屈さを感じたのだ。

 けど、目の前のチギリは別格だ。

 そのチギリだが、機嫌よさそうにカナミからお面を回収する。

 それは、ベッドの上で先ほどのエルフとかいう女の子が目を覚ますのと同時だった。


「ん、ここは……やだ、またこの場所? 確か、うん……ホケンシツとかいうやつね!」

「ほら、お目覚めだ。彼女はリネッタ。ごくごく一般的な流離いのお姫様さ」

「ッん! ま、待て、チギリ! 我はハイエルフの王女だが、そのような言様は」

「はいはい、今更そゆこと言わないでよー? とりあえず、そうだね……ボクはリネッタのような人間をこう呼んでる」


 ――ビトゥインダー。

 それが、謎の光から現れる人間たちの総称らしい。

 そして、彼ら彼女らは同じように発生する光へと消えてゆく。

 セツヤも昨夜、アーサー王なる人物を見送ったばかりだ。

 ベッドから跳ね起きたリネッタは、長い耳を揺らしながら床に降りて近寄ってきた。

 彼女は、セツヤたちが苦労して脱がせたサンダルを思い出して、慌てて振り返る。


「それで? チギリ、話と違う! 国には戻れなかった、またここに戻ってきちゃった!」

「うんうん、そのようだねえ」

「これで何度目よ! 我は誇り高きハイエルフ、その正統なる血を受け継いだ王女よ! それが何故、国に帰れないの! どうしていつも、知らない土地を経由してここに戻ってきてしまうの!」


 セツヤには、リネッタの怒りと憤りがわからない。

 だが、自分なりに考えを纏めていると、横からカナミが耳打ちしてくれた。


「セツヤ君、どうやらエルフさんは何度も、ええと、ゲート? を行き来しているようです」

「ゲート……やっぱ、さっきの光がそうなのか?」

「本の世界、そうしたゲームやアニメの創作世界ではそうですね」

「でも、その、リネッタ? めっちゃ怒ってるんだけど」


 そう、怒り心頭でリネッタはチギリに詰め寄っている。

 その姿は、水着ですらこうはならんよというきわどい露出度で、正直セツヤには直視できない。

 だが、顔をお面で隠してチギリはのほほんと気楽に言葉を切ってきた。


「まあまあ、リネッタ。次のゲートはこのあとすぐ……西棟三階のどこかで開くよ」

「本当なのね? 今度こそね、チギリ?」

「ボクが今まで、嘘を言ったことがあったかなあ」

「このっ、どの面さげてっ!」

「この面、あの面、ボクの面さ。ほら、行くといい。急いだ方がいいね」


 リネッタは不思議な構えから、左手で支えた右腕を突き出した。

 なんだか、必殺技っぽい姿だったが、なにも起きない。

 一触即発の空気を瞬時に解除して、リネッタは小さな溜息を零した。


「ここの三階ね? 今度こそ……我は王国に戻る。戻って、国を……では、さらばだ!」


 チギリへの敵愾心をひっこめつつ、リネッタは急に駆け出した。保健室の扉をバァン! とけ破るように開けて、その先へと消えてしまう。

 だが、あっけにとられるセツヤとカナミの元へ、彼女はすぐに戻ってきた。

 そして、セツヤたちのまえで身を正すと、リネッタは深々と頭を下げた。


「礼を失するところだったわ。二人とも、助けてくれてありがとう。ハイエルフは受けた恩を忘れない。この借りは必ず返すわ。感謝を……じゃ、そゆことで!」


 律儀に礼を言ってから、今度こそ本当にリネッタは行ってしまった。

 狐に摘ままれたような話だが、当の狐自身は笑っている。

 そう、狐のお面を片手にチギリは愉快そうな笑みを浮かべていた。


「ああ、うん。驚いただろう? カナミ、そしてセツヤ。彼女はエルフ、それも王族たるハイエルフだ。ここではない時、今ではない場所から来て……本来自分がいるべき、生まれ育った場所に帰ろうとしている」


 そして、チギリは語り出した。

 この市立狭間中学校は、文字通り狭間の神域……あらゆる全ての『あちら側』と『こちら側』を繋ぐ場所だという。

 二つの世界を繋ぐ道、ゲートが開く時……ここを必ず経由するらしい。

 仕組みや原理はわからないが、そういう理で世界はなりたっている。

 そもそも、世界は無数にあってどれもが違い、同じものなど一つもない。

 時間も時空も、次元さえも超えて数多の世界が同時に成立しているのだ。

 その世界たちが唯一共有するもの、それがこの学び舎という通路なのだろう。


「驚いただろうが、そういうことさ。過去と未来、現実と空想、あの世とこの世……ようするに、『あちら側』も『こちら側』も無限にある。ただし、繋がる時はこの場所、この学校を通してだ。それが、唯一にして絶対の理」


 それだけ言って、どうだとばかりにフフンとチギリはドヤ顔だ。

 だが、彼女が再び口を開いた、その時だった。


「他言無用と釘を刺すことも不要かなと思ったんだけどね。でも、キミ……セツヤ君?」

「お、おうっ! 確かに約束を破ったのは俺だ! けど、カナミは関係ねぇ!」

「それがねえ、縁が結ばれてるんだなあ……それで、どうしたもの、か、と……っ、ふ、ふぁ」


 不意に、チギリがのけぞった。

 次の瞬間「ぶぇくしゃあああい、っつあ、あぁ!」と盛大なくしゃみが轟いた。

 その風圧に思わず、セツヤはカナミと一緒に目を点にする。

 そして、大きく前傾したチギリが顔をあげると……そこに狐憑きの人を食ったような表情はなかった。


「あれぇ? 私、今どうして……ああそう、そうでしたぁ! 水泳部の子が……あらあらぁ? いません、ねえ」


 真っ直ぐだった黒髪が、もさもさと跳ねて自由を満喫し始めていた。

 そして、ゆるーい笑みがほわわんと咲いていた。


「大丈夫かしらぁ、あら? まあまあ、狐さんねえ……これは私が? うーん、狐さん、どうですかぁ? 私ですかあ? ふふ、違うみたい」


 咄嗟にセツヤは、カナミに目配せする。

 こうなったらもう、恥の上塗りと知っても嘘を通すしかない。

 嘘も方便、なんていう大人の理屈が脳裏をよぎった。

 とりあえずセツヤは、狐のお面を預かりつつあることないことを話して、運び込まれた水泳部の先輩が無事に元気になったことを伝えた。妙に生真面目な表情でウンウン頷くカナミが、その説得力を上澄みしてくれた。

 ともあれ、不思議な校医のチギリとの出会いは、なにからなにまでわからないことだらけだなのだった。

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