第3話

動き出したバス車内では、今度は茨城県職員がマイクをにぎり、茨城の地理や歴史について解説し始めた。参加者たちは最初のうちは耳を傾けていたが、やがて舟をこぎ始めた。職員は残念そうにマイクをオフにして、己の座席に座った。


美貴子が欠伸をかみ殺していたら、琢磨がキャンディーを差し出してくれた。礼を述べて、薄紫色の飴玉を口に含んだ。

「これ、美味しいですね。香料で誤魔化していない。ちゃんとブドウの甘酸っぱい味がします」

口元をほころばせる美貴子を目を細めて眺めながら琢磨は頷いた。

「私もこれが気に入っているんですよ。撮影に行くときもよく持って行きます」

「撮影、ですか……?」

琢磨は自分の膝に抱えた黒い鞄をぽんと叩いた。

「カメラマンなんです。ふだんは結婚式の写真やレストランのメニュー写真なんかを撮っていますが、趣味で自然の写真を撮っていて、撮影の合間にこういう菓子を食べたりしているんです」

最初この男をカメラマンだろうかと思った美貴子の勘は当たったようだ。

「今回マスターに誘ってもらってありがたかった。ちょうど初秋の写真を撮りにいきたかったんです。稲刈りも面白そうですしね」

「そうだったのですか。透に無理強いされたのではなくて私も安心しました」

美貴子は微笑んだ。稲刈りをしたがっているのかどうかわからない相手と組むのは居心地が悪いと思っていたが、本人も楽しみにしているというのなら気を遣わずに済みそうだ。

琢磨への抵抗感はすっかり消えて、美貴子はようやくくつろいだ気分でバスのシートに身を預けることができた。



午前10時ごろ、バスは茨城県内へ入った。うつらうつらしていた県職員がぱっと目を覚まし、マイクを握った。

「皆様、茨城県に入りました! ようこそ茨城へ」

車内で拍手が起こった。


バスは、まず土浦市の霞ヶ浦のほとりに参加者たちをおろした。しかし、海と見紛うほど大きな湖の周辺を30分ほど散策しただけで、すぐにバスへ戻るよう指示された。美貴子はもっと時間をかけて霞ヶ浦を巡りたかったので、後ろ髪ひかれる思いだった。


その後、バスは昼食会場である、県の研修施設内の食堂に向かった。

食堂には、野菜のてんぷら、煮物、魚のフライなどがブッフェ形式で並べられ、どれでも好きなだけ食べられるように準備されていた。土鍋から立ち上る炊きたてご飯の香りと、味噌汁の出汁の香りが食堂内をいっぱいに満たしていた。


参加者たちは思い思いの料理を受け取り、席についた。

美貴子と琢磨は隣同士で座った。同じテーブルには年の差カップルや友達連れと思われる若者たちが座った。年の差カップルは、女性は20代ぐらいで黒いワンピースを着ており、男性は40代ぐらいでジャージ姿で、中年男性が愛人でも連れてきたような雰囲気だった。なんとなくこの二人をまじまじと見てはいけない気がして、美貴子は視線をそらそうと思い、テーブル全体を見渡してみた。8人席のテーブルがちょうど二つ埋まる形で、参加者たちは席に着いていた。


「本日の食材はみな茨城県で採れたものです。作ったのは、こちらの農家の方々です」と紹介された女性達が自己紹介をした。その多くがレンコン農家だった。

「さあ、どうぞ召し上がってください」

その合図と同時に、食事が始まった。


「茨城ってレンコンが有名なんですね。知らなかったな」

琢磨がそう呟きながら、レンコンの天ぷらをかじって、

「なんだこれ」と声をあげた。


美貴子もレンコンの天ぷらを食べてみた。最初はさくっとした歯ごたえで、噛んでいたら餅のように粘りが出てきた。噛みきった部分からは、甘い香りが立ち上った。

「美味しい! こんなレンコン、食べたことがないわ」

思わず声を上げると、聞きつけた県職員が「この美味しさを東京の人にお伝えしたかったんですよ」と声を掛けてきた。

そして、「魚のフライも召し上がってみてください」と促され、琢磨と美貴子は箸を伸ばした。

「白身魚ですね、クセがなくてこっちも美味しいですね」

「本当」

「……これ、ナマズのフライなんですよ」

「えっ!」

美貴子は絶句した。

「茨城ではナマズを召し上がるんですか」

驚いたように琢磨がそう尋ねると、県職員は苦笑した。

「実は茨城でもナマズはそれほど食べられておりません。しかし、いつかナマズを茨城を代表するほどの名産品にしようと思っておりまして、霞ヶ浦ではナマズ養殖を頑張っています。綺麗な霞ヶ浦の水で育てられた、安全で安心なナマズはとっても美味しいんですよ!」

美貴子はまじまじとフライを見つめた。ナマズは海外ではメジャーな食用魚だと聞いたことがあったが、日本でもナマズが養殖されていたとは知らなかった。なんとなく泥臭そうな偏見を持っていたのだが、食べてみたら臭みは全くなかった。

「これだけ美味しいのですから、評判さえ広がればすぐに名産品になりそうですね」

県職員は我が意を得たりといった顔をした。

「そうなんです、評判さえ広がればいいんです。ですので、皆様にはナマズの美味しさをSNSで宣伝していただきたく!」

そう言われたからか、それともカメラマンのさがなのか、琢磨はカメラを取り出して、料理を撮影し始めた。

県職員はそれを満足そうに眺めていた。

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