(吏`・ω・´) あのとき使ったポケティッシュはまだ大切に保管してあるわ。

 私とくるりの出逢いについて、もう少し詳しく語ろうと思う。きっと誰もが知りたいことだろうし。仮にそうじゃないとしても私が語りたいのだし。


「……良い天気ね」


 その日、私は未だ桜が満開の河川敷を歩いていた。平日の朝、花見の場所取りはあまり盛況ではない。


 そして、私の心もささくれ切っていた。


 二度目の一年生。

 同い年の先輩方。

 年下の同級生達。

 十七歳の誕生日。

 家族のいろいろ。

 自分のいろいろ。


 すべてが嫌で、高校とは反対のバスに乗って逃げてきた。


「……やっぱり、退学しようかしら」


 家が“あんな状態”でなければ、即決していただろう。


 ……なんだ。


 学校に行くのも、結局逃げじゃないか。


「ふふっ」


 自嘲する私の前で、桜は淡く柔らかく花弁を零し続けている。


 季節も時間も、ウジウジと立ち止まった人間に寄り添わない。


 この花がすべて落ちる前に、決断しなければならないだろう。


 ―――と。


「うぅ……、ぐすっ……ここ、どこぉ……?」


 ふと目を止めた桜木の下から、泣き声が聞こえた。


「何を泣いているの―――」


 それは、今に至っても初めての衝撃だった。


「!!?」


 突然、神様に人間の心と身体を与えられた桜の精霊が、状況を理解できず困り果てて泣いている。


 そんなメルヘンな想像をしてしまうほど、彼女くるりは圧倒的だった。


 圧倒的くるり。


 圧くる。


 グリ高の制服を着て体育座りでしくしく泣いている輪郭から、仄かに薄桃色の燐光がうっすら見える。幻覚? いいや違う。見えるもん。


 ―――要するに。


「天使……」

「え?」


 桜色の女の子が顔を上げた。うわ、やっぱ顔もめっちゃかわいい。


「あの、なにか言いましたか?」

「え!? ええと……その……」


 努めてクールに、しかし怖がらせないよう、私は彼女に声をかけた。


「お、お嬢さん、なにしてるの? 学校は? えへへ……サボりぃ?」

「……」


 くるりは、街で露出狂と出くわしたときより少し下くらいの警戒度で私を見ていたが、やがて一つのことに気付いた。


「同じ制服だぁ!」


 笑顔が弾けた。


「――――――!!」


 瞬間、私の意識も弾けた。


 ……。


 そこは、宇宙だった。


 暗闇。

 真空。

 “無”。

 寒い。

 寂しい。


 孤独の中、宇宙が生まれる光を見た。


 あの子の笑顔に、宇宙が救われた。


 そうか、そうだったんだ。


 すべてを理解した。


 


「……ふぅ」


 そして私の意識は河川敷に戻ってくる。


 この間実時間にして3秒。


 体感にして∞秒。


「ええと、あの、大丈、夫? ですか?」


 女の子が“?”マークの度に右に左に小首を可愛らしく傾げるので、また意識が飛びそうになる。私は努めて冷静に応える。


「ええ、大丈夫よ」

「そ、そう? でも、顔の穴という穴から色んな水分が流れ出ちゃってるよ?」


 さっきから顎を伝って地面にボタボタ垂れているのは私の涙・鼻水・涎だったか。


「まぁ、しょうがないわね。宇宙最初の光を目の当たりにしたのだもの」

「……? よく分かんないけど、拭くものはある? はい、ティッシュ」


 私はうやうやしくそのポケットティッシュを受け取る。


「ありがとう。家宝にさせてもらうわ」

「今すぐ使っていいよ!?」

「……使……う?」

「そんなポカンとしちゃう?」

「せっかく貰ったものを使うなんて……おこがましいわ」

「おこがましくないよ! 消耗品ポケットティッシュだよ!?」


 女の子に突っ込まれていると、だんだん冷静になってきた。


「うん。そうね。私、おかしくなってたみたい。この、ポケットティッシュが原因かしら」

「人聞きが悪いよ!? 何も含有されていないからね!?」

「冗談よ―――ねぇ、あなた栗武高校の一年生よね」

「う、うん。バスに乗ってたんだけど、どんどん知らない景色になっちゃって」


 アクロバティックな迷子はこの頃からだった。


 私は、くるりに手を差し伸べ、堂々と言った。


「ふ、ふひ……わたひと、一緒にイイとこ行かないぃ? お嬢さん??」


 今思い出せば、くるりはこの人に付いて行っていいかすごーく悩んでいたような気がする。


※※


 そこで目が覚めた。


 グリ高の保健室だ。


 また長い回想に揺蕩たゆたっていたようだ。


「吏依奈? 大丈夫?」


 心配そうな天使の顔が、眠る私をのぞき込んでいた。


「ここは……天国ね」

「現世だよ?」


 くるりは困ったような笑顔も可愛い。


「おお、ようやく起きたか」

「チッ」

「元気な舌打ちだ。もう大丈夫だなこんにゃろう」


 相楽秀和の顔は憎たらしい。マウスガードに隠れてほとんど見えないけど。


「お説教が終わったから呼びに来たんだが目覚めてて良かった。よく知ってる脳外科医に電話するところだったぞ」

「気持ちよさそうに寝てたもんね吏依奈、良い夢見てた?」

「ええ、くるりと初めて会った時のことよ」

「へぇ!」


 くるりが笑顔を咲かせる。


「あのとき使ったポケティッシュはまだ大切に保管してあるわ」

「……」


 すぐにしおれてしまった。


「ナガサ、さっきのやつをもう一回かましてやれ」

「え!?」

「親友だからこそ戒めてやらないかんこともあると思うんだ」

「なによそれ。くるり、良いわ、何でも言ってちょうだい」


 くるりと相楽との間に妙な絆が発生しているのが気に食わないけれど、親友を困らせたくもない。


「じゃあ、言うね」


 決然とした顔で、くるりが言った。


「吏依奈、マジで気持ち悪い」

「!!!???」


 電流が走った。脳の機能がすべて停止するほどの衝撃。


 でも。


 あれ?


 なんだろう。


 私の腹の底、へそのさらに下の方から、得も言われぬ快感が駆け上ってくる。


「くるりの罵倒……悪くないわね……グヘヘへ……」

「二俣がナガサに気持ち悪いことを言って、それをナガサが罵倒する。と、こいつはさらに喜んでもっと気持ち悪くなる。―――いかんな、もっとも生み出しちゃダメな永久機関が完成してまったがや」

「カズくん、重ね重ね、本当にご迷惑おかけします……」


 相楽が何か言っている。


 が、私は先ほど放たれた「キモチワルイ」を脳の海馬の一番深いところに永久保存するのに手一杯で、何も聞こえなかった。なんだか、くるりが見たこともない絶望の表情を浮かべている気がするけど、それはそれでご飯が進む―――


「って! そうじゃないわ!!」

「だんだんアンタの爆弾低気圧みたいな気性にも慣れたわ」


【続く】

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