第3話 私が、なんで怒っているか分かる?

 私は生き残った。

 しかし、何も残っちゃいない。

 想い出は残ってるはいるが……。それは最悪なモノでしかない。


 今は、臨時政府からあてがわれたやりたくもない仕事を黙々とこなしている。

 まだ解放されていない地区での、肉体労働ではあるが、極めて単純な仕事である。

 私の元々の境遇もあるのかもしれないが、人間はばかりやってると、何をするにも無感動になってしまうものだ。例えば、3日後に何らかの理由で死ぬと宣告されても動揺しない自信があるくらいに。

 こんな感じだから、元妻や娘のことを思い出しても心が動くことはない。

 


 しかしながら、こんな私でも、思い出す度に激しい怒りを感じずにはいられないことがある。



 実は、私は娘の臨終に立ち会っていた。

 その時は元妻は体調は少々優れないながらも健在であった。私を探し当て、娘の危篤を伝えてきたのは彼女である。娘が「パパに会いたい」とうわ言で繰り返すので、居た堪れなくなってのことらしい。


 はじめはしおらしくしていた元妻も、言葉を交わしているうちにヒートアップ。こんな時にも関わらず、私を罵倒する。「あなたがあの時、ワクチン接種を止めてくれなかったから、こんなことになった」だとさ。


 言われた時は少々腹が立った覚えがあるが、すぐに「コイツらしい」と呆れたものだ。

 私は、冷静にこう返してやった。

「結果論的かもしれないし責めるつもりはないが、それはお前が自分で選んだ結果じゃないのか」と。 


 それに対する彼女の返答。

 それだ。それなんだよ。いまだに、思い出す度にドス黒い怒りを覚えるのは。


「それは仕方がない。国やみんながそうすべきだって言ってたんだもの」



 ……ッッッ!!!!!!!!!!!



 私が、なんで怒っているか分かるか?


 そう。仕方がないだろう。

 あの頃は誰も何が正しいかなんて判断しようがなかったし、それ故に国やマスコミが打つべきだと言えばそちら側の意見に身の振り方を委ねるのは、そうせざる得なかったということは理解できる。大半の人々が従ったように。


 私が怒りを覚えるのは、そこじゃない。

 この期に及んで、まだ自分には全く責任の一端が無いと思える精神構造に腹が立つのだ。結果論かつ乗せられた形とは言え、選んだのは

オマエらだ。間違いなく加担した側なのだ。何故、他人のフリをナチュラルにできるんだ?


 ついでに言えば、だ。

 もし立場が逆で、少数派である私の意見(ワクチンを打たないこと)が結果的にハズレであったとして、そちら側が死滅していたとしよう。オマエらは鬼の首を取ったかの様に断罪するのは火を見るより明らかであったろう。

 

 あの頃からすれば、どっちに転んでも結果論だ。それ以上でも以下でもない。

 なのに、マイノリティなら他人の責任、マジョリティなら自己責任とは、理不尽極まりない! 


 ……いや。

 私が怒りを覚えるのは、その理不尽さではない。

 その、その人間の愚かさに怒りを覚えるのだ。



 ……。



 私に最後に残った激情も、最近では短い時間で収束してしまう。

 今となってはどうでもいい。どうでもいいのだ。

 私ごときが、人間の愚かさを語るなんておこがましいことなのだから。



 そして私は、ただ生きる為に単純な仕事をこなしていく。

 今日は、開放地区外のこのマンション。

 遺体探しと、その運搬である。

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私が、なんで怒っているか分かる? こねこちゃん @coneco

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