ささやかなる未来

 その日シゲルはクドウ・サツキという名の記者の取材を受けていた。木造のクラブハウスの中で向かい合って対話をした。

 サツキは主に引退した競走馬についての話を尋ねてきた。競走馬を引退した後の第二の道、そして馬の余生について。この牧場にも元競走馬の馬たちがいる。

 デリケートな話になってくると、お互いにどこまで話しどこまで尋ねていいのかの判断が難しくなった。探り探りという具合に取材は進んでいく。

 話しづらい内容もあったが、サツキの真剣な姿勢にシゲルは好意を抱いた。この記者はとても大切なことを世の中に伝えようとしている。そう感じた。

「最後にもう一つだけお聞きしたいことがあります」

 取材の締めくくりにサツキはそう切り出した。

「天馬についてです」

 それはシゲルが予想もしていない質問だった。

「馬はなぜ、天馬となるのですか?」

 サツキの鋭い視線がシゲルを射貫いてくる。シゲルの一挙一動も見逃さないといった体勢だ。おそらくこれが彼女が一番訊きたかったことなのだろう。自分は試されている。よく考えて答えなければならない。

 シゲルは一頻り考えを巡らせた。これまでの話の流れ。彼女の質問の意図。自分の牧場経営者としての視点。

 シゲルは一度ゆっくり息を吸ってから、言葉を紡いだ。

「私は馬が好きです。馬とともに生きる生活に幸せを感じています。馬にとってもそうであってほしい。そうやって人と馬が通じ合う。それが馬が天馬となるきっかけではないでしょうか」

「なるほど。ユズキさんのように愛情深く馬と接する人たちがいる。しかしその反面、そうでない人たちもいる。ユズキさんは、全ての馬が天馬となり一つの命として天寿をまっとうすることができる、そういう未来がくると思いますか?」

「うーん。そうですね。もちろんそれが理想とは言えるでしょう」

「現実はそうではないと?」

「現実から目を逸らすべきではない。しかし、現状に甘んじることも違う。大事なのは、一歩ずつ前に進むこと。良い方向へ変えられることは変えていくこと。私はそう思います」

「そうですか。わかりました」

 サツキは取材の間構えていた手帳をパタッと閉じた。

 そして真っ直ぐシゲルに目を向け、満足げに微笑んだ。

「ありがとうございました」

 のちのちこの時の取材を振り返ってみて、シゲルは思った。一見気づきにくいのだが、この女性記者はとても優しい人間なのだ。心に温かいものを持っている。彼女のような人が次の世代をリードしていってくれたら、きっと今より良い世の中が訪れるだろう。そう思った。



 取材を終えたサツキはクラブハウスを出て、牧場の中を歩いた。なんだか無性に馬の姿を見たい気持ちになったので、馬たちの放牧場へ向かった。

 まだ黒の混じった葦毛の馬が走り回っている放牧場の前で、見知った顔を見つけた。

 その人物に近づいていくサツキだが、向こうはどうやら絵を描くことに夢中でサツキの存在に気づいていない。

 サツキはその人物の背後から、描画中のスケッチブックを覗き込んだ。野原を走る葦毛の馬の絵を描いているところのようだ。

「とっても上手ね」

「きゃああああ!!」

 ミドリが叫び声を上げて尻尾を踏んづけられたネズミみたいに飛び上がった。

 放牧場にいるシルバーライトがなんだなんだというようにピンと耳を立ててこちらを向いた。

 多少脅かせるつもりではあったものの、予想を越える反応をされてサツキは申し訳ない気持ちになった。

「ごめんなさい。そんなに驚くとは思わなかった」

「び、びっくりしたあ。あ、サツキさん」

 背後にいた人物が誰かを確認して、ミドリは安堵の表情を浮かべた。

「こんにちは。名前覚えててくれたのね。ありがとう」

 サツキは前に一度ミドリにインタビューをしたことがある。あの時のサツキはかなり落ち込んでいる時期だった。ハイヒールのかかとでシルバーライトのボロを踏んづけてもなんとも思わないほどに。ミドリとはその後も何度か顔を合わせている。

 サツキはカズマからこの牧場にシルバーライトが来ていることを聞いていた。どうせなら一度会っておきたかった。そのシルバーライトは、今ちょうどおトイレ中のようだ。なんだか会うたびに粗相をされている気がする。

「サツキさんはどうしてここに?」

 ミドリが小動物のようにクリッとした目で訊いてきた。

 サツキは少し悪戯したくなった。

「それはもちろん、ミドリちゃんに会いたかったから」

「え、ええ!?」

 ミドリは恥ずかしそうに顔を赤らめた。上々の反応だ。

「ふふ、可愛い」

 牧場は、のどかな景色だった。広い空。白い雲。緑の大地。鳥たちはさえずり、馬は人目もはばからずおしっこをしている。

 人も馬も、こうやって平和な日常を送れたら。ささやかな、けれど確かな幸せを手にしていけたら。

 サツキは自然豊かな光景を目にし、そう思った。





 シガサキは自宅のデスクトップパソコンで、ある厩務員のSNSを閲覧していた。

 その厩務員は、自身が描いた主に馬の絵をSNSに投稿している。

 シガサキはろくにまばたきもせず、パソコンのモニターをじっと凝視した。

 SNSの投稿日を去年のものまで遡っていったところで、シガサキはそれを見つけた。

 天馬の絵だ。

 この厩務員は天馬を見たことがある。シガサキはそう考えた。

 自分の目的に近づいている。

 シガサキはそう感じた。

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