掴んだもの

 スタンドから、人々の声が波のように一体となった大歓声が響いた。一部で馬券が宙に舞い、花吹雪のように散る。

 カズマは惰性でしばらく走り続けるシルバーライトの首筋に触れ、馬を労った。素晴らしい走りだった。

 他の馬が検量室へ向かう中、カズマとシルバーライトは歓声に応えウィニングランをした。シルバーライトはレース直後にもかかわらず意気揚々と走り抜ける。

 ミドリが迎えに来て、手綱を取った。彼女は何か声をかけようとする様子を見せたが、言葉が出ないようで、ただただ何度もシルバーライトの額を撫でた。彼女の瞳が若干潤んでいる。

 その後、口取り式に移る。調教師や馬主、その他関係者たちが馬の周りに集まって行う記念撮影だ。

 大勢の人間に囲まれることが気に入らないシルバーライトは、なかなか撮影場所に移動しない。ようやく中心に収まった時もぶすっとした不機嫌な表情で、なんで自分がこんなことしなければいけないのかと駄々をこねているような顔だった。だがそれもこの馬の愛嬌である。

 それから表彰式に移り、馬の背中には『デネブ賞』と大きく記された垂れ幕がかけられた。紛れもない、一つ目の冠の証である。

 今日のレースで、この馬の強さを示すことができた。大きな栄光を掴んだ。次のアルタイルステークスでは狙われる立場となる。

 望むところだ。この馬なら次もきっと良い走りを見せてくれるだろう。

 とにかく今日は、この喜びを堪能しよう。

 目の前に広がる景色が全て輝いて見えた。

 これが勝者の景色である。



 厩舎に戻ってから、ミドリはシルバーライトにご飯を与えた。忙しい一日だっただろうが、これでようやくゆっくりしてもらえる。

 餌に食いつくシルバーライトの様子は、いつもと変わらない。どんなにすごいことをやってのけたのか、馬は理解していない。それとも、そんなことに興味はないのか。

 ミドリが普段絵を投稿しているSNSには、既に大量のコメントが届いている。担当馬が成し遂げたことのすごさを物語っている。

 昨年ひょんなことから担当することになったあの暴れ馬が、今日同年代の馬たちの一つの頂点に立ったのだ。ミドリはまだ実感が湧かない。

 やんちゃで、少し我がままで、そのくせ気難しいところもある、子供のような馬。実際年齢的にはまだまだ子供である。そんな馬が今日、SⅠホースという称号を得た。

 自分の手をわずらわせるところがある反面、遠く手の及ばないような価値を持っている。

 それが競走馬だ。

 厩務員にとって、とても身近で、それでいてとても遠い存在。

 この馬も、いつか自分の手を離れる時が来るだろう。

 ミドリはその寂しさを紛らわせるように、シルバーライトの体に触れた。

 せめて今だけは、この馬の傍にいたかった。





 あるタワーマンションの一室。

 シガサキは、自宅のコレクションルームにいた。部屋の周囲を取り囲むように並んだガラス棚の中に、多種多様な化石が鎮座している。まるで博物館だ。シガサキは部屋の中をゆっくりと歩きながら、多くの手間と金をかけて集めた自身のコレクションを眺めた。

 シガサキは昔から、欲しいものはなんとしても手に入れたいと願う質だった。そのためであれば、時に手段を選ばないこともある。

 このコレクションルームにいると、彼は気分が落ち着いた。実際は、それほど化石に深い興味があるわけではない。物よりも、収集する行為そのものが好きなのだ。自身が集めたものにこうして囲まれていると、自分が多くのことを成し遂げてきた心情に浸れる。優勝トロフィーでも飾られているかのように。

 シガサキはコレクションルームを出て、廊下を進んだ。ダイニングキッチンに入り、高級な銘柄のワインボトルを開けた。

 グラスにワインを注ぎ、それを持ってリビングの窓際へ進む。

 窓からは都会の夜景が一望できた。高みからの眺め。シガサキは眼下の夜景を眺めながら、ワインを口にした。

 今、彼には新たに欲しいものがあった。

 それは、馬だ。

 もちろん、ただの馬ではない。

 背中から翼を生やし、夜空を駆ける馬。

 天馬だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る