雨の中の決闘

 レースに集中できていなかったシルバーライトは、案の定大きく出遅れた。一方隣のテンペスタはシルバーライトに煽られるようにして好スタートを切った。

 一頭大きく離されたシルバーライトだが、いつも通りといえばいつも通り。元々スピードに乗るまでに時間のかかる馬だ。しかし今日のこの不良馬場では、位置取りがとても重要となる。最後の直線でいつものような末脚を発揮できないかもしれない。後続だと前を走る馬が飛ばす泥を浴びる不利もある。

 現時点の状況からどういうレース運びをするか考えるカズマだったが、彼が指示を与えていないにもかかわらずシルバーライトが急に猛ダッシュを始めた。そんな無理のある走りでは露骨にスタミナをロスするため、カズマが手綱を引いてブレーキをかけたが、シルバーライトはまったく止まらない。

 シルバーライトの考えていることは明白だった。この馬は明らかに、テンペスタを追っている。追いつこうというより、とっ捕まえてぶん殴りたいというような走りだ。シルバーライトのあまりの迫力に、周りの馬が道を開けるように避けていった。

 大きな出遅れからの猛ダッシュ。カズマは呆れて笑いそうになったが、せめて自分だけは冷静に状況を見ていなければ。

 レースは十二頭。テンペスタは前から四番手辺りの位置につけていた。

 一コーナーから二コーナーへ抜け、シルバーライトも中団から先団へ上がっていく。スタートの出遅れから相当な距離を追い上げた形で、この後の展開に不安が残る。

 シルバーライトはテンペスタの外にピタッとつけた。すると、レース中にまさかと思ったが、走りながら隣のテンペスタに噛みつこうとする仕草をした。とんでもない馬だ。テンペスタは若干シルバーライトを気にする素振りを見せたが、すぐに真っ直ぐ前を向いて走っていく。テンペスタの騎手も一瞬ちらっとこちらに視線を向けた。

 ここまでハチャメチャなレースをする馬はカズマも初めてだ。感情がそのまま走りに表れる。見ているぶんには楽しいかもしれないが、乗っている人間からすると常にハラハラさせられる。

 向こう正面を抜けて三コーナーに入っていく。先頭との差は大きくない。前半の無理な走りも考えて、まだ控えていたい。

 しかしそこで、隣を走るテンペスタが動いた。徐々にスピードを上げて進入を開始する。おそらくこの重たい馬場を考えての動きだろう。

 テンペスタの動きを見たシルバーライトが、カズマの指示を待たずにスピードを上げた。もう少し辛抱したかったが、ここで無理に抑えるとおそらく失敗する。そう判断したカズマは、馬に任せることにした。自分はコース取りと、最後のスパートをするタイミングだけ窺っていよう。

 四コーナーから直線に向かい、テンペスタが早くも先頭へ躍り出た。上空を厚い雲に覆われた暗いレース場を、黒々しい馬体が駆け抜けていく。

 シルバーライトもテンペスタを追って、二番手に上がった。

 最終直線に入る。

 ここまで来れば、あとは地力の勝負だ。シルバーライトは泥水にまみれたターフに脚を取られることなく、力強い走りを見せた。カズマは鞭を打ち、馬の走りを後押しする。

 白い馬体が、黒い馬体を追っていく。飛びかかる泥のせいでシルバーライトはもはや灰色に近かったが。

 テンペスタとの差は一馬身。ちょうど馬一頭ぶんの差。

 残り200mのハロン棒を通過する。

 テンペスタとの差が少しずつ縮まっていく。カズマは必死に腕を動かしながら、ライバルとの差を計った。

 もう少し。

 あと一歩。

 ようやく希望の光が見えたところで、テンペスタがさらに一段階スピードを上げた。差し切りかけた黒い馬体に離されていく。

 そこでゴール板を通過した。



「おつかれさま。よく頑張ったね」

 ミドリはレース後のシルバーライトに駆け寄り、労いの言葉をかけて体を撫でてあげた。

 これまでの二戦ではミドリの褒めに喜びを表現したシルバーライトだが、この時は違った。むすっとしたような表情で、動きに躍動感もない。レースで敗れたことがわかっているのだ。

 本馬場から検量室へ向かおうとしたところで、シルバーライトがピタッと足を止めた。ミドリの引きにも微動だにせず、ある一点を見つめている。

 ミドリがそちらに目を向けると、一着になったテンペスタの黒い馬体があった。

 テンペスタの体が建物の陰に隠れるまで、シルバーライトはずっとライバルを睨みつけていた。

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