新馬戦

 各馬一斉にスタートした。

 逃げ、先行の馬が果敢に前へ出る。外枠の馬たちもシルバーライトを置き去りにし内側に切り込んできた。

 シルバーライトは出遅れたわけではないが、なかなか加速がつかずに最後尾に留まった。

 先頭の馬は早くも第一コーナーに差しかかる。

 ひとたびレースが始まれば、久々のレースであるという感傷に浸る暇などなかった。カズマはシルバーライトの状態を確認しつつ、最後方から冷静に状況を窺う。

 この馬の出足がゆっくりなのは、折り込み済みだ。初めから先頭を駆け抜けたノーザンスカイとは違う。走りも、性格も。

 第二コーナーを抜け、向こう正面に到達してもシルバーライトの位置は変わらない。

 だが、レースはまだまだこれからだ。


 サツキは、記者席からカズマとシルバーライトの新馬戦を見ていた。

 自分でも驚くほどに緊張してしまい、思わず立ち上がってモニターを凝視する。

 馬に乗り、レースを走る彼。あたりまえだった光景。もう見ることはないと思った姿。そこにあるのは喜びではなく、不安だ。気が気ではない。どうか無事にレースを終えてほしい。

 サツキは手の軋む音が聞こえそうなほどに、強く拳を握りしめていた。そうしていなければ、このレースを見る苦痛に耐えることができなかった。


 ミドリは胸の前で両手を合わせ、祈るような姿勢でレースを見守っていた。

 無事に走ってくれれば、それでいい。レース前はそう思っていた。しかし、それだけでカズマは納得するだろうか? シルバーライトは自分の走りに満足できるだろうか?

 二人に勝ってほしい。その想いが、レースが進むほどにどんどん強くなる。

 シルバーライトはまだ最後方。

 先頭の馬が残り800mの標識を通過した。


 カズマは手綱を握った手を押し上げ、馬に合図を送った。それに呼応したシルバーライトが、スパートを開始した。

 まだ三コーナーに入ったところ。前方で大きく順位を変える馬はいない。

 そんな中、シルバーライトは大外からぐんぐんスピードを上げていく。まるで周囲の時を止めているかのようにライバル馬たちを一気に抜き去り、あっという間に四番手辺りまで順位を上げた。

 最後の直線に入る。

 観客席から大きな声援が届いた。

 この感じだ。これが、レースだ。

 忘れていた、熱。

 昂ぶる感情。

 栄光のゴールまで、あと400m。


「行けっ、カズ!」

 サツキは自分でも気づかぬうちに怒声にも近い声を上げていた。

 周囲の人間が驚いて一斉に彼女を見やる。そんなことはお構いなしに、彼女はレースから目を離さない。

 サツキが好きなのは、馬に乗っている彼だった。勝負に挑む、彼だった。

 不安が期待に変わる。

 彼の勝利する姿が見たかった。

 そんな彼に寄り添いたいと思った自分を、思い出した。

 この火は、まだ消えてはいなかった。


 白い馬体がコースを駆け抜けていく。

 ダイナミックな走り。

 ミドリの視覚に、確かな感触を残していく。

 その姿は逞しく、そして美しかった。見惚れてしまうほどに。

 銀色の光がターフを突き抜ける。

 ミドリの瞳にその輝きを映して。


 カズマは鞭を打った。それに応えたシルバーライトが加速する。

 内で粘るライバル馬たちを振り切り、先頭へ躍り出た。

 そこからさらにスピードが増していく。

 どうだ、この景色は?

 これを見せたくて、自分はきみに乗ったんだ。

 良い気分だろう?

 良い眺めだろう?

 この声援が聞こえるか?

 これが、きみの力だ。

 ありがとう。

 自分を乗せてくれて。

 もう一度この場所へ連れてきてくれて。

 良い走りだ。きみのことが誇らしい。

 もしきみがよかったら、また今度一緒に走ってみないかい?


 シルバーライトは先頭でゴール板を通過した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る