異形の翼

ニセ梶原康弘@カクヨムコン参戦

一九四五年九月一日、博多湾上空

 「それ」を間近で見た日のことは、戦争が終わって七〇年以上が経った今も鮮明に思い出せる。


 その時、気が緩んでいたと言うのは酷だろう。五年に及ぶ戦争がようやく終わり、二週間が経っていたのだから。勝者である我々も疲れ切っていたのだ。

 毎回千を超える銀の翼を連ね、敵機の届かぬ遥かな空の高みから幾多の都市を焼き尽くし、無数の人々の生命を奪ってもなお、神の国を自称するこの帝国は呆れるほど頑強で膝を屈しようとはしなかった。

 だが、業を煮やしたように落とされた原子爆弾がついに彼等の意地を砕いたのだ。彼等は勝者の寛容に縋る無条件降伏を受け入れざるを得なかった。


 終戦。そのニュースを聞いた時、我々は心底安堵した。

 日々の爆撃で打ちのめされながらも出撃の度に激しい対空砲火と迎撃機が我々を迎え撃つ。その度に必ず誰かが贄となり、死神の書き記す人別帳の中に仲間入りするのである。その中にいつ自分の名前が刻まれるか……愛機に乗り込むたび誰もが死の恐怖に怯えていた。それがもうなくなったのだ! その喜びたるや、勝利の高揚感より勝るものだった。

 その後、日本の武装解除はトラブルなく進んでいると聞いていた。敗者となった彼等は意外なほど従順だった。

 そんな中、我々は九州の飛行場を接収せよという命令を受けた。飛行禁止命令も出されており、日の丸のついた飛行機は一機も飛び立つことを許されない。単独飛行であっても我々は何十機もの護衛機がいる時よりもずっと安心していた。

 そして、まもなく九州が見えて来るであろう時間に近づいてきた「それ」を最初は、先に日本入りした味方から迎えに派遣されたマスタング(アメリカ戦闘機P五一)と思ったのだ。


「おいおい、子供じゃあるまいし空で迷子になるとでも思ったのか。俺達が何度ここへ爆撃に来たと思っている?」


 笑った通信士の横で、ふと不審に思った機長のディーツ中佐が照準レンズを引き寄せ、その中に映った機影を見て叫んだ。


「違う、味方じゃない。日本機だ。日本の戦闘機だ!」


 その声は、平和に弛緩した我々の心臓を一瞬で凍り付かせた。

 敵は降伏したはずだ、何故……などと悠長に疑う余裕などなく、慌てふためきながら取り付いた機銃座の真上を「それ」は一瞬で横切った。

 信じられないような速さだった。


「全員撃つな! 回避行動も取るな!」

「機長、そんな……」

「何者であろうと怯えた様子を見せるな。戦争はもう終わっている。奴が何をしようと、我々の勝利は揺るがないと見せつけてやるんだ!」


 機長の叱咤を受け、我々のB-二九は微動だにしなかった。悠然と飛び続ける中、「彼」は翼を大きく捻ると我々と並行した位置にぴたりとつけた。

 もし、我々がその気になれば即座に撃墜できる絶好の位置である。なのに怯んだ様子は微塵も感じられない。

 飛行禁止を破ったばかりかつい半月前までの敵と編隊を組むにはよほど豪胆な操縦士に違いない……そう思って機影に目を凝らした私は次の瞬間、驚愕の声をあげた。


「信じられない! 見ろ、コイツはプロペラが後ろについているぞ!」


 機内のクルーは操縦士を除いて全員が左舷の風防に貼り付き、こちらへゆっくりと距離を縮めて来るその異様な機体に声を失った。


「こいつは一体何者なんだ……」

ジーク零戦でもオスカーでもない……こんな奴、今まで見たこともないぞ」


 我々に近づいて来た「それ」は今まで出会ったどの日本機とも違っていた。

 翼は大きく後ろへ後退し、小さな垂直尾翼がその両翼に突き立っている。機首は鋭く尖り、黒々とした四つの穴から巨大な機関砲の砲口が覗いていた。

 どこか神秘的で精悍なシルエットからは、しかし不気味なほど強大な未知の力が伺い知れた。


『震電』


 このB-二九を落とすため電光の名を授かった戦闘機だと、その時の我々は知る由もなかった。

 その機を駆って、この空へ駆け上ってきた飛行士には、そうせずにいられなかった理由があったかも知れない。親兄弟、家族を失った日本人は数限りなくいたのだから。それは、勝者である我々アメリカ人とて同じだった。

 だが、そんな愚行は終わったのだ。

 勝者も敗者も、もう生命を奪い合うことはない。私は出来るなら操縦席にいる彼にそれを直接伝えてやりたかった。


「お前は何故 ここにいる。戦争は終わったんだ、お前の戦うべき空はもうどこにもない。去れ。我々はもう誰の生命も奪わない。お前にも奪う資格はない……」


 そんな私のつぶやきが、もしかしたら風に乗って伝わったのだろうか。

 暫くの間、「彼」は我々と並んで飛んでいたが、飛行士は息を呑んで見守る我々に鋭い一瞥をくれるとふいに翼を翻した。

 「彼」が我々を撃墜しようとして現れたのか、それとも何かを伝えたかったのか……それは七〇年が経ち回顧する今なお私には分からない。

 言葉もなく見つめる中、機影はたちまち芥子粒のように小さくなり、雲間に消えた。



 異形の翼は去っていった。敗者として矛を収めた祖国の地へと……

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