向日葵

 私はそうして何かに惹かれるように、その道をゆっくりと歩んでいきました。山の中ですので当然草木は邪魔な程生えており、剪定もされずに健康に青々と育った大樹たちは、陽の光を遮断しきってしまうほどに木の葉をあわせており、じめじめとした湿気の他には何も暑いとは思えませんでした。

 その道は、舗装されているといえどもどうやらそれは数年前の作業のようで、割れたコンクリから足ほどの太さのある木の根が顔を出していたり、花の咲いていない百合の茎が道の真ん中に力強く生えていたりして、どうやら車両の走行すら少なくとも数カ月は無いようで、私は女という性でありつつも、幼年の男児のように心を踊らせていました。

 幼い頃は、親の運転で走る田舎の高速道路の風景が大好きな子供でしたから、このような自然一色に囲まれて気分が浮つくのも、当たり前のことなのかもしれません。

 五分程度歩くと、やがてうねるような道の先に古びた小屋を見つけました。遠目から見てもわかるほどに年季の入ったそれは、トタン張りの屋根の一部が錆びて剥がれ、現代では珍しい木造の壁も腐って穴を開けています。明らかに過去数年で人の手が加わっていないようなその建物は、更に近づいてみて見ると、最早人が住むのには適していないほどのボロ小屋でした。

 何故ならその小屋は、林冠の途切れた広い穴の下に立っていたのですから。雨風をある程度防いでくれる自然の屋根もなく、その場所だけが異様な程強く太陽の光が注しています。建物の腐敗も老朽化も、雨に強く打たれては眩い日差しに当てられを繰り返した年月故のものなのでしょう。

 しかし私はふと、その小屋のちょうど裏手に、何やら目を引く黄色を見ました。小道沿いにそちらへ回ってみると、そこには思わず目を見開いてしまうほど大きな向日葵の群が聳えるように生えていたのです。

 数十、もしくは数百あるかもしれません。小屋裏の荒れた土の十畳程度の敷地に、並び方の不揃いな向日葵の群れが、それは美しく天を仰いでいました。私の立つ場所よりも小高い位置に生えているというのもあると思いますが、それらはきっと私と並び立ってみても、私の上背を越すほどの背丈を伸ばしていることでしょう。

 枝木の絡み合った森の中で、唯一晴れ間が伺える異様な立地の小屋はどうやら、向日葵を育てるためだけに誂えられたような代物でした。種の詰まった中心から花火のように鮮やかな色合いの黄色が伸び、私を見向きもせずに一心に陽の光を見返しています。その光景の前には、小屋の腐りただれたのや錆びついたものは、最早視界の隅や私の記憶にすら居ませんでした。どうやら、園というのは向日葵園のことだったようです。

 数分ほどその場に立ち竦んだ私は、良いものを見たと満足げな気持ちで、踵を返して帰宅しようとしました。コンビニで購入したお茶は既に温くなっており、レジ袋の中は水滴で濡れています。そろそろ我が家の冷房の効いた部屋も恋しくなってきた頃で、私はポケットから取り出したスマホで向日葵園を数枚写真に収めると、来た道を引き返すべくそちらへ目を向けました。

 しかしふと、道の先──これまで来た道の進路方向──に、更に奥へと進むようなような細道を見つけたのです。細道といっても、これまでの道幅が更に狭くなったようなものではありません。人の手が加えられていない獣道です。

 私はその道に、何か異様なものを覚えました。ここまでに至る道ですら、人の出入りが全くと言っていいほど無さそうなものでしたから、当然、樹林の奥へと緩やかに繋がるそれも、草木が伸び切っていてもおかしくはないはずです。しかし、そこだけは何故か、伸びきった草が左右にわかれていました。生い茂る草本の間を掻き分けて進んだのでしょうか。

 私は、道の奥に一体何があるのか気がかりになりました。普段は通行が止められている山道が開放されていた、というだけでも大層魅力的なものではありましたが、未踏でありそうな山奥へ続く一本道、しかも人通りの痕跡が確かに残されているものが何処に続いているのかというのは、さらなる興味を掻き立てられるものです。

 何処かの公道や近所の学校への抜け道、もしくは民家の庭にでも繋がっているかもしれません。然し確認していない今の状態でのそれは、ただの一本道であっても、私にとっては未知なる場所へ続く特別なものですから。

 私は好奇心の赴くまま、帰宅の途へと向けた足先を、再び森林の奥へと向かわせました。その道途は人が一人通れる程度の道幅で、にも関わらず両脇草木が肌を擽ることもないので、比較的歩を進めやすいものでした。

 方々を低木や雄々しい幹に囲われながら、私は恐る恐る歩きました。ススキの青く若いのや、紫陽花の力なく枯れて果てたのや、絶壁に生えていた樹林の根が崩れて横薙ぎに倒れたのなど、夏の陽光を浴びて青々と茂る枝木の葉の下で、いつかは森の肥やしになるはずの終わった命たちの姿は、物悲しい風情のようなものを帯びていました。散る花、暮れる日、死にゆく命の美しさと同等のものなのでしょうか。

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