樹林裏のアネクメーネ

こましろますく

山道

 それは、茹だるような熱気が蔓延する、夏の暑い暑い日のことでした。

 熱を持った石畳上に蜃気楼が揺れ、私の視界は乱視をかけたように二重三重に暈けるのです。白く厚みのある雲が、天上の太陽の前を数度横切っては陽光を遮り、また日射を通しては曇りを繰り返す度に私は、もう直ぐ強い雨が降るのだなと確信していました。

 私が炎天下に出歩いていたのには、大した理由も有りやしませんでした。冷房の効いた室内でふと喉が乾いて冷蔵庫を覗いたところ、冷えたお茶や炭酸の一本も入っておらず、氷室の型に流し入れた水が氷になるのを待つにしては、水分を欲して乾ききった喉の痛みは、どうにも我慢ならなかったのです。

 最近は、冷房の効いた室内でも熱中症や脱水症状になり救急搬送をされる、などという話も増えているものですから、私は渋々外へ出て、近場のコンビニへ向かうことを決めたのです。

 近場と言っても、自慢ではありませんが私の住居があるのは都会でも端の方で。区内とは違って電車は十分に一本程度ですし、都心へ向かうには幾度も電車を乗り継がなくてはいけないような、東京都内でありながらも郊外の、比較的自然に囲まれた山間の地域です。なので私は、舗装された石畳の坂を下って数分の、最寄り駅の付近にある店舗へ行きました。

 その帰りのこと。コンビニの冷房で充分に冷え切ったはずの身体の芯も熱を持ち、私とペットボトルは滝のような汗を流して居ました。できる限り風通しの良い服をと袖を通したワンピースは肌に纏わり付き、直射日光を遮るためのつば広帽子は頭頂部に熱気を閉じ込め、汗ばんだ頭髪は蒸すような湿気を持っていました。私は蝉騒を喧しく思いながらも、干からびるよりは幾分かマシだろうと、鬱蒼と草の生い茂る木漏れ日の下を選んで歩いていたのです。

 そこでふと、勾配の急斜の右手に、山間へと続く狭い道を見ました。道と言っても、人の立ち入りが全く無いような獣道ではなく、軽自動車が一台は通れるような、荒くコンクリートで舗装された道です。普段は赤いパイロンと錆びた鉄鎖で塞がれているような、何処へ続くかも知らない道です。見る限りでは緩やかなカーブを描いているそれは、片一方は見上げるほど高い土壁に阻まれ、もう一方は切り落としたような崖が、底知れぬ闇まで深く落ちている深淵です。

 私が普段ならば目もくれないようなその道を、わざわざ足を止めて食い入るように見つめたのは、進行を規制するように置かれているはずの蛍光色のパイロンが、何故かその日だけは道の脇に退かしてあったからでした。切り立った崖に乱雑に突き刺してある木の立板には、『園、開放中』と太字で書かれた一枚の紙が、ガムテープで貼り付けてあります。

 私はそれに何故か、真夏の熱気が亡失したように思うほどの興味を抱きました。蝉騒が煽る時ごろ特有の、少年心が冒険を求めるような、田舎の風情溢れる山の奥へ無性に足を運んでみたくなるような、なんとも言い表し難い好奇心が唆られてしまったのです。園というものが何なのかも気になります。ですが何よりも、この先の見えない丘陵の道が何処に続いているのかを、確かめてみたくなったのでした。

 思えば、山間といえども精々都会の森の中なのですから、大したものなど無い筈でした。九州や東北なんかの山道でしたら、狸がでるだとか鹿が潜んでいるだとかあったのでしょうけれども、こんな片田舎で見られるものといえばハクビシンだとか、何処かの家の飼い猫だとかだろうと考えて決めつけることもできたのかもしれません。

 そうしていたほうが、きっと私は幸せだったのでしょう。

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