三話 猫とコロッケ電車

 猫のことを話そう。


 あ、いや、その前に。

 コロッケ電車について話そう。


 茨城県龍ケ崎市には、JRとは別に私鉄の路線が存在する。関東鉄道株式会社が運営運行する、私鉄竜ヶ崎線である。

 市名は『龍ケ崎』なのにここで用いる字体が『竜ヶ崎』なのは、実のところ全然誤植ではない。

 我が愛する新天地において、『リュウガサキ』の表記は徹底して揺れる。

 あるときは龍ケ崎で、またあるときは竜ケ崎。あちらは龍ケ崎で、こちらは竜ケ崎。

 その揺れっぷりにはある種の矜持すら存在するかのように僕には感じられた。


 その名の通り、竜ヶ崎線は全線が市内で完結している。全長五キロにも満たないごくごく短い路線で、始発から終点までの所要時間はおよそ七分ほど。

 だからこの路線はいたるところに龍ケ崎市のカラーを取り入れてるのだけど、とりわけ個性的なのは運用されている電車の、その車両においてだ。

 外観を見れば、車体には市のマスコットキャラクターである『まいりゅうくん』がフルラッピングされている(まいりゅうくんは市内の女子高生が生み出したキャラクターであり、車体ラッピングのデザインは同じく市の中学生たちによるものだという)。


 これはいい。ここまではよくあるラッピングトレインで、どこもおかしくない。

 問題は車両内部の装飾である。


 実にコロッケだらけなのだ。

 まずはあらゆる場所にコロッケ関係のポスターやステッカーが貼られている。

 次につり革に目をやれば、そのすべてに揚げたてコロッケの食品サンプルがついている。

 車内にある活字を拾えばそのほとんどがコロッケにまつわるキャッチコピーや格言だ(コロッケにまつわる格言って、なんだそりゃ)。


 極めつけに、車両形式を示す『キハ』の文字の下には、まったく同じ字体で『コロ』と表記されている。

 いかにも、ユーモアは細部に宿るのだ。細部にまで。


 はじめてこのコロッケトレインに乗った時には、初午祭りで夕声が口にした台詞を思い出さずにはいられなかった。


『この街のコロッケ推しはすごいからな』


 確かに、すごかった。目を瞠るほどに。



   ※



 五月半ばの平日、僕はコロッケ電車に乗って市の中心街へと向かった。

 市役所に出向かなけれ処理できない面倒な行政的手続きが出来 しゅったいしたのである(より正確には『出来していた』だ。引っ越しから数日以内には発生していたそのタスクを放置し続けた結果、厳つい封筒に入った督促状が届いてしまったのである)。


 面倒くさがって二ヶ月も放置してしまった手続きは、窓口で番号札を取ってから五分とかからずに終わった。

 窓口の職員さんに咎めるような態度を取られる、なんてこともなかった。

 僕は少しだけ後ろめたい気持ちで 市役所を後にした。

 そうして駅への道を歩いている途中で、SNSがメッセージを受信した。送信者は言わずもがなだ。


『まだいるか?』


 そんな書き出しではじまった内容を一言でまとめれば、『まだ中心街にいるなら合流して遊ぼうぜ』というお誘いだった。要約する必要すらないほど短いメッセージには、いつも通りの有無を言わせぬ強引さが満ちていた。

 もちろん僕はイエスの返信をする。僕は彼女のその強引さに弱い。


 龍ケ崎商店街は駅の目の前からはじまっている。商店街という言葉の持つノスタルジーなイメージを形にしたような、昔ながらの商店街だ。

 夕声が待ち合わせ場所に指定した店は、商店街のちょうど真ん中あたりにあった。

 商工会の婦人部が運営する『まいん』というお店で、龍ケ崎コロッケ発祥の聖地である。


 店内では数人のご婦人方が談笑しながら立ち働いていた。

 高齢化の進む商工会員の奥さんたちなのでみんなそれなりの年齢なのだけど、中に一人だけ、他のご婦人たちよりも干支三周りは年若い女性がいた。最年長のお婆さんと比べたら四周りは行くかも。


 もっとも、その若さには『外見上は』という但し書きがつくのだけれど。


「こんにちは、水沼さん」

「あら、椎葉さん」


 僕が声をかけると、水沼さんはおっとりと品の良い笑顔を返してくれた。左目の泣きぼくろが大人びた印象を与えてくるけれど、それでも三十を過ぎては見えない。

 外見上は、ね。


「夕声、来てますか? ここで会う約束してるんですけど」

「さっき来ましたよ。りんごコロッケ買ってくれました」

「いつもりんごですね、彼女は」

「そ、夕声ちゃんはいつもりんごのハートコロッケ。当店の一番人気。全国B級グルメのグランプリにも輝きました。揚げ油にラードを使っていないのでコロッケなのにさっぱりさわやか、ほのかな甘味とフルーティな風味が自慢です」


 いったい誰に言ってるのだ?


「それで、そのコロッケ持って、彼女はどこへ?」

「神社の裏の駐車場だと思いますよ」

「駐車場?」

「お友達がいるんですよ」

「はぁ。友達、ですか?」


 ハテナにクエスチョンを重ねる僕に、行ってみればわかりますよ、と水沼さん。そんな水沼さんにお礼を言って、ついでに米粉と黒豆のコロッケを一つずつ購入して僕は『まいん』を出た。


 お店から神社までは五分とかからない。

 その短い道中で、様々な考えが頭をよぎっては消えていった。


 コロッケ電車のこと。

 厳めしい封筒に入った督促状と、そのプレッシャーから解放されたカタルシスのこと。

 実直に年季の入った龍ケ崎市役所の建物のこと。

 ハートの形のリンゴのコロッケのこと。


 それに夕声の友達とやらのこと。


 彼女の交友網は実にカラフルだ。それに、彼女はいつでもそうした人間関係の中心にいるように僕には見えた。

 学校のクラスメイトたちも、女化神社の関係者や神社に参拝に来る近所の人たちも、それに人ではない連中も。

 みんな彼女が好きなのだ。


 夕声にとって、僕はたくさんいる友達の一人に過ぎない。それもひときわ色味が薄くて、ひときわモノトーンな。


 ……はて、なんで僕は、それがちょっとさみしかったりするんだ?


 そうこうしているうちに神社に辿り着いた。僕はそのまま境内を通り過ぎて、敷地の裏手にある駐車場まで歩く。

 コンクリート塀の角を折れると、しゃがみ込んだ制服の後ろ姿がそこにあった。

 予想に反して、駐車場にいたのは彼女一人だけだった。


「ゆうご――」


 と、呼びかけようとして僕が声を出した、その瞬間。

 なにかの動物が数匹、弾かれたようにして近くにあった車の影に駆け込んでいった。


「お、ハチ」


 おっす、とこちらに振り返りながら夕声が言う。いましがた目撃した謎の疾走に面食らいながら、僕も「お、おっす」と返す。


「な、なに? いまの?」


 タヌキか?

 いや、奴らがあんな風に弾丸じみて動けるはずがないことを、この二ヶ月ほどで僕はよくよく知っている(びっくりした時、タヌキたちはまずその場で硬直(フリーズ)するのだ。たとえば夜道で車のヘッドライトを浴びた時などに。だからしばしば悲しい事故が発生する)。


「ん。ほら」


 そう言って、夕声はその場に一匹だけ残っていた毛玉の塊を抱き上げた。

 それから、彼女はその獣を僕の目の前に持ち上げて、「にゃあ」と言った。


「……ねこ?」

「うん」


 答えて、それから夕声は小さく吹き出す。


「この現代日本でイヌネコよりも先にタヌキを思い浮かべるって、あんたもずいぶん毒されてるな」

「……ほんとにね。自分でも驚くよ」


 いっだい誰のせいだろう。

 そのとき、夕声の腕の中で、猫が小さく身をよじった。


「ん? どうしたマサカド、降りたいか?」


 夕声は抱いていた猫を地面に下ろしてやる。

 三毛模様の小さな子猫だった。この子だけが逃げなかったのは、まだ子供だから警戒心が発達していなかったのかもしれない。


「……水沼さんが、君は友達と一緒にいるって」

「うん。あたしの友達。ここの駐車場がこいつらのたまり場なんだ」

「こいつら?」

「こいつら。猫たちの」


 言いながら夕声があたりを見る。彼女の視線を追うと、少し離れた場所にあるマツダの軽自動車の影から別の猫がこちらを見ていた。ダイハツの軽トラの近くにもいる。


「そういえば前に君、猫が好きだって言ってたね」

「うん。全部の動物の中で猫が一番好き」

「自称キツネのくせに」

「あんたは好きな動物聞かれて人間って答えんのかよ?」


 ……たしかに。


 やれやれと、僕はいつものように村上春樹的なため息をつく。

 なんだか、気が抜けてしまった。水沼さんも人が悪いよ。わざと誤解させるような言い方をして。


「なんだ? あたしの同級生と引き合わせられるとでも思ったか?」

「ん……まぁ、そうかも」


 僕が正直に答えると、夕声は「ふーん」と言った。そこはかとなく楽しそうに。


「女子か? それとも男子?」

「は?」

「だから、あんたの予想の中であたしと一緒にいた同級生って、女友達? それとも、男だった?」

「え、あ、いや……」


 なんだこれ、どう答えればいいんだ?

 不意打ちの質問に思いっきり動揺する僕に対して、夕声はいつものようにからかうような表情を浮かべている。

 猫がねずみをいたぶるように嗜虐 しぎゃく的な。

 あるいは、キツネが人を化かすような――。


「ええと……マ、マサカドって、ずいぶんごつい名前だね」


 結局、僕は答えを保留して、というかごまかして、話を子猫の名前へとそらした。


「うん、あたしがつけたんだ。他の誰かはもっと別の名前をつけてるかもだけど、あたしにとってはこいつはマサカドなんだ」


 野良猫の名前なんてそんなもんだろ? と夕声。僕は肯いてそれに同意する。


 マサカドというのは、確認するまでもなくあの平将門公にちなんだ命名だろう。

 朝廷にクーデターを起こした逆賊。死して後も祟りを撒き散らす大怨霊。

 そんな風に他県では一般的な将門公のネガティブなイメージはしかし、この茨城県では否定される。特に彼の出生地である茨城県南部では、将門公は義侠心に富んだ男の中の男、民草の為に行動を起こした大英雄として今なお尊敬されている。


「猫につけるにはちょっと恐れ多い名前だけどな」


 照れたように笑って、それから続けた。


「それに、あんたがタイラ好きだって言ってたからな。ちょうどいいと思って」

「……はい?」

「だってあんた、平家物語が好きなんだろ? で、『僕は源氏より断然平家が好きだ』とか力説してたじゃん」

「え、あ、いや……」


 だからそう名付けたの? と僕。

 だからそう名付けたの、と夕声。


「強いオスになるんだぞー、マサカド」


 そう言って子猫をあやす夕声を、僕は呆然とした思いで見つめていた。

『僕が好きな平家物語に登場する平家の皆さんは、将門公じゃなくて将門公を滅ぼした平貞盛の子孫ですよ』とは、もはや口が裂けても言えなかった。


「ん? どうした? 複雑な顔して」

「……なんでもない」


 夕声はふーんと言って、それからまた猫のマサカドと遊び始めた。

 やれやれ、と僕はまたおなじみのため息をつく。

 それから、僕の趣味が彼女の大切な猫の命名を左右した、その事実に思いを馳せる。


「……やれやれ」


 まったく、どうして僕はそれがちょっと嬉しかったりするんだ?

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