第10話 母と弟

 篠崎が言った言葉を脳内で反芻する。

 母が母を辞めたってどういう事だ? バイトとかじゃあるまいし、やめるって言ってやめれるもんじゃないだろ。

 それに、あの優しかったかなセンセーがそんな事を言うなんて信じられない。

 気になるけど、これは聞いても良いのか?

 篠崎の表情を見るに、なんのことは無いような普通の顔だけども……。


 えぇい! ここで変に話題を変えても露骨すぎるから聞くぞ! 俺は聞くぞ!



「やめたって?」

「うん? そのままだよ? 母をやめたの。あ! だけど家にはちゃんといるよ? 妹や弟の母はやめてないもん」

「弟のはやめてないもんって……いや、おかしいだろ!」

「なんで?」

「なんでって……」

「ん?」



 コイツ、ほんとに分かってないって顔だ。

 娘の親をやめて妹や弟の親はやめてないなんて、それって……それって!



「篠崎……お前……」

「かずちゃんっ!」



 その時、芽依さんが少し大きめの声で俺の事を呼ぶ。



「かずちゃんにつぐみちゃん? もう学校着くからね? 遅刻にならないように、そろそろ鞄とか持って準備してくれるかしら? すぐ降りないと間に合わないかもよん?」



 と思ったらまたいつも通りのトーンでそんな事を言う。おかげで何を言おうとしてたのか忘れてしまった。

 覚えていたとしても、すでに篠崎は鞄の用意やスマホで時間を確認したりしている為、言うタイミングを逃してもはや何かを言う感じでもない。


 だけど……気になるな。人様の家庭の事情は安易に踏み込むもんじゃないのは分かってはいるけど、勘違いとはいえ俺の事を心配して世話してもらってるし、何か力になれればいいんだけど。

 来週の頭にはギブスも取れるしな。

 だけど多分、篠崎は俺がおかしいと思っている事をおかしいと思ってない節がある。

 どうしたもんか……。



「はい、着いたわよー! 降りて降りてー。二人ともしっかり勉強するのよ? つぐみちゃん、ウチのかずちゃんよろしくね?」

「はいっ! 任せてください!」



 考え事をしていると、いつの間にか学校の前に着いていたようだ。

 俺と篠崎は車から降りると、運転席の横にまわって芽依さんにお礼を言う。



「芽依さんありがと。助かった」

「お礼はキスでいいわよ? もちろん舌と舌を絡ませるディープキ──」

「芽依さん眉毛書き忘れてる」

「え、うそっ!?」

「嘘。んじゃ!」

「芽依さん。ありがとうございました!」

「も〜うっ!」



 朝から訳分からないこと言おうとする芽依さんを軽くあしらうと、俺と篠崎は校門へと向かう。

 その時、校門の前に一台の車。

 そこから降りてくるのは一人の男子生徒。ブレザーの袖のラインを見ると一本だから一年か。

 ちなみに、二年は二本。三年は三本と増えていく。刺繍代は学校負担で無料。まぁ、夏服になれば分かんなくなるんだけどな。



「ユタカ……」

「篠崎、知り合いか?」



 篠崎はその男子生徒を見ると足が止まってしまった。



「うん。知り合いっていうか……私の弟」

「あれが……」



 そしてその男子生徒を見送るために運転席の窓が開き、そこから見えた母親の顔。

 覚えてる。

 年齢は重ねているからあの頃のままでは無いけど、あれは確かにかなセンセーだ。



「ユタカ。頑張ってね」

「……わかってる」



 ユタカと呼ばれたその生徒。篠崎の弟はそれだけ言うと校舎に向かって歩き出してしまった。



 俺は止まっていた足を踏み出して車の近くまで行くと、かなセンセーに向かって声をかけた。



「かなセンセー。お久しぶりです。覚えてます? 保育園でお世話になった仁村和樹です」



 篠崎の足は、まだ動かない。

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怪我をして休んでいただけの俺を不登校だと勘違いした美少女委員長が、毎日登校ボーナスをくれるお話 あゆう @kujiayuu

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