第22話:騎士は真実を知る


「大丈夫、俺は……君を一人にはしない」


 そんな言葉と共に目を開けると、そこにはギーザがいた。

 その頬を伝う涙を拭う俺の手は、いつしか人の物に戻っている。

 体の感覚も全て戻り、頬に触れた指先に柔らかな温もりを感じた。


 気がつけば魔神の意思はもう完全に消えている。

 身体を這っていた闇も霧散し、その下から現れた身体は人間に戻っているようだ。


 それに気づいて抱きついてきたギーザを、俺は腕の中に閉じ込める。

 ずっとこうしたかったのだとしみじみ思いながら、俺は彼女の髪に顔を埋めた。


「愛してる」


 その気持ちは俺の物だった。


 けれど、響いた声は俺の物ではなかった。

 驚きギーザを見れば、目に涙をたたえた彼女が俺を見つめている。


「愛してたの……今も……昔も……。だから、どうかいなくならないで……」


 彼女を泣かせてしまったことが、とても心苦しい。

 でもこぼれたのは夢のような言葉だったから、俺はつい不安も覚えてしまう。


「……俺、もしかして死んだ?」

「不吉なこと言わないでよ……!」

「だって、今……」

「幻覚でも空耳でもないわ。あなたのことを愛してるって、そう言ったの」


 泣きながら微笑むギーザを見た瞬間、俺は彼女に口づけていた。

 言葉を返す余裕はもはやなくて、ただただ自分も同じ気持ちだと告げたくて、俺は先ほどより強くギーザの体を抱き締める。


「ま、待って、……みつのり……じゃなくて、アシュレイ……ッ」


 苦しいと訴えるギーザに、俺は慌てて腕を緩める。

 けれどまだ離れがたくて、もう一度唇を奪うと小さな手に頭をポカリと叩かれた。


「ま、待ってって言ったのに……!」

「ごめん、あまりに幸せでつい」

「つ、ついであんな……すごいキスしないで」

「まだ全然すごくないぞ」


 だいぶ手加減をしたと言えば、ギーザは真っ赤になる。

 それが可愛くてもう一度キスしようとしたら、そこで唇を手で塞がれる。


「き、キスより……身体は大丈夫なの?」

「ああ、もう平気だ」

「でも魔神は?」

「もう気配さえないよ」


 俺の言葉に、ギーザはほっとした顔をする。


「たぶん君のおかげだ。君の声がして、おかげで俺は自分を保てた」

「勝てたのはアシュレイが強かったからよ。それに、そもそも全部私が……」

「でも、俺のためにしてくれたことだろう?」

「だとしても、私が悪いことに変わりないわ」


 それに……と、彼女は浮かない顔で項垂れる。


「今回は助かったけど、次はどうなるかわからない」

「えっ、次?」

「きっとこれは序章よ。あなたは悪魔だし、これからもっと酷いことになるかも」


 魔帝だけでなく魔神と呼ばれる存在にまで襲われた。なのにこれ以上があるわけないと俺は思ったが、ギーザの顔は晴れない。


「そんな顔するなよ。さすがに、もっと酷いことなんてないさ」

「いいえ。私が側にいればきっと、もっと酷いことが起こる」


 そして彼女は涙を拭い、覚悟を決めた顔で俺を見つめた。


「だって私、見たの」

「見たって何を……?」

「私が死ぬ間際にやってたゲーム、あるでしょう?」

「もしかして、スマホのやつか」

「あれ、実はラスボスが……アシュレイだったの」


 予想外の言葉に、俺は思わず息を呑む。


「ラスボスって、俺が……? 本当に?」

「正確にはギーザがアシュレイに憑依させた魔帝だったけど、そのせいで彼は悪落ちしてしまうの。バッドエンドだと彼は世界の半分を滅ぼし、もう半分を魔神に憑依されたギーザが壊してしまうのよ」


 スマホ版は悪魔と愛の弾丸の集大成をうたっており、シリーズキャラが全員出てくるのだと彼女は告げた。そんな中敵に抜擢されたのは、セカンドシーズンの悪役であったギーザと万年人気投票最下位のアシュレイだったらしい。


 スマホ版のメインストーリーは、実は生きていたギーザを改心させるという内容なのだが、どの選択肢を選んでもギーザは改心せず、アシュレイは悪落ちしてラスボス化。アシュレイの個別ルートに入っても結果は変わらず、むしろほぼ世界が壊滅するという恐ろしい展開になるのだという。


 結果、どのルートでも最後にアシュレイを殺す結末になるらしい。 


「アシュレイの方は救えるって情報があったけど、明確な攻略方が出てなくて私は何度やっても救えなかった……。それどころか、どの選択肢を選んでもアシュレイはギーザの手によって酷い姿にされてしまって……」

「じゃあまさか、君が俺から離れようとしたのはそのせいか?」

「スマホ版のストーリーが始まるのはまだ先だけど、既にあなたは私のせいで悪魔になってしまった。それがもっと進行しないように、距離を取らなきゃって思ったの」


 でも……と、ギーザは目を伏せる。


「あなたは追いかけてきてくれた。それが嬉しくて、幸せで、ちゃんと拒めなくて……」

「拒む必要なんてない!」

「でも現に、あなたは私のせいでどんどん人間から遠ざかってる。だからこのまま一緒にいたら、もっと酷いことになるかも」


 今度こそ人の心を失うかもしれないと、ギーザは不安を覚えているのだろう。


 彼女の不安は、俺も理解できた。

 好きな相手に破滅の未来しか無いとわかれば、それを回避させたいと願うのは当然だ。

 俺だって、実際にそうした。

 同じ状況なら、自分だって身を引こうとしたかもしれない。


――でもそれは、自分と彼女の本当の気持ちを知る前の話だ。


「確かに俺は、人から遠ざかってる。……いやもう、多分俺は人じゃない」

「だったらやっぱり……」

「でもそれが悪いことだと、俺は思わない。だっておかげで一番好きな相手と、こうして両思いになれたんだから」


 そしてギーザの願いは、俺と幸せなることなのだと知ることが出来た。

 だとしたら一方的な幸せを押しつけたり、別離を選ぶことはもう出来ない。


「見方をかえれば、これは凄まじいハッピーエンドだぞ。前世の恋が実って、キスまでして、色々あったけど俺たちはどちらも死んでない」

「でもこれから、そうなるかも」

「ならないよ。ようやく手に入れたこの恋を、俺は絶対に手放さない」


 そしてこの悪魔の力は、そのための物だと俺は思うのだ。


「それに悪魔だけじゃなくて、俺の中にはギーザが言っていた魔神の力もある」

「まさか、魔神とも融合してしまったの?」

「みたいだけど、この通り無事だ」


 姿も人に戻ったし、今なら自由に悪魔と魔神の力を使える気がする。


「けど、ゲームでは何をやってもアシュレイを救えなかったのよ?」

「でもそれは、ヒロイン視点の話だろ」

「視点って、どういうこと?」

「さっき、ギーザがアシュレイをこんな風にしたって言っただろ。ってことは、スマホ版のヒロインはギーザじゃないんだよな」

「うん、新キャラだった」

「だとしたら、そのヒロインの愛じゃアシュレイは救えない。きっと、彼のメインヒロインは他にいたんだ」


 そう言って、俺はギーザの頬を優しく撫でる。

 すると彼女も、ようやく俺の言いたいことがわかったらしい。


「俺みたいに、アシュレイもギーザルートに入ってたんだよきっと。そうしたら他の女の言葉なんて届くわけがない」


 アシュレイはこんなにも一途なんだからと笑うと、ギーザの顔から再び涙がこぼれる。


 でもそれは、悲しいだけの涙ではなかった。


「私なら、あなたを救える?」

「もう救ってもらってる。ギーザを愛したかったから、君に愛されたかったから俺は魔帝も魔神も退けた。それってつまり、乙女ゲームでよくある愛が勝つって事だろ?」


 今以上に強い敵が現れたとしても、すべてを打ち負かせる自信が今はある。

 ギーザが側にいてくれたら、俺はきっと誰にも止められないはずだ。


「だから離れずに側にいてくれ。俺を思うなら、なおさら」


 頼むと言いながら腕を広げれば、ギーザはもうためらわなかった。

 俺の胸に飛び込み、彼女の方からぎゅっと抱きついてくれる。


「許されるなら、私も側にいたい」

「許されるよ。もし許せないって奴がいたら、俺が無理矢理言うことを聞かせてやる」


 そうできる力もあるぞと笑えば、ギーザもつられて微笑んだ。


「私は、あなたの愛の力を甘く見ていたのね」

「むしろ重すぎてドン引きさせるかも」

「しないわ」


 そう言うと、ギーザがそっと俺の唇を奪う。

 ささやかなキスだったが、俺の理性を瓦解させるのには十分過ぎるキスだ。


「やばい、もうキスだけで止まれる気がしない」

「……そ、そういうことはもう少し落ち着いてから、ね?」

「いやでも、ここは誰もいないし」

「破滅イベントの直後に盛ってどうするのよ!」

「だって君が可愛すぎて……」


 などと言ってると、突然部屋の扉が開く。

 はっと顔を上げると、なだれ込んできたのは討伐隊の皆様方だ。

 そこには不安そうな顔のイオスとジャミルもいたが、抱き合っている俺たちを見るなりほっとする顔をする。


「……悪魔がいると聞いてきたんだが、これは一体……」


 二人の上司らしき騎士が、唖然とした顔で俺たちを見る。

 纏う魔力から察するに、彼があの炎の魔法の使い手だろう。

 さすがにバレたらまずいと思い、どう誤魔化そうかと思った瞬間、ギーザの表情が一変する。


「悪魔は、ここにいるアシュレイ様が倒して下さったのです」


 凄まじい演技力で、ギーザは恐ろしい悪魔に襲われそうになったところを助けられたのだと訴える。

 まあ確かに襲われていたのは嘘ではない。というか、こんな状況にもかかわらず現在進行形で襲いたい気持ちになっている。


 だが人前で破廉恥なことをしでかす趣味はないので俺も慌てて頷けば、そこでイオスとジャミルが前に出た。


「その人の言葉は本当」「その人の言葉に嘘はない」

「本当か?」

「「アシュレイは、あの山小屋で悪魔から僕たちを救ってくれた」」


 二つの声が綺麗にそろえば、騎士は渋々と言った顔で引き下がる。

 そのやりとりから察するに、双子は山小屋でのことを周りに話していないのだろう。

 女学院にきたのも、二人の告げ口ではなかったのかもしれない。

 どSで鬼畜だが、やっぱり根は良い子たちなのだ。


「アシュレイ……、そうか……あなたがあの伝説の……」


 それを証明するように、騎士は今更俺の正体に気づいた顔をする。


「そう、伝説の騎士」「だから悪魔、倒せて当然」


 イオスとジャミルが更にフォローすれば、完全に疑いは消えたようだ。


 とはいえ別の意味で、騎士たちは俺に妙な目を向けてくる。


「だが英雄とはいえ、女子の前でその格好はいかがなものだろうか」


 そんな皮肉と視線が向けられていたのは、俺の身体だ。正確には股間だと気づいた瞬間、俺は自分が全裸であることに気づく。


「えっ、俺ずっと裸だったの……?」


 小声で尋ねると、ギーザが真っ赤になって顔を背ける。

 多分身体が変異したとき、破れてしまったのだろう。

 ふたりが思いを重ねる感動シーンだったのに、まさかの全裸。

 格好がつかないにも、程がある。


「アシュレイ、この前も脱いでた」「アシュレイ、その子の前ですぐ裸になる」


 変異を誤魔化すための嘘だとわかっていたが、前回服を脱がせたのはお前たちだろうと言いたくなる。


 しかしそこでギーザもまた「愛情が過剰で、時々野獣になる方なんです」などと演技をするものだから、討伐隊の騎士たちは俺を悪魔ではなく変態だと認識したようだ。


 その後白い目を向けられ続けたが、ひとまず危機は去った。

 俺の名声は、ここで終わるかもしれないけれど。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る