第21話:騎士は後悔の中で消える


 闇の中で、俺の肉体は人間の要素を完全に失っていた。

 そして心もまた憎悪に呑まれ、少しずつ自分という存在が曖昧になっていく。


 それでも大事なものを手放したくない。彼女を忘れたくないと思いながら必死に抗っていると、不意に懐かしい光景が脳裏に蘇ってきた。


『ねえ、もし病気が治ったら……一番に何をする?』


 それはかつて、彼女が俺に投げた問いかけだ。

 考える間もなく、質問への答えは決まっていた。


――改めて彼女にプロポーズし、今度こそずっと一緒にいる。


 俺が望むのは、ただそれだけだった。


『ちなみに私はね、ずーっとゲームがしたい』


 でも彼女の望む未来に俺はいなくて、寂しさから本当の願いは口にできなかった。


『長生きできても、やっぱりゲームが一番なのか?』

『だって私、これしか知らないもの』


 そう言って、彼女は少し寂しそうに笑った。


『私、ゲーム意外に満足に出来る事がないの。外の事なんて何も知らないし、元気になっても他のことをする勇気なんてないわ』


 だとしたら自分が外の世界のことを教えると、俺は言いたかった。

 ゲームの他にも素敵な世界がある。素晴らしい恋もある。

 それを俺が教えると、そう言いたかったのだ。


 でもそこで彼女は発作を起こして、結局言いたかった言葉は何一つ伝えられなかった。


 思えば俺は、いつもいつも一番の願いを彼女に伝えていない。

 アシュレイになって、愛の言葉は何千回と口にした。

 でも本当の気持ちは、ずっと飲み込んでいた。


 俺は彼女に愛されたかった。選ばれたかった。誰にも渡したくなかった。


 彼女の幸せを一番に考える物わかりのいい男のふりをしていたけれど、それは本当の俺じゃない。

 本当の俺はもっと独りよがりで、心が狭くて、抱いた愛情だって綺麗なものじゃない。


 そしてそういう自分を、彼女に愛して欲しかった。


 自分が消えかけているときになって、俺はようやくそのことに気づく。

 でも全ては遅すぎた。もう少し早く気づいていれば、やり直すチャンスはあったのにと深い後悔が押し寄せる。


 そして負の感情と共に、俺という存在は消え始めていた。


「……レイ! ……アシュレイ……!」


 だがそのとき、ギーザが……“彼女”が、俺の名を呼びながら泣いているのを感じた。


「起きて……! ねえ起きてよ!」


 死に際に何も出来なかった俺とは違い、彼女は死を追い払おうと必死に声をかけていた。


 それに気づいた瞬間、俺を取り巻く闇が揺らいだ。

 そして少しずつ、身体の感覚が戻ってくる。


「お願い……お願いだから、戻ってきてよ、光則みつのりさん!!!」


 ギーザの声が、もう一つの名前を呼んでくれる。

 その声から伝わってくるのは、俺への深い愛情だった。


 彼女の声で、俺はようやく好きと言ってもらえたことを思い出す。

 途端に、死ねないという思いが強くなる。

 せっかく両思いになりかけているのに、こんなところで自分を失ってたまるかと心が奮い立った。


――死ねない。彼女を、たった一人で残せない……。


 強い思いが引き金となり、俺は少しずつ自分を取り戻しはじめる。

 魔神の意思が改めて俺を消そうと躍起になるが、今の俺には抗う力が戻っていた。 


 消えるのはお前だと、俺は纏わり付く闇を振り払う。

 そして身体に宿った禍々しい魔力を、己の中で爆砕させた。

 焼け付くほどの熱が体の内側で爆ぜ、魔神の意思が悲鳴を上げながら苦しむ声がした。

 その苦しみは今は俺の物でもあり、異形と化した体は頽れ、口からは獣のような声がこぼれた。

 魔神と俺の境界線が消えて、痛みと共に全てがひとつになる。

 だがその主導権を握っていたのは俺だ。激しい苦痛の中、魔神の意思を少しずつ消していく。


 こんなはずでは無かったと、魔神の意識が苦しみに沈む。

 同時に俺もまた消えかけたけれど、苦痛のなかでなんとか心を保つ。



 ――死ねない。そしてもう、彼女を泣かせない。



 それだけを考えながら、俺は魔神の意識と共に消えかけた命を必死に繋いでいた。


「お願い。どうかもう一度……目を開けて……」


 そのとき、ギーザが俺にそっと口づけた。

 心で、身体で、それを感じた瞬間――、俺は彼女の涙を拭おうと手を伸ばした。

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