第3話:騎士は悪魔と邂逅する


『この十五年、あなたの呼びかけをずっと待っておりました』


 翼を羽ばたかせながら、俺の前に降り立ったのは確かに悪魔だった。

 肌がピリピリするほどの魔力を纏い、その目は赤く輝いている。


 しかしそいつは、人間に酷似していた。背中に大きな翼が生えているが、長い銀髪を靡かせながら俺を見つめる顔立ちは男なのにひどく美しい。

 渋すぎて人気が出ない俺とは真逆の、女の子にキャーキャー言われそうな容姿にうっかり嫉妬しかけていると、悪魔が朗らかに笑った。


『さあ、ご命令をどうぞ。我が主』

「あ、主……?」


 予想以上の美声に戦きながら尋ねると、悪魔はにこやかに頷いた。


『魔帝であるあなたは、我々の絶対なる王。そして私は王の右腕たる悪魔でございます』


 どうしよう、言っている意味が全然わからない。


『私の名はレイン。さあ、何なりとご命令を』

「いや、すまん、全然話が見えないんだが」


 そもそも魔帝ってなんだと考えたところで、俺はゲームのラストバトルをふと思い出す。

 そういえば、ヒロインが打ち倒すラスボスが自分を『魔帝』と名乗っていた気がする。

 イケメンに乗り移り、高笑いしながら『我は魔帝グレイン。この身体を用い、人間の世を破壊してやる』とか言っていた。


 そしてそのラスボスに、俺は既に一回身体を乗っ取られかけている。


「魔帝って言うのは、指輪の中に封印されていた奴か?」

『ええ。そしてあなたは、あの方の器。魔帝自身。つまり、我が主なのです』

「器って俺が?」

『十五年前、あなたは主に選ばれました。そして主はその身体を作り替えられた』

「だが俺は魔帝じゃない。まあ身体は、限りなく悪魔らしいが……」

『らしいどことか、実際悪魔なのです。その身体はもちろん魂も溶け合ったあなたは、魔帝そのものです』

「おい待て、魂ってマジか!? 魔帝は指輪に封印されてるんじゃ……」

『いいえ、私はあなたから魔帝の全てを感じます。故に、私はあなたを守護し仕える存在なのです』


 仰々しく翼を広げ、レインが高らかに言い放つ。ゲームだったらスチルになっているに違いない神々しさに戦きながら、俺は自分の身体をペタペタと触ってみた。

 悪魔になりかけているのは知っていたが、よりにもよって魔帝だなんてさすがに予想外だ。悪役令嬢以上に破滅エンド待ったなしの予感がする。


『さあ主、私に何なりとご命令を!』


 だとしたら悪魔に関わるなんてまっぴらだと思い、俺はレインへの最初の命令を決める。


「じゃあとりあえず、今日のところは帰ってくれるか」

『……え?』

「いや、深夜の女学院でまさかこんな告白されるとは思ってなかったし、さすがに俺もショックだし」

『ショック……なのですか?』

「当たり前だろ。ただでさえ嫁に振られて傷心中なのに魔帝ってなんだよ、俺は嫌だぞそんなの」

『何故嫌がるのです! 今のあなたは魔帝の力を意のままに操つれます! その力を使えば、この世界だって思いのままですよ!』

「思いのままに破壊できる……とかそういう感じだろう」

『そうです。あなた様の力を持ってすれば、大地を砕き、空を裂き、時空だって歪められるのですよ!』

「いらねぇよそういうのは。俺はただ、嫁が幸せに暮らせればそれでいいんだよ。どちらかというと地味で質素な暮らしがしたいタイプなんだよ」


 断言すると、レインは愕然とした顔をする。


『なぜ……。魔帝と融合した今までの器たちは皆、嬉々としてその力を行使したのに……』

「むしろそっちのがレアだろ。大地砕いてどうすんだよ、グランドキャニオンでも作るのか?」

『きゃ、きゃにおん?』

「まあともかく、そう言うのは良いんだわ。俺は今、別件で忙しいし」

『別件とは何ですか? 悪事ですか? 悪事ですよね? 悪事でしたらどんなことでもお手伝いしますよ!』

「いや、悪事って言えば悪事かもしれないが……」


 魔帝の右腕を語る悪魔に手伝って貰うのもどうかと思うのだが、奴は嬉々として身を乗り出してくる。


『どうか私にご命令を! 私は主のために生きる存在! 主の命令こそがすべてなのです!』

「お前、もうちょっと主体性を持った方が良いぞ」

『主と、主の命令があれば、私はそれだけで良いのです!』


 どうやらこいつは、愛が重いタイプのようだ。もし攻略キャラならヤンデレ化しそうな思考回路である。


『さあ、ご命令を』

「じゃあ帰れ」

『それ以外のご命令を!』

「……なんでも、良いのか?」

『ええ。主の願いであれば叶えるのが私の勤めです』


 そこまで言われてしまうと、何も言わないのもなんだか申し訳ない気がする。

 自分が魔帝だと認めてしまうようで気が進まないが、たとえ相手が悪魔でもここまで言われて無視するのはかわいそうな気がした。


 だから俺は生徒たちが眠る寄宿舎の方を見つめ、頭を悩ませる。

 それから五分ほど悩み、俺はようやく名案を思いついた。


「お前さ、壁抜けとか出来る?」

『もちろんです』

「じゃあさ、あっちの部屋からありったけの下着盗んでこい」

『し……たぎ?』

「パンツとかブラジャーとか、セットでも良いぞ」

『こ、この私に下着泥棒をしろというのですか!?』

「何でもやるって言っただろ」

『ですが私は主の右腕です。参謀です。凄まじい魔力を持っているのです』

「じゃあサクッと出来るだろう」

『……』


 答える代わりに、レインは押し黙り、何かを堪えるように唇を噛んだ。

 どうやら、もの凄く葛藤しているらしい。


「出来ないなら出来ないで良いよ」

『い、いえ……主の……ためなら』

「いいって。俺も言ってみただけだし」

『ですが、主が少女たちの下着をご所望なら、私は……私は……!』


 そこでぐっと拳を握り、レインは身悶える。


『やりましょう。この力で、見事盗んで差し上げましょう』

「あ、やっぱ下着はやめよう」

『決意させた直後に撤回するのはさすがに酷い!』

「いや、盗みはして貰うって」


 ただ、ふと思ったのだ。


「下着を盗まれるって、女の子たちからしたら凄く嫌なことだろ? トラウマになっちまうかもしれないし、やっぱハンカチくらいにしよう」


 とにかく、イケメンを学園に送り込めるきっかけがあればいいのだ。

 そのために、女の子たちの心とパンツを犠牲にするのは忍びない。



『この私に、ハンカチを盗ませるなんて……』

「言っておくが、こっそりやれよ。誰かを傷つけたり、驚かしたりするのは禁止だぞ」

『わかりました』

「とりあえず片っ端から盗め」

『……では、五分ほどお待ち下さい』

「五分でこなすなんて、お前凄いな!」


 うっかり感心すると、レインは驚いた顔で俺を見つめる。


「ん? どうした?」

『いえ……主に褒められたのは……初めてなので』

「いや、だって凄いだろ」

『そ、そうですか?』

「ああ、お前は最高のハンカチ泥棒だ」

『その褒め言葉はちょっと不本意ですが、主の期待には必ずや答えてみせましょう!』


 言うなり、レインの姿がぱっと消える。


 それを見送ったあと、俺は奴が戻ってくるまでの間にこの庭にちょっとした仕掛けを施すことにした。

 ハンカチを盗んだだけでは、ただのこそ泥だ。でもそこに悪魔的要素が絡めば、きっと翌朝大事件になるに違いない。

 だから俺は倉庫にしまってあった赤いペンキでそれっぽい魔法陣を中庭に描いた。

 前世で見た魔法陣がテーマのギャグアニメを思い出しながら書いたそれは、なかなかの出来だ。


『お待たせしました』


 そうこうしているうちに、レインが大量のハンカチを抱えて戻ってきた。


「よし、魔法陣の上に置いてくれ」

『まさか、これは何かの儀式ですか!? 人間を血祭りに上げる気になったのですか!?』

「いや、儀式のふりをするだけだ」


 最後の仕上げに俺は指を切り、持っていた手帳のページを破りそこに血文字を綴る。


『この学校と女子の私物は私の物だ。次はパンツを盗んでやる!覚悟しろ! 漆黒の魔帝』


 いっそ開き直って魔帝の名を使い、俺はメモをハンカチ上にのせる。


「よし、完了!」

『えっ、これで終わりですか?』

「ああ」

『でも何か、これを使って恐ろしいことするのでは?』

「そういうキャラじゃないって言っただろう。訳あって合法的にこの学校にイケメンを送り込みたいから、こうして『理由』を作っただけだ」


 ハンカチを盗んだのは申し訳ないが、誰かを傷つけるよりはまだマシだろう。

 

「じゃあ俺は帰る。ありがとな、助かったよ」

『お、お待ち下さい! 私は主の右腕、これからもお側に……』

「いや、さすがに悪魔を連れて歩けないだろ。魔帝がどうのこうのって話がばれたら俺もさすがにヤバいし、お前は好きに生きてくれ」


 それが俺の命令だと言って、俺はそそくさとその場をあとにする。

 色々と衝撃の事実が発覚し混乱もしていたが、ひとまず目的は達成された。


 だから今日は家に帰り、魔帝云々のことは明日甘い物でも食べながら考えよう。

 そう決めて、俺は夜の森を歩き始めた。

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