第1部最終話:ギーザのプロローグ


『俺と、結婚しないか?』


 推しに似た顔が、私にそう言った。

 彼は私とは釣り合わない人だった。

 故に本気だとは思わなかったし、だからこそ私はその言葉に乗っかってしまった。

 そしてそれは間違いだったのだと、漏れ聞こえてくる父とアシュレイの会話から、私は悟った。


「……今の話を聞いて、まだ奴との婚約を破棄するつもりか?」


 前世に思いを馳せていた私に声をかけてきたのは、部屋から出てきた父だった。どうやら彼は、私が二人の盗み聞きしていると気づいていたらしい。


「私は、彼を愛していないので」

「そういう顔には見えないが?」


 父の射るような眼差しは、ゲーム画面で何度も見た鋭い物だった。

 だがその瞳には私とアシュレイを思う気持ちも見て取れた。


 記憶が戻って、一番混乱したのは父の変わり様だ。ゲームの中では悪逆非道の限りを尽くしていた彼が、この世界では誰にでも優しい男になっている。

 そして私たちは、幸せに暮らしている。母も死なず、妹との仲も良好で、悪役令嬢とは思えない穏やかな日々を私は送っている。

 それもこれもアシュレイのおかげだ。彼が私のためにと努力してくれたから、私はこんなにも平和な日々を過ごしている。


――でもだからこそ、彼とは結ばれてはならない。


「私はもう彼とは結婚しないと決めたんです」

「なにか、理由があるのか?」

「ええ。ですがお父様には言いません、あなたはアシュレイの味方でしょう」

「お前たちの味方だ」


 そう言って肩を抱き寄せられると、父の優しさに甘えたくなる。

 けれどせっかく悪役から解放された彼を、私の事情に巻き込みたくなかった。


「お父様、ひとつだけお願いがあります」

「ひとつといわず、何でも言え」

「私をイベーリア女学院へ入学させて下さい。あそこは、男子禁制でしょう?」

「やはりお前は……」

「親不孝な娘でごめんなさい。でもどうしても、彼とは結婚できない事情があるんです」


 私の決意が変わらないと察したのか、父はため息と共に頷いた。


「いいだろう。お前の好きにすれば良い」

「ありがとうございます」

「だが俺は、あいつが好きのするのも止めないぞ」


 最後に私の頭を撫でてから、父は行ってしまう。

 それを見送りながら、私はそっと胸元に手を当てた。

 探るように指を動かすと、銀色の鎖が小さな音を立てる。鎖には、子供用の指輪がひとつ通されている。


 それはアシュレイが倒れた日、私のためにと用意してくれたプレゼントだ。

 彼の手から受け取ることの敵わなかった指輪を、私はずっと身につけていた。成長し、指に入らなくなってしまった今も、こうして肌身離さずにいる。

 そしてたぶん、これから先もずっと、私はこれを捨てられないだろう。


 ギーザとして彼に会った日から、私はずっと彼に特別な感情を抱いていた。

 不思議なことに、私はおぼろげながらも赤子の頃の記憶がある。その頃はまだロクな自我もなかったけれど、それでも毎日のように現れては、私を溺愛する彼に強い愛情を抱いていた。

 それは年を重ねるごとに強くなり、彼が長い眠りについた間も変わらなかった。


 今思えば、それはきっと私が転生者であったからだろう。

 記憶が戻る前から、多分私はアシュレイが前世の夫であることを感じていたのだ。

 だからずっと、私は彼が目覚めるのを待っていた。

 待って、待って、待ち続けて、ようやく夢がかなったあげくに前世を思い出すなんて皮肉な物だ。


「いっそ、何も思い出さなければよかったな」


 おとぎ話のように、愛しい人といつまでも幸せに暮らす。

 そんなことを夢見たまま生きていたかったけれど、私はこれがおとぎ話ではないと知ってしまった。


 ここは、乙女ゲーム『悪魔と愛の銃弾』の世界。

 そして私は恋した相手を不幸にする運命を持つ、悪役令嬢なのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る