終幕:炎の腕(かいな)のサラマンデラ

「じゃ、じゃあ始めますよ?」

「ええ、早くして」

「うぅ…黙って行ったのは悪かったですってぇ…」


 翌日、昼過ぎに異能研病院いのけんびょういんに戻ってきた妃香は直ぐに実験の準備に取り掛かり、私と顔を合わせたのは夕飯後に「準備が出来ました!」と伝えに来た一瞬だけだった。

 そこから私は看護師さんに運動を出来る服装に着替えさせて貰い、体育館で様々な機械に囲まれている妃香を見ながら待つ事二時間。昨日判明した妃香の過去と、準備出来たと呼び出されたのに全く準備が出来ていない事に腹を立てている。ついでに妃香の惚けた顔にも腹が立っている。


 こんな無害そうな顔をしているけれど、妃香は私を見下している側の人間なのだ。

 私が手に入れたかった物を既に手にして居たのにも関わらず手放し、やりたい事をやり、そして腕を失った無様な私を治療してやりに日本に帰ってきたのだ。

 それはさぞかし、気持ちが良い事でしょう。




「測定をしていて分かったんですが、やはり澪さんの肉体は今の腕が無い状態で正常なんです。実際には腕は無いのですが、異能者特有の脳波によってそこに腕があるという認識をしていて、そこに自分の体ではない異物が入り込むから痛みが発生するんですね。なので、今回は澪さんの遺伝子を組み込んだバイオ素材によって作られた義腕を付ける事で、脳にこれは異物では無いという認識をさせてみようという実験になります」


 何らかの作業をしながら私に向けて一方的に行われた説明はよく分からない物だったけど、これで義腕が動くのなら理屈はどうだっていい。

 実験が失敗したならそれでこの女が無様に映るだけの事。

 だから、私は業腹を抱えながらも言われた通りに体育館の真ん中に置かれた椅子に座り、妃香が私に義腕を付けようとする作業に大人しく従っている。


「澪さん、痛ったら直ぐに言ってくださいね?」

「大丈夫よ、慣れてるから」


 私の体を心配する妃香にそう返し、肘から先の無い腕を伸ばす。

 妃香は周囲の機械とケーブルで繋がれたマネキンの腕の様な義腕を持ち上げ、その接続部を私の肘部分を覆う様にして取り付ける。


「んっ…」

「大丈夫ですか!? 痛みは? 違和感は? 他の素材の物と比べて何が違います!!?」


 思ったよりもひんやりとした触感で漏れた声に、妃香が大袈裟な声を上げながら近づいて来る。

 今更何をと思ったけど、その妃香の反応に気を取られていたから気付くのに遅れてしまったらしい。


 腕が、痛くない。


「痛く…無いわ。全然痛みを感じない」


 今私に付けられている義腕はいつもの骨の隙間や筋繊維を掻き分けて入ってくる様な痛みは感じず、寧ろ逆に肘から義腕へ熱が移り込む様な…


「やったあ!成功だ!」

「ちょ!?」


 急に妃香に抱きつかれ、思わず椅子から落ちそうになる。

 なによこの娘。私に腕が無い事を忘れているんじゃないでしょうね。


「理論が合ってたんです! 次はこの素材を活用して関節が曲がるのも作りましょう! ああー!! やっはり異能は遺伝子に潜在的に記された人類の可能性で…」


 まだ何やらを叫びながら私を抱きしめ続ける妃香が鬱陶しくなり、私は義腕を付けたまま肩や二の腕に力を込める。

 急造の実験用の義腕と言ってもすぐに壊れるような柔な作りではないらしく、力強く押し付けても凹むという事は無いみたい。なので、遠慮なく体中の力を使ってこの娘を引き剥がすとする。

 すると、段々と私の芯から出た熱が肩や肘を伝わり、私の腕に付けられている義腕の中にも浸透していくような感覚が…


「危ない! 離れて!!」


 私はなりふり構わず、咄嗟に妃香を蹴飛ばしながら椅子ごと後ろへ倒れ込んだ。


「きゃ! な、何が…」


 妃香は私の行動に驚いてずり落ちかけたメガネを直しながら私を見下ろしていて、その惚けた顔が最高に鬱陶しいけれど、今はそんな事は気にしていられない。


「消火器! 早く!!」


ぼうっ


 私が妃香に大声で指示を出すと同時に、私に付けられた義腕が燃え始めた。

 この炎は私の異能。

 私の腕を焼いた炎。

 余りにも義腕が成功しすぎたせいで、体が腕だと認めてしまったのだろう。


「あはは、はは、あっはははははは……」


 炎を感知したからか、急遽体育館のスプリンクラーが作動し、私に向かってピンポイントで水が降って来る。

 私はその滝の様なスプリンクラーを請けながら、笑う事しか出来なかった。


 義腕は成功。妃香の研究は正しいと証明された。

 腕が燃えたのは私側の問題で、妃香が合っていたと言った理論は妃香の研究成果として評価されるだろう。


「澪さん! 大丈夫ですか!!?」


 スプリンクラーによって炎が消えた頃、妃香が私に駆け寄って来た。


「大丈夫じゃないわ、何もかもね」

 

 私はそれを見上げながら、どうでもいいという感じで返事を返す。


「り、理論は合っていたはずです…なので、次は耐火や防火を強めにして…」

「もういいわ」


 白衣が濡れるのを構わずに私を引き起こす妃香に、私はもういいと伝える。


「え、もういい…って?」

「もういいの。理論は実証された。これで充分でしょ? もう私に構わないで」

「澪さん…?」


 もういいと言っているのに、妃香は私をぎゅっと抱きしめるから、私はそれが鬱陶しくて、増々全部嫌になる。


「もういいって言ってるの!! これ以上私を惨めにしないで!!!」

「澪…さん…」


 もう全部嫌。

 晴れ舞台のステージで大失敗して、腕を失って、異能も失って、学校にも行けなくて、一人で着替えも出来なくて、何も出来ない私だった。

 そんな私にも友達が出来たと思った。

 なのに、その友達は一人で着替えが出来るし、学校に行けてるし、世間に役に立つ頭脳を持っていて、腕があって、大ステージで大勢から認められていた。

 その上、異能者の義腕を作る理論を実証するのに成功してて、私はその理論ではきっと義腕が作れない。

 今なら分かる。私は腕が無い状態で正常だ。だから余分なものは付けられない。


「もう…私に構わないで……これ以上私に期待させないで……」


 目から、雫が垂れる。

 そう、私はこのまま何もせずに朽ちていくのを望んでいたはずだった。

 なのに、妃香と出会ってしまったから未来を望んでしまった。


「私は貴女に同情されたくないの……私が持っていない物をみんな持ってる、貴女には……」

「………」


 私は心の奥底で妃香を見下していた。

 なんてそそっかしい子で、私が見ていないとダメな子なんだろうって。

 だから、妃香の理論が正しくても、私は腕が無いままで正しいの。

 もう、私は【サラマンデラ炎の妖精】では無いのだから…


「私は、澪さんに同情をしているからとか、自分の理論の正しさを知りたいからとか、そういう理由で澪さんの義腕を作りたい訳じゃないんです。勿論、お金の為でもありません」


 涙と嗚咽を止めない私を抱きしめたまま、妃香が喋り始めた。

 この子は何を言っているのだろう。

 同情でもなく、評価でもなく、お金の為でも無いのだとしたら、一体何の為に私なんかに構うというのだ。

 この何も無い私に、一体何を求めているというのだろう。






「澪さんのサラマンデラを、あの特別なステージの講演を、もう一度見たいだけなんです」






 時が止まった様に感じた。

 『あの特別なステージの講演』? あの講演は初日に失敗していて、誰も見る事が出来なかったはず。 

 それなのに、もう一度見たいって。


「私、澪さんのダンスのコーチの弟子の一人だったので、特別にリハーサルを見せて貰ったんです」


 妃香が、あの時に?


「そこで私は澪さんの虜になりました。とても言葉では言い表せない素敵な炎の舞。見終わった後、私は素晴らしい物を見せて貰ったお礼が飛び切りの拍手しか出来ない事を悔やんだぐらいです」


 まさか、あの女の子が…


「あの炎と踊りを完璧に融合させた澪さんだけにしか出来ないダンス。それを見る為なら、私は全てを捨ててもいいと思えたんです。そして、もう一度見た上で、澪さんにお礼が言いたかったんです。あなたのステージは最高でしたって」


 妃香は私の目を真っ直ぐ見ながら、涙でぐずぐずになっている私へほほ笑む。


「だから、同情なんかじゃないんですよ。私はまた、澪さんのダンスが見たいだけなんです」


 なによ。

 なによ。

 なによ。なによ。なによ。

 あんなに素敵なバレエを踊れるというのに、たかが異能を持って調子に乗っていただけの私のダンスが見たかったって言うの?

 本当に、私なんかの為に栄光を手放したの?


 こんな所で燻って、友達に嫉妬して、全てに嫌気を刺している、この私なんかの為に。




 だったら、応えなくちゃいけないじゃないの。


 こんなにも私に尽くしてくれるファンの為に、

 こんなにも愚かな私に友達になってくれた人の為に、

 私は【サラマンデラ炎の妖精】として、妃香の思いに来敢えてあげなくちゃいけないじゃないの。





ぼうっ


 妃に抱きしめられたまま、腕全体から炎が上がる。

 あの時やさっきと違うのは、その炎を出している腕自体も炎だという事。


「澪さん! 腕が!!?」


 再度炎上し始めた私の腕に気付き、妃香が声を挙げる。

 でも大丈夫。この炎は何も燃やさない。私が燃やさせない。


「少し離れていて、妃香」


 私は燃える腕で妃香の肩に触れ、下がる様にとそっと押し出す。

 妃香は炎の腕で触られたのにもかかわらず何処も燃えていない事に驚き、茫然としたまま私に言われた通り後ろへと下がる。


 さっき、妃香が作った義腕を付けた時に分かったのだ。

 あの深部から肩を通じて腕に流れた力の感覚。あれは私の中の熱が外へ出ようとした流れで、その出口が腕なのだ。

 私の異能は【手の平から炎を出して操る異能】ではなく、【腕を炎にして操る異能】だったのだ。

 後は覚悟と、私なら出来るという意思。

 それで炎が腕から動かない様に固定をした。

 炎が移動しなければ接触した物も燃えない。屁理屈かもしれないけれど出来た。

 出来たなら、それは当たり前の事だ。


 そして私は、静かにステップを踏む。

 もう三年経っているけれど、決して忘れない動き。

 何度も見返してきたから完璧に覚えている、ステージの上の私の動き。


 音楽は無く、スポットライトは無い。

 ステージは特別ではなく、衣装もパジャマでしかない。


 でも、私だけの観客は居る。


 さあ、始めるわ。目を凝らして見なさい。

 これが、私の舞よ。

 これが、私の異能よ。

 これが、私よ。


 これが、あなたが見たがっていた【サラマンデラ炎の妖精】よ、妃香。















 その後、一曲分のダンスを踊った所で消防士を引き連れた所長先生たちが現れ、私の講演は終わった。

 それ以来、私の異能はうんともすんとも言わなくなり、普通の義腕を付ける事も出来るようになった。


 妃香はロシアに戻り、異能者用の義腕や義足の開発で一躍名を挙げる事になる。

 私は質の良い義腕を作って貰い、異能研病院いのけんびょういんを退院して、ステージ衣装を作る会社にアルバイトとして雇って貰う事になった。


 燻っている炎は綺麗に消え去ったのだった。

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演目:炎の腕(かいな)のサラマンデラ @dekai3

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