12 命と秤に掛けられるもの

 四限目の理科の授業を終え、やってきた昼休み。つまり昼食の時間。

 一日の摂取カロリーをはじめとして、塩分や糖質は当然のこと、更にはビタミンまでもが徹底管理されている私は今日も味気のないお弁当を持参している。

 昼休みは教室がいっそう賑やかになり、情報量が増える。だから静かな場所で食べようとお弁当を持って移動をしようとしたところでメールが届いていることに気付く。内容は今日は体調が良くて保健室登校しているから昼食を一緒に食べようというお誘い。面倒臭いから気付かなかったことにしようとしたら校内放送で呼び出される。

 うっわあと思っていたら私と並んで呼び出された夜市にお前だけ逃げるなんて許さないと鬼気迫る顔で捕獲され、私は咄嗟に購買に行こうとする青生の腕を掴んだ。

 指定された中庭に集まれば、一足先に到着していた姫子によってレジャーシートが敷かれており、ピクニック気分で準備万端。いつもは強力接着剤でくっついているのかと思うくらい夜市と一緒にいるくせに、こういうときだけは単独行動して用意が早い。

 そして五分ほど遅れて私たちを呼び出した張本人の涼蘭と彼女が乗る車椅子を押す天がやってくる。校内放送のときも思ったけれど、天は卒業生だというのに堂々と入ってきているのよね。涼蘭の世話係とはいえ、ちゃんと高校に通いなさいよ。

 こうして週に一回あるかないかの賑やかな昼食。主に喋っているのは青生と姫子の二人だけだというのに、二人で五人分喋る勢いだから沈黙の時間が少ない。少ないというか、ゼロに等しい。


「漫画とかでさ、そんなことするなら死んだ方がましだ! 今すぐ俺を殺せ! 的な台詞あるじゃん」


 唐突にこういう話題が上がってくるのもいつものこと。

 聞けば、昨日夜更かしして読んだ漫画にあった台詞だとか。だから授業中に船を漕いでいたのね。背中を丸めていた二限目の様子を思い出して呆れる。


「何が起きたらああいう台詞を言いそうとかある?」

「なぜ俺を見て聞くんだ」

「一番似合いそうだなって」

「えー、やいちゃんは言わないよ。わたしを残しで死んじゃうなんてことしないもん!」

「でも、姫子を天秤に掛けられたら自分の命を投げそうじゃない?」

「それも豪速球で!」

「えへへ、愛されてるもので〜」

「そういう話は本人のいないところでしてくれ」


 毛先だけ桃色に染められた髪を軽く握ってはにかむ姫子はいわゆる甘え上手な可愛らしい女の子というやつなのだろう。眉間に皺を寄せて気難しそうにしている夜市が文句を言いながらも頭を撫で回している。

 すかさず涼蘭と天が睦み合っていると野次を飛ばすけれど、この二人にとってこの程度のスキンシップは日常的なものなので首を傾げるだけ。教室でもよく見るやりとりだもの、本当に今更よね。


「それなら、退屈で死にそうな顔をする涼蘭こそつまらない人生を強要されるくらいなら死んだ方がマシだとか言いそうだろ」

「いやいや、涼蘭様はそんな可愛らしいことをしないよ」

「そうよ。わたくしは人を使って、体験談を物語として語らせるもの」

「ね、可愛らしさの欠片もなくて面倒臭いでしょう。その面倒臭さが癖になるんだけど」

「使えるものは使い切らないと」

「最悪だな」

「最低じゃん」


 五人の話を聞き流しながら、味気ないお弁当を箸でつつく。

 日頃から漫画を読む機会がない涼蘭たちの盛り上がり方がすごい。あの夜市までもが白熱するのね。

 亀の歩みのように鈍い雲が形を変えていくのを眺めながら五人の話し合いにそんな感想を抱いていると、膨れっ面をした青生が顔を覗き込んでくる。話はちゃんと聞いていると伝えれば、その膨れっ面はあっという間に笑顔に戻るので単純だ。

 

「萩野は?」

「国を人質に取られたら差し出すよ。壱檻のお役目だからね」

「いや、そういうのじゃなくてさー」

「そもそも、私は苦しい思いをしてまで生きようとするのも、死んでまで守りたいというのも、よく分からないし」


 私の回答に満足していただけなかったようで、青生は唇を尖らせる。隣で姫子が同じような表情をしているので面倒臭さが二倍どころか三倍になる。姫子が拗ねれば夜市まで気を悪くするからね。

 何に不満を抱いたか分かるけれど、それ以外の回答を言えば青生のご機嫌取りのための嘘となるし、それはすぐにばれる。そうなれば拗ねるに加えて怒り出すから今日一日面倒臭いことになる。青生は拗ねるし、涼蘭と天はにやついた顔をするのでもう既に面倒臭い。

 どちらにせよ既に面倒臭い状況になっていることには変わりなかった。隣で不満を口籠りがちに言う青生を横目で見ながら、卵焼きを口にする。きっと丁寧に味付けをされているのだろうけれど、私にはこれが無味に感じる。咀嚼と嚥下を繰り返す作業って疲れるのよね。


「青生はあるの?」

「んー? 俺はみんなみたいに重い責任を背負わされていないし、命賭けてまでってのはなあ」

「ふうん」

「あ、でもさ。萩野を壱檻として扱うのは死んでも嫌だなって思うよ」


 言い出した本人の意見も聞いてみたい。なんて適当に話を振れば、青生は考え込む。最近身についた癖なのか、考え込んだ青生は世話役の手によって昨晩も今朝もヘアオイルを馴染ませられて毛先まで艶々になって私の髪を遊ぶように指先に絡める。

 人の髪で遊ばないでいただきたいと思いながら回答を待っていれば、こういうことを言い出すので同級生に爽やかな笑顔が素敵だけれどチャラそうという評価をされるのよね。定期的に彼女が欲しいと嘆くなら、そういう人たらしになり得る言動を改めた方がいいと思う。


「私は?」

「僕は?」

「……俺は?」

「待て待て、なんでそうなんだよ。今、俺結構いいこと言って決めたばかりなのに。ちょ、群がるな!」

「目の前で睦み合うからだ」

「待て待て、それを夜市が言う? 隙あらば姫子といちゃつく夜市が言う?」

「二人に関しては言っても無駄でしょう。教室ですらああなのだから」

「それよりも私の目の前で私の萩野を口説こうとするなんていい度胸よね」

「涼蘭のものじゃないだろ!」

「口説いたことは否定しないんだな」

「だああああ、もう!」


 そして、その発言を聞き逃さないのが涼蘭と天。夜市までが悪ノリして青生に群がってきたので、私は距離を置くように離れる。もみくちゃにされるのは暑苦しくて好きじゃないもの。

 そうすれば姫子がすかさず空いた私の隣に座ってくる。楽しそうに、嬉しそうに笑みを浮かべながら全体重をかけるようにもたれてくるじゃれ方は可愛らしいものなのだろう。夜市であればすかさず頭を撫でて甘やかすのだろうけれど、私にはよく分からない感覚だから放置する。

 姫子の行動を観察していれば、ピンクブラウンの髪色によく似た目と合う。姫子の機嫌が良いのはいつものことだけれど、今は先程以上にご機嫌になっている。女心、本当に分からない。


「何?」

「んふふ。はぎちゃんもそーゆー顔するんなだなぁって」

「…………」

「かぁいいねー」

「姫子、頬をつつくのやめて」

「はぁい」


 それはまだ、私の髪が腰に届いていて、毎日セーラー服に身を包んでいたときの話。






 硝煙の匂いと悲鳴混じりの泣き声。

 それを感じながら、過去の会話を思い出す。


「お父様、お父様! どうして、ねぇ、お父様!」


 結論から述べると、クライ・ハープが自殺した。

 クラム・ハープに抱き締められている彼の手には銃が、こめかみからは垂れ流れる血が。それらから状況を察するのは容易い。


「は、やく、早くお医者さんに診てもらおう。イオンさんかツナグさんなら、きっと、ねえ、お父様。これはだめだよ。こんなのだめだよ」

「クラム・ハープ」

「萩野さん! お父様が、お父様をはやく」

「ちゃんと聞いて」

「血がとまらなくて、めをひらかなくて」

「イオンとツナグが揃ったところで、亡くなった人は取り戻せない」


 今この場で現実を突きつけるのは非道だろうか。でも、実現不可能な希望を抱かせるわけにもいかない。

 クライ・ハープの亡骸をイオンとツナグのもとへ連れて行こうとするクラム・ハープに静かに告げる。彼女はとめどなく涙を流す目を大きく見開く。


「お父様、私に愛してるって言ったんです」

「……」

「ちゃ、んと……ちゃんと、話し合いをしま、した……それで、笑ってくれて、あいしてるって……」

「……」

「言ってくれたのに、その直後に……っ、私は何かを間違えて、でもそれが分からなくて」


 クラム・ハープの手は血に染まっていた。きっと、流れ続ける血を止めようとこめかみを押さえていたのだろう。それが無駄な行為だと分かっていても、理解することを放棄したのだろう。

 二人がどういう会話をしたのかなんて興味無ない。クライ・ハープがどうなろうと、何を選ぼうと私には関係ないし、どうでもよかった。

 二錠翠仙の存在がちらついた時点で私は彼らが交渉の場を設けるために繰り広げた茶番に乗るしかなくて、そのついでに親子の話し合いの場を作ろうと思っただけ。その方がクラム・ハープも腹を括るだろうと思ったから。

 もう一度言おう。

 私はクライ・ハープのことはどうでもよかった。娘の演説に心打たれて改心しようと、妻を失った悲しみが癒されることなく罪人であることを選ぼうと、なんでもよかった。どの道、タイムリミットは明日で、明日になればクライ・ハープの処遇は強制的に決まっていたから。改心の道を選べば、ほんの少しだけ扱いが良くなったかもしれない、ただそれだけの違いだったし。


「ディア・レタール」

「おや。僕、お嬢様に名乗りましたっけ?」

「きみ、クライ・ハープに何を吹き込んだの」


 けれど、こんな胸糞の悪い終わり方は看過できない。

 クライ・ハープの自殺の可能性を考慮していなかったわけじゃない。だから、わざわざクラム・ハープと並んで書斎室まで足を運び、クライ・ハープの前に姿を現した。彼の鳥籠への、そして壱檻への憎悪がいかほどなものかは身をもって知っている。全てとまでは言わないけれど、少なくとも憎悪を孕んだ目で睨みつけられた分は知っている。そんな相手が愛する娘の傍にいると知ったら、今この場で命を絶つということをしないと考えた。

 読みが外れたということも考えられる。でも、彼が握る銃が第三者の関与を物語っている。自衛のために銃を隠し持っていた可能性もあるけれど、その線は薄い。

 白い歯を見せるように口角を上げるその笑顔は気味が悪く、そして不快感を抱く。人形のような男はその笑顔を浮かべたまま、語る。


「彼と和解して大団円。なんて、理想的な結末が訪れるはずないと分かりきっていたことでしょう。税を重くして搾取してきただけでなく、イシアの民を害虫と呼んで人攫いに売っていた。罪人は裁かなければなりません」

「……」

「でも、そうなれば娘も無罪ではいられない。無知は無罪になる免罪符でなりません。むしろ無知ほど重たい罪はない。ああ、なんとういことでしょう! お嬢様からすれば次の領主はこの娘であった方が都合がいいというのに!」

「何を吹き込んだと聞いている」

「さあ。適当に話したのであまり覚えていません。ただ、彼は愛する娘のためになら自ら手を汚し、狂うことができる男です。善悪も正否も関係ない、娘には生きて、幸せになってほしい」


 顎に手を当てて、首を傾げる。仕草だけ見れば思い出そうとしているようだが、それはポーズだけ。クライ・ハープとの会話を思い出す気は毛頭ないようで、すぐに答える。

 父親を亡くした気持ちを理解することも共感することもできない。だけど、想像することはできる。分かりやすく身体を強張らせるクラム・ハープにこの男の話をこれ以上聞かせるべきではないと判断した。


「娘がイシアを選び、その意思が揺るがないと分かれば……自分こそが娘が進む道の妨げになると思うでしょう」

「もういいよ、黙って」


 だから、私は使う予定はなかったソレを構えることにした。

 これを使うのは面倒臭いし、そもそも重たいから持ち歩きたくもなかったけれどイオンの言うことを素直に聞いておいて正解だ。


「火薬の匂いはしないな。魔術具か?」

「いいえ、魔力も感じられません。けれど、威嚇用のモデルガンというわけでもなさそうです」

「構えるだけでバレるなんて嫌になる」


 主を守るように前に出た従者たちは冷静に分析する。その気になれば一瞬で場を制圧できる自信があるから、涼しい表情は崩れない。余裕なくせに油断も隙も見せないのだからご立派だ。

 嫌になるくらい手の平に馴染む銃。二人の言う通り、これには一般的な銃弾は装填されていない。そんなもの私には扱いきれるわけがない。


「貴女は戦闘に不向きだと認識しておりますが」

「自衛手段くらいは持っているよ」

「それで身を守れると思っているのか」

「まさか。銃一丁できみたちに勝てるとは思っていない」


 それができるのであれば、近はあそこまで心配していない。一発撃った次の瞬間にはこの二人に捕えられるか殺されるかしているだろう。下手をしたら発砲する前に組み敷かれているかもしれない。けれど、二人は私の協力を得たいがために交渉の場を用意した。ならば、殺されることはないだろう。

 それなら十分。一発あればクライ・ハープと同じところに銃弾を撃ち込むことができる。


「交渉決裂ということですか」

「ううん。要求は飲むし、きみたちが提示した条件を必ずやり遂げると約束してもらう」

「では」

「だから、私が引き金を引く前にその男を連れてさっさとイシアから立ち去って。毒にしかならない」


 そう吐き捨てれば、二人は納得でもしたかのように頷く。主従といっても忠誠心や絶対服従のようなものではないようで、二人は私に言われた通りこの場を去ることを主に提案していた。

 人形のような男、ディア・レタールはガラス玉を埋め込んだような青い目を三日月の形に歪める。それから人差し指を唇の前に立てる。


「とある者が黒を白と言えば黒と白の定義がひっくり返って白になるように、悪逆非道とののしられるようなことを行っても貴方が言うのであれば正義の鉄槌になるのだと肯定される仕組みをどう思いますか?」

「全ての判断を他人任せにして鵜呑みにするなんて愚か極まりないことね。いっそのこと破滅の道に進ませて、どこで私の言うことが間違いだと気付くか見てみようかしら。とは思う」

「……。あはっ、即答ですか」


 その仕草は内緒話の合図ではなく、去る前に一つ質問を。という意味だったらしい。何故そのような質問をしてくるのかは分からないけれど、これに対する回答はただ一つ。考えるまでもなく、脊髄反射の如く答えていた。

 一瞬の沈黙の後、ディア・レタールは笑う。軽やかに、吹っ切れたように。人形のような男はそこにおらず、小さな難問が解けた無邪気な少年のような男がそこにいた。

 だから、私も聞きたくなった。


「そんなことを考えるきみは何のために生きてるの?」

「貴方たちに出会うため、でしょうね」

「意味不明」

「時が来れば分かりますよ。それでは、縁はあるのでまた会いましょう」


 その回答は予想の斜め上を行く意味不明で面倒臭い予感のするものだった。それでも聞捨てるわけにはいかない回答だ。

 私がそれについて掘り下げようとする前に、ディア・レタールは仰々しくお辞儀をする。それから背筋を伸ばし、指揮者のように指を振るう。すると、三人の身体が淡い光を包み、瞬きをしたその一瞬で姿が消える。消えたように見せかけて実は近くにいるのではないかとか、そういう気配を探る芸当は私にはできないので、目の前の光景をそのまま信じて手にしていた銃をレッグホルスターに戻す。

 あの回答に込められた意味は気になるけれど、正解を出しようがない疑問を優先してまで考えることではない。ディア・レタールの発言を一度頭の隅に寄せて、呆然としているクラム・ハープに声をかける。


「ねえ」

「大丈夫です」

「大丈夫に見えない」

「大丈夫にします。なので、しばらく二人にさせてください」

「……分かった」


 大丈夫を繰り返されると逆に大丈夫に見えなくなる。けれど、そう言い張るのであればその意思を汲んで二人きりにしよう。

 念の為、クライ・ハープが握る銃だけは回収する。その間もクラム・ハープの目線は父親の亡骸から動かない。


「外で待機している人たちには私から伝えるわよ」

「あの」

「話を脚色していいのは当事者だけ。私は先程の銃声が何であったかを話すよ」

「……ありがとうございます」

「お礼を言われることではないでしょう」


 それじゃあ、ごゆっくり。そう言い残して書斎を出る。数秒後、扉越しにすすり泣きが聞こえてくる。

 泣き声だけで、変な気を起こす様子はなさそうなので、その場を離れる。


「愛、ね」


 クライ・ハープには問いかける機会はなかったけれど、彼は何のために生きたのだろうか。

 愛する妻の無念を晴らすため? 愛する娘を守るため? どちらにせよ、誰かのために見せかけて自分のためね。


「そして、貴方は何のために生きて、何を思って死を迎えたのかしら」


 穏やかな微笑みを浮かべたまま、何も語らないアムル・ハープの肖像画の前で立ち止まる。

 優しい言葉で手紙をしたためる人だと聞いていた。私は彼女の言葉を直接聞くことはできなかったけれど、きっとこの質問にも優しい言葉で答えていたのだろう。


「なんて、私の勝手な想像ね」


 それこそ考えても分からないこと。そんなことで時間を費やしたくないし、答えの出ないものを延々と考えるのは疲れるし面倒臭い。

 最後に一瞥してから止めていた足を動かす。

 玄関の近くまで来て初めて、外が騒がしいことに気付く。銃声が聞こえてきたのだから当然と言えば当然のことか。


「萩野!」

「わぷっ」


 誰に伝えれば速やかに正確な情報が回るだろうか。そんなことを考えながら扉を開ければ、外に出るより先に名前を呼ばれる。顔を上げれば視界が暗くなり、鼻先が潰れた。それが近に抱き締められたからだと理解するのにそんなに時間はかからない。

 数秒遅れて左足が締め付けられる感覚に襲われる。程よい温もりと優しい締め付けから笑流が無言でしがみついてきたのだと予測できる。近によって遮られているのであくまでも予測。でも、笑流以外考えられない。


「怪我は? どこか痛むところはないか?」

「今痛い。腕の力抜いて」

「ぱぁんて、ぱぁんって大きな音がしました。本当に怪我していませんか?」

「してないしてない。だから離れて」


 私の言葉を信用していないのか、問題ないと言っても二人は私の身体に触れて本当に怪我をしていないか確認してくる。こうなれば二人が納得するまで私は身動きが取れないので好きにさせよう。身体の力を抜いて近にもたれてされるがままになる。

 五分くらいしてようやく二人は納得したのか、笑流はツナグとイオンに報告してくると言って小走りでトレーラーの方へ向かう。


「で、何があった」

「クライ・ハープが銃を使って自殺したわ」

「はあ?」

「読みが甘かった。まさかあの男がそんな誘導をするなんてね」


 近からの拘束から解放された私は開かれた門の前で右往左往している人たちにこのことを伝えるために足を運ぶ。

 屋敷から門までの短い距離で考えることはディア・レタールの行動について。答えは出そうにないし、明らかにしたところでこの結果は変えようにないから考えるのをやめようと思っても考えてしまうのは性なのだろう。我ながらなんて厄介なこと。


「私に敵意がないというところまでは間違っていなかった。話の内容からも嫌がらせをするメリットがない。となると、暇潰し?」

「なあ」

「なあに?」

「……あの男は本当に誘導されて自殺を選んだのか?」

「それ以外に考えられないでしょう」

「物事が重なっているから誘導されたように見えるだけで、実は最初からそのつもりだった、とか」

「最初から?」


 近の口から想定外の言葉が出てくる。何をどう考えたらそんな発想が出てくるのだろう。驚いた私は思わず足を止めて、近の顔を見る。

︎︎ 近の視線は屋敷の方に向いていた。そこは書斎室にあたる場所で、見つめる横顔は愁いを帯びている。彫刻のように美しい横顔を鑑賞しながら、近の回答を待つ。

 数十秒の間を開けてから、長い睫毛を揺らして目を瞑る。艶やかな唇から漏れ出る吐息と共に、心の内が零れる。 ︎︎︎ ︎︎︎


「自分が死ねば、たった一人の家族の未来が守れる。なら喜んで差し出そう。そういう気持ちは分からなくもない」


 砂埃を巻き込んだ風が吹き、濡羽色の髪が表情を隠す。

 それ以上は語られない。私もそれ以上を聞こうとは思わない。

 どちらから口を開くことなく、足を動かすこともなく、クラム・ハープとクライ・ハープの亡骸を残した書斎を見つめる。


「はーぎーのー!」

「行こう。そろそろ子どもたちが我慢の限界みたい」

「………そうだな」


 門前で待機しているシーナの呼び声を合図に私たちは書斎から視線を外し、止めていた足を進める。

 ああ、でも一つだけ。話を掘り下げるつもりは毛頭ないのだけれど、一つだけ気になることがある。


「命を差し出された側はどんな気持ちになるのかしら」

「さあな」

「これでクラム・ハープの心が折れないといいのだけれど」

「それはないだろ」

「言い切るのね」

「愛は呪いに転じるからな」

「……ふうん」


 何はともあれ、領主の横行が止まったことに変わりはない。

 私はこれからのことに備えるとしよう。

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