チャーハン!チャーハン!チャーハン!
(1)
西日の当たるマンションの一室で、その女性は君枝に向かって、何度も同じ言葉を繰り返して言った。
「こんなはずじゃなかったのに。」と。
そしてそのフレーズを聞くたびに君枝はこう思うのだった。
(チャーハンが食べたい。)と。
君枝はうんざりすると何故か無性にチャーハンが食べたくなるのだ。もちろん冷たい生ビール付きで。
「これでも子どもの頃は近所でも可愛いと評判でねぇ。賢かったし将来が楽しみ、なんて言われていたものよ。それがねぇ。甲斐性のない旦那と一緒になっちまったばっかりに。苦労したわよ。ホントこんなはずじゃなかったわ。私の人生。
「お気の毒ですねぇ。」(はいはい。でも、そう思うようにいかないのが人生なの。いい加減に納得できないかしらねぇ。この後、また同じ話するのかなぁ。)
「あれは結婚してまだ三日目のことよ。」
(ああ、やっぱり又同じ話かぁ。)
君枝はこの小一時間、今は亡き女性の今世での苦労話を繰り返し聞かされ、そのたびに大げさに頷き、同情の言葉を掛けたが、いい加減うんざりしていた。けして君枝は冷たい人間ではない。でなければ成仏稼業などしていない。だが、こう何度も同じ話を繰り返されては堪らない。とにかく今は彼女の成仏の為に聞き役に徹してガス抜きをする必要があった。なにせ彼女が現世に留まるせいで残された旦那さんやこの住まいに良くない霊障がもたらしているのだ。
(チャーハンが食べたい。)君枝の意識はもはや別の所にあった。彼女の話を聞いたふりをしているが他の考え事が頭に浮かんでいた。(そういえばウチのアパートの近くに中華屋さんが最近できたっけな。あそこなら這ってでも帰れるしいいな。そこに行ってみよう。ああ、早く終わらないかなぁ。)その願いが通じたのはさらに三十分後のことだった。第三者に気の済むまで愚痴を聞いて貰ったおかげでその女性は大分、気持ちが落ち着いたらしい。その後は割合と早く成仏していった。
君枝は彼女の言うところの甲斐性のない旦那さんから謝礼を受け取った。(この人も苦労したろうなぁ。)と同情しつつ礼をいい、マンションの部屋を出ると一目散に帰路についた。一刻も早くャーハンを食べるために。
その中華屋は駅から歩いて一〇分のところにある。そこから君枝の住むアパートは歩いて二~三分だ。(もうすぐチャーハン!)そのフレーズが脳内を駆け巡り足取り軽くいそいそと歩いていると、ようやく店が見えてきた。
(ん?)様子がおかしい。看板も店の電気もついていない。(ま、まさか!)そのまさかであった。店の前に立つと“本日定休日”の札がぶら下がっている。(噓でしょう~。)君枝はがっくりと肩を落とした。(ここまで来てチャーハンを食べられないなんて。・・・)
どっと疲れた。このままウチに帰ってみても夕べの総菜が少し残っているだけ。今更、ご飯を炊いて味噌汁を作って、なんてしたくない。(どうする?君枝どうする?・・・・やっぱりチャーハンが食べたい!仕方ない。駅前に戻ろう。)君枝は駅のある方向に戻っていった。
(2)
確か、駅を挟んでこちら側と向こう側に二軒、ラーメン屋があったはずだ。駅を一往復して、汗がにじんだ。そしてようやく、こちら側のラーメン屋に着いた頃にはハンカチで額の汗をぬぐっていた。
そのラーメン屋はいわゆる豚骨スープ系のチェーン店で君枝が中に入ると店内の至る所から黒いTシャツ姿の男性スタッフの野太い声が店内に響いた。
「いらっしゃいませ!」
(ううっ。ちょっと苦手な雰囲気。)そう思いつつもカウンターの開いている席に座りメニューを開いた。
一枚ずつページをめくる内に嫌な予感がした。そしてその予感は当たった。(メニューにチャーハンがない!)君枝は愕然とした。ラーメン以外のメニューは、ただのライスか明太子高菜丼とチャーシュー丼の小盛のみ。(あくまでラーメン屋ですから。ウチは。)いかつい店長が腕を組んで睨みつけている絵が想像できた。(あちゃ~。どうする?君枝どうする?なんか今更、外に出られない雰囲気だし。マイッタ。・・・)
しかし、今の君枝のチャーハンへの愛は誰に邪魔もできなかった。お冷を持ってきた店員の前でカバンの中を捜す小芝居。
「あれ?あれ?あ、すみません。どうも財布を忘れてきてしまったみたいで。すみません。一旦取りに帰りますねぇ。」そう言って慌てて店を出てきてしまった。気の小さい君枝にとっては決死の脱出劇だった。
(3)
肉体的のみならず精神的にもへとへとになりながら君枝は駅の反対側にトボトボと歩いて行った。うすぼんやり店の灯りが見えた。(ん?)なんだか様子が変だ。こんなに暗めのお店だっけ。(まさか。)そのまさかだった。お洒落でシックな感じのイタリヤ料理のお店に変わっていた。駅の向こう側はあまり行かないので知らなかったのだ。(こんな事ってある?)君枝は落胆した。そして今日はチャーハンを諦めようと思い始めた。しかし、しかしである。スマホで調べれば案外近くに知らない中華屋さんがあるかも知れない。一縷の望みを持って君枝はスマホで検索をした。
(あった。一軒だけあった。)それは大きな国道沿いにある大型チェーンの中華レストランだった。ここなら間違いなくある。だが、その場所はここから結構の距離がある。歩いてニ十分はかかるだろう。(どうする?君枝どうする?)逡巡する君枝。(しかし、こうなりゃ意地だ。女の意地。見せてやる!)誰にだ?自分で突っ込みを入れながら君枝はその店に向かった。
スマホの案内通り、疲労困憊フラフラになりながら歩く。すれ違う人が皆、君枝をチラリと見て視線を外した。おそらく鬼気迫る形相だったに違いない。
「チャーハン!チャーハン!チャーハン!」
三田佳子風に口走る。国道に出て左に曲がった。車のヘッドライトの明かりがすれ違うたびに君枝の悲壮な姿を照らした。
そして遂に遂にその大型店が視界に見えてきた。が、何かおかしい。暗い。暗すぎる。
“店舗改装の為閉店。9月15日新装オープン”の横幕。
「ウフフフ、ウフフフフフ、ウハハハハハ!」
虚しい笑い。膝から崩れおり、そして絶叫!
「こんなはずじゃなかったのに!」
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