君枝任侠伝
(1)
君枝はその映画館の入り口に飾られた上映作品のポスターを見て固まってしまった。古い物らしく随分と色褪せてはいるが、それでも鮮やかな血しぶきが散ったふすまを背にし、日本刀を持った着流し姿の男がこちらをキッと睨みつけていて度肝を抜かれてしまったのだ。もう一枚も日本刀を拳銃に変えただけで角刈りの別の男が凄んでいる。映画はそれぞれ“任侠道外伝 お命頂きます”“実録血まみれ抗争 狂犬の政”の二本立て。君枝はうめいた。
「女ひとりで観に行く映画じゃない。・・・」
ここは都内某所の今時珍しい名画座で、古い邦画を二本立てで上映していた。入場料が安いうえにDVDにもならないようなマニアックな邦画を上映する事で熱心な映画好きには知られていた。今月は宝映映画が昭和四十年代に大量に製作したヤクザ映画の特集が組まれていた。
映画ファンでもなく残酷な描写が苦手の君枝がこの劇場に来たのは仕事の為である。 映画館主より劇場に幽霊が出るので供養して欲しいという依頼があったのだ。
人目を気にしつつ切符売りの窓口に並ぶといかつい男たちばかりで場違い感が半端ではない。ようやく自分の番になり用件を伝えると裏口から入るよう言われて、君枝はホッとして、そそくさと劇場の側を回った。
「初めからそう指示しておいてくれてれば良かったのに。・・・」
ぶつぶつ呟き劇場裏口に行くと小さな鉄製の扉があり、重いレバーを捻って中に入る。
古い作りの建物らしくコンクリート剝き出しの館内は寒々としており、映画館と言うより倉庫の中に入ったという感じだ。
事務所は裏口から中に入ってすぐ右側にあった。ドア付近に受付台が設置されており、その上に大学ノートが開きっぱなしになっていた。見ると清涼飲料水メーカーが日時と用件の欄に“自販機の補充”と記入している。どうやら入館管理帳らしい。君江もそれにならって記入する。用件の欄に”除霊“と書くのが正しいのだが結局”打ち合わせ“と書いて、事務所のドアを開けた。
「あの、ご連絡いただいた小林です。」
こじんまりとした事務所の中に事務員らしい、やはりこじんまりとしたおばあさんが一人おり、君枝を迎え入れた。
「あいにく社長は今、外出中だけど、お話は伺っていますよ。宜しくお願いしますね。」
「そうですか。わかりました。」
ここの社長とは以前に面識があり、長身でなかなかのダンディな紳士だったと記憶している。
ソファに座りお茶を出される間、辺りを見回すと狭い事務所にアンバランスなぐらい大きい神棚があり、その上に巨大な招き猫や福助の置物、招福の熊手などが飾られている。興行を生業にしている会社らしいと君枝は思った。
事務員は石戸さんといい、この映画館で四十年以上も事務のしごとをしているとのことだった。話好きらしく、昔、ここは宝映映画直営の映画館でヤクザ映画が活況でよくお客さんが入ったこと、やがてそれらが会社の方針転換で創られなくなり客の入りが悪くなると、社長さんが何を血迷ったのか急にアート系のミニシアターに変更して大失敗したこと、そして今度は名画座として昔の邦画を上映して今日に至ることなどいろいろと話してくれた。そしていつも閑古鳥が鳴いて赤字であることも。
君江にしてみたらレンタルビデオやDVDの時代、そして今時の配信サービスまで出来た昨今にこうやって名画座を経営していることが奇蹟なのだが。これは社長さんの財力か、何かしらの情熱があるように思われた。
いつまで経っても用件に進まないので君枝の方から話題を変える。
「・・・あの、ところでその霊が出るという件については。・・・」
「あ。ごめんなさいね。たまに人が来ると嬉しくて、ついしゃべりすぎちゃって。」
そう言ってから石戸さんは上映中の客席にいくように君枝に指示をした。
「中に入れば分かるって社長からそう伝えられているだけで。あたしにゃ視えないし。ごめんなさいね。」
「・・・はぁ。」
なんと大雑把な。というか失礼ではないかと思いながら君枝は客席に入る重いドアを開けた。
「ウッ!」君枝は思わずうめき声を上げた。
ドアを開けると最前列右側の扉だったらしく大スクリーンがすぐ右前にあった。その映像の中の男が自らの左指を包丁で切断し、血が滴った。男の苦悶の表情のアップ!(ゆ、指を詰めてはる~。)心の中でヒエ~と叫びながら、たまたま近くに空いていた席に、よろよろとへたりこんだ。その後も次から次への凄惨なリンチや殺戮場面が続き、その度に度肝を抜かれ、君枝は泣きそうになった。(どうして男の人ってこんな映画観たがるのだろう?・・・)
少し穏やかな場面になり、君枝はようやく落ち着きを取り戻し辺りを見回した。石戸さんは閑古鳥が鳴いていると言っていたが、それなり客席は埋まっているようだった。六~七割といったところか。ただ、客層がやはりその筋の方が多いようで、君枝は緊張した。
(さて、肝心の霊はどこに)と思っていると映画は怒涛のクライマックスに入り、組同士の壮絶な殺し合いが始まってそれどころではなくなった。轟く銃声、響く叫び声!荒々しい音楽に画面いっぱいの血しぶき!死にゆく男たちの断末魔の顔のアップ!
(え、何、警察までワルなの?)(うそ!主人公死んじゃうの?)(この世に正義なんてない!)あっという間に“終”マーク。幕がおり場内が明るくなった。途中から観たのだが、それでもこの映画の持つ圧倒的な迫力と世界観に打ちのめされた君枝はしばらく茫然自失となった。興奮冷めやらず、目の奥がジンジンしている。普段テレビやスマホでしか映画を視聴したことのない君枝は、今まで感じた事のない臨場感に満足し映画館で映画を観るという事はこういう事なのかと感嘆した。
(2)
「お姐ちゃん、珍しいね。ヤクザ映画好きなのかい?」
左隣席の男に急に話しかけられて君はドキリとした。慌てて向くと短髪で少し瘦せ気味の若い男がニヤニヤして君枝を見ていた。黒い長袖のシャツにグレーのスラックス、素足にサンダル履きといったいでたちで、特筆すべきは首元を飾った金のネックレスの下に彫り物の一部が見え隠れしている点だ。どう見てもカタギではない。
「・・・い、い、いえ。初めてでごじゃりまする。・・・」
緊張して辺な敬語で君枝は答えた。
「なんだ。初めてかい。今のは、ちょっと刺激強かったろう?」
「ええ。怖かったです。」
「これはフカサキの傑作だよ。傑作。フカサキ知ってっかい?」
「いえ。」
「フカサキ監督の実録物はすげぇぜ。オススメだよ!」
「そうですか。」
(別にこの人、あたしをカツアゲしようっていうわけでもなさそうだ。)君枝は少し安心した。先ほどの石戸さん同様、人と会話したかっただけのようだった。
「この次やる映画は任侠ものでね。実録物とは違うんだ。」
「どう違うんです?」
「実録物はリアルだけど、任侠ものはもっとこう、義理とか人情とか、人間として大事な物が描かれてあるんだ。」
「寅さん的な?」
「喜劇じゃないけどな。でも近い部分もある。」
「女の人でも観て大丈夫ですかね?」
「ああ。大丈夫。さっきのほど残酷な場面もないよ。それにケンさんが主演だ。ケンさん、知ってっだろ?」
「ええ。“不器用”な人。」
「”不器用“な人って。オイオイ、そりゃそういうCMもあったけど。もっとこう、シブイとかカッコイイとかないの?」
男はケンさんのファンなのだろう。半笑いではあったが少し怒気を含んでいたので君枝はドキリした。
「ケンさんは、男が惚れる男だね。モチロン女だってイチコロよ。まぁ,観りゃわかる。」
そうこう、男からケンさんの魅力を語られている内に上映のブザーが鳴った。結局、何も出来ないまま君枝も映画に没入した。
とある町に古くからある土建業を生業とする〇〇組に数年ぶりに刑期を終えケンさんが帰ってくる。しかし、組にかつての羽振りのよさが見られない。新興の土建業者が卑怯な手を使って、その地域の仕事を次々に奪っていったのだ。そして更に非道なやり方でケンさんたちを苦しめる。カタギの人たちに迷惑を掛けぬよう暴力沙汰を避けてきたのは老いた組長の心意気であったが、奴らのだまし討ちにあい、組長は無念の死を遂げる。組長の遺志を継ぎ、ぎりぎりまで耐えに耐えるケンさん。(あたしもこらえなきゃ。)しかし、ケンさんを慕う弟分まで殺されて遂に堪忍袋の緒が切れてしまう。周りに迷惑を掛けぬよう一人で殴り込みに向かう。(仕方ないわよ!当然よ!)そして惚れあった亡き組長の娘さんとの目礼だけの別れ。(もう、どれだけカッコいいの!)敵の組に向かうケンさんを待ち伏せて共に死地に付き合う兄弟分の男気。(はぁ~素敵すぎる。)隣の席の男はこの場面で前のめりになっているようだった。
そしてクライマックスの殴り込み大立ち回り!日本刀でバッタバッタと相手組員を切り倒すケンさん!ラストで憎い組長をやっつけた時の爽快感と寂寞感。その後、警察にお縄となるケンさんとそれを陰から見送る組長の娘の姿に君枝は涙が溢れ、溜息が出た。あちこち席からもすすり泣きが聞こえた。あっという間の一時間半だった。
場内が明るくなった。
「いやぁ、良かったですねぇ!」
そう言って君枝は左を向いた。男はいなかった。慌てて辺りを見回すとあれだけ埋まっていた客席はパラパラとしかいなかった。ほんの七、八人だろうか。その客たちは何事もなかったように静かに帰り支度をしている。
「まさか。あの人って。・・・他のいなくなった人達も、みんな亡くなった人?・・・」
今までこんなことはなかった。霊なら直ぐに気づくはずだった。映画に夢中になりすぎて視る意識が無くなっていたのか、それとも、あの人たちのエナジーが高かったからなのか。
茫然としていると初老の紳士が君枝の側に立っていた。映画館の社長さんだった。
「どうです?驚きました?」
「社長さん、視えるんですか?」
「はい。視えますし彼らの意思も分かります。」
「亡くなった方たちが観に来ていたんですね。」
「そう。この辺り、ヤクザの組が以前あってね。よく観に来てくれてたんだけど、そういう人が高齢で亡くなっても未だにその頃のヤクザ映画掛けると観に来くるんですよ。」
「なんで、未だに観に来るんでしょう?」
「あの人たちの大半は極道になってしまうような環境で育って、案の定、そうなってしまうんです。中には更生する者もいるが、大概は世間から受け入れられずに、また極道の世界に戻ってくる。そして極道のまま死んでいくんです。その人生というか、己の生き方がカッコ良く描かれていて報われる映画が皆には必要なんでしょうね。自分の生き様にも意味があったと思いたいというかね。だから今だに観にくるんじゃないかな。」
「カッコ良いって・・・人に迷惑かけて生きているのに、それってどうなんでしょう?」
映画には感動したものの、君枝は苦言を呈さずにはいられない。
「あなたのような真っ当な道を歩んで来た方には解らない。・・・ただ、あの組の名誉の為に言うとカタギの人に直接、迷惑をかけていなかった。シノギにヤクも扱っていなかったし・・・とは言えね。・・・」
そう言って社長は言葉を濁した。君枝は急に大事な点を思い出した。
「すみません。私、何も仕事していないんですけど。ただ映画を観ていただけで。・・・」
「いや。あなたが映画を観て感銘を受けていたのを彼らは感応していました。それで彼らは自分達が報われた気がしたのです。自分たちの生きた世界をカタギの人と共有できて嬉しい時間だったと思いますよ。彼らの供養にはそういう霊媒が必要だったんです。謝礼はお支払いしますよ。」
君江は恐縮しつつも素直に応じた。そして最後にちょっとした疑問を聞いてみた。
「社長さん、もしかしてこの映画館、今のお客さんというよりも亡くなった方向けに上映する方が目的なんじゃないですか?」
「え?まさか。・・・そんなこともないですよ。何と言ったって経費がかかるしね。ただ、前に地元にあった組が解散した月とお盆の時期にはあの頃のやくざ映画を掛けているんです。良かったら又、観に来てください。彼らも喜びますよ。」
そう言って笑う社長の左手の小指は欠損して短かった。
何かグッとくるものを感じながら君枝は劇場を後にし、肩で風切って歩きながら街中に消えていった。ケンさんの映画を観終わった後の、あの頃の男たちのように。
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