第5話 雨宿りの魔法

 名古屋での勤務は、あと二ヶ月となった。 


 大きく遅れていたプロジェクトも、予定していたスケジュールに漸く追いつき、僕の任務もいい形で地元のスタッフに引き継げる所まで来ていた。


 この日、僕は、名古屋駅前にある取引先でのプレゼンテーションを無事に終え、一人、大須観音に向かっていた。


 昨日、名古屋のスタッフに「願い毎が叶う場所として有名ですよ」と聞いた僕は、シロが少しでも苦しまずに天国に行けるように願いを捧げたかったのだ。


 地下鉄大須観音駅の改札を抜け、長い階段を登る。今日は特に残暑がきついようだ。

僕はカバンからハンカチを出し、汗を拭う。


 コンビニを過ぎ、左折したら大須観音だ。しかし、もうすぐというところで、突然予想だにしない雨がぽつぽつと僕の顔を濡らし始めた。


 今朝のニュースでは、名古屋市は一日中洗濯日和と言っていたはずなのに。

悪いことに今日に限って折りたたみ傘を持ってない。


 僕は、境内まで走り、屋根の下で少しの間、雨宿りをすることにした。


 赤い壁にもたれながら、シロのこと、そしてあおいさんのことを思っていた。今朝の母からのラインには、シロは昨日からずっと寝ているということだった。


 大丈夫だろうか?

 明後日の金曜日の夜までシロはもつだろうか?


 少しでも長生きして欲しい。でも、苦しんで欲しくない。僕は何とも言えない気持ちで雨が落ちるのを見ていた。


 それから十五分は経っただろうか?

 漸く雨音が静かになってきた。

 そして、なんだか僕の気持ちまでも穏やかになってきたような気がした。


 すると突然、地面にくちばしをあて、何かを探していた百羽はいたであろう鳩達が音を立て一斉に飛び立った。


「うわっ」


 鳩が羽ばたき空へ上がる姿がまるでスローモーションの様に見える。


 その時、信じられないことが起きた。


 飛び上がる鳩の隙間から、シロが僕に向かって走ってくるのが見えたのだ。

自慢の白い毛並みはさらに白く光り、黒い目は力強く僕を見つめている。


 ここにシロがいるわけない。


 何故!?


 でも、そんなことはもうどうでもいい。

 僕は、シロの方に向かってかけだしていった。


 僕の胸にシロが飛び込んで来る。


「シロ、、、天国に行ったんだね」


 僕は、シロを抱きしめながらそうつぶやいていた。


 シロは、僕にきっと別れを言いに来たんだ。この雨が奇跡を起こしてくれたようだ。

そう言えば、譲渡会の日も初めて我が家に来た時も雨だった。そして、アカネやあおいさんと初めて会ったのも雨だったな…。

 何よりシロは雨で濡れた紫陽花の花がとても好きだった。


 僕は、しばらく心地よい雨に打たれていた。そして、その雨が静かに上がっていくと同時に、抱きしめていたシロの温もりも消えていったのだ。


 立ち上がった僕の黒いスーツには、シロの白い毛が数本付いている。


確かに、今、、僕のところにシロは来たんだ……。




「健二、シロが、シロが、、、、」


 母からの電話は、雨が上がったと同時にかかってきた。


「うん。うん。そうか、うん。でもね、母さん、シロは僕にお別れの挨拶をしにきてくれたよ」


 僕は、嗚咽でこれ以上の言葉を発することはできなかった。

 大事な友達、いや大事な家族が今、天に召されたのだ。




 シロの亡骸は眠っているように安らかだった。

 僕と母は一晩中、シロの白い毛をそっと撫でながら、色んな思い出話をしていたのだが、明け方近くに寝入ってしまったようだった。


 家の呼び鈴がなった。赤く腫れた目をかきながら玄関に出ると、あおいさんが立っていた。


「おはようございます。お母さんに聞きました。シロちゃん、、天国に行ったんだね……」


 あおいさんの頬から涙が次々に流れ落ちている。


「うん、ありがとう。シロのために泣いてくれて。ありがと……」


 僕の目にもまた涙が溢れ出る。


「あのね、実は、昨日、いつものようにアカネと御霊神社に散歩に行ったら急な雨が降りだして…。しかも思いもしない強い雨でね、少しだけ雨宿りしていたんだよ。そしたら、アカネが急に走り出して、、。アカネを追いかけたその先に、、その先に、シロがいたんだよ。信じてくれる!?本当なんだよ」


 あおいさんは話を続ける。


「私は座ってただ、シロの頭を撫でていたんだけど、雨が止んだら突然いなくなったの」


 あおいさんは右手をゆっくりとひらく。

すると、紛れもないシロの白い毛がそこにあった。


 僕は、また涙を流し始めた。シロは、僕とあおいさんのことを心配していたのだと思う。弱虫な僕を頼みますと言いにいってくれたんだ。


 ありがとう。シロ、僕は頑張るよ。

 どうか、見守っていて欲しい。僕とあおいさんのことを。



 そして、シロは灰になった。

 でも、シロは僕の心のなかで永遠に生きている。





 それから月日は流れた。


 僕は、名古屋勤務を終えて鎌倉に戻ってきたその日にあおいさんに告白をした。


「もう、本当に遅い!ずっと待ってたんだからね」


 あおいさんは、うれしそうに僕の胸に顔を埋めてきた。僕は、良かったと安堵する気持ちと、僕なんかでほんとにいいのだろうかと言う弱い気持ちがまだ混ざり合っていた。その気持ちに気づいたのか、あおいさんは、僕にこう言ったのだ。


「あの雨の日に御霊神社で初めて会ったよね。私、もうその時から私はこの人と結婚するなって思ったの。健二さんでないと駄目だと本当にそう思ったの。すごいでしょう!?」


 あおいさんは、ちょっと自慢げに僕の顔を見上げている。


「ありがとう。本当にありがとう。僕もずっとあおいさんのことが好きだったんだ。だけど、断られるのが怖くて……。待ってくれてありがとう」


 シロとアカネのおかげで知り合えた僕たちは、これから優しい時間の中で過ごして行くことが出来るんだ。

 ずっと大事にしたいと心の底から思っていた。



 そして、僕とあおいさんは結婚した。

 だから、あおいさんは、高嶋 碧 という名前になっている。僕は、未だに彼女のことを「あおいさん」と呼んでいるが、何故か今もしっくりくるから不思議だ。


 来年の3月には、娘が生まれてくる。僕らに出会うきっかけをくれたシロとアカネを色に例えると、混ぜた時に生まれるのはピンク色。そして3月と言えば、、もう桜しかない。


 僕は、生まれてくる彼女に僕とあおいさんが体験したシロの奇跡を話すつもりだ。そして、もうひとつ、君の名前がなぜ「さくら」かということも……。


終わり(神奈川県稲村ヶ崎)

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夏の日の雨宿りは、魔法の時間 かずみやゆうき @kachiyu5555

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