第11話 一之瀬 朔也 ―4―


 残念ながら。

 あの時のゼリーは完食してしまったし。

 東条先輩には背中を押されたし、律には告白されたし、これでもう、逃げ場がなくなった。

 スマホ画面を眺める。

 ずっと、既読をつけていないメッセージ。開いてないから、どんな言葉が続いているのかわからない。「おーい。もしかして、」と、見えるところだけはそんな文字が続いていた。ブロックしてる?とか、そんな言葉が続いているのだと思う。

 “咲桜先輩”。

 その文字に触れる。

 触れられた事を認識し、咲桜先輩とのやりとりの画面に切り替わる。


『この前はごめんね。元気?』


 一番古いメッセージはそれ。朝、来ないで。わかりました。の、やりとりから少しだけ時間が経ってから送られていた。


『話がしたい』

『学校に来てる?』

『元気にしてる? 私とは、もう会う気はないの?』

『ねぇ』


 日を何日か跨いで、様子を見るように短いメッセージが続いていた。会わなかった日数の割に、メッセージは少ない。……そんなことに、傷付く資格なんてないのに、ちょっと凹んだ。



『おーい。もしかして、私が怖いの?』

 


 最後の、その言葉に。

 ドキリ、とした。

 まるでその文字を読むのを待っていたかのように、スマホが鳴る。

 飛び上がって震える手で着信者の名前を見たが、残念ながら、“咲桜先輩”ではなく、“林谷彬はやしたにあきら”と表示されていた。「は? 誰?」思い浮かぶ顔なんて無かったが、名前を登録している事が気にかかり、通話ボタンを押す。


「誰?」

「え? なにそれ、『もしもし』って意味で合ってる?」

「いや、誰?」

「クラスメイトだけどっ?! 酷くね?」


 林谷彬、林谷彬………。


「そんなことよりさ、お前、今日の花火大会、来てる? 誰かと一緒?」

「………」

「あの可愛い先輩とは別れたんだろ? 良かったら、合流しね?」

「……てない……」

「え?」

「別れてねーよ! お前とも一緒に行かねーよ!」


 林谷彬。

 思い出したわ。やたらめったら、律の事を聞いてきた、クラスメイトの男子。


「電話する相手間違えてんじゃねぇよ! 回りくどいことしてないで、律誘え!」


 一方的に言うなり、電話を切った。

 しかし直ぐにまたスマホが鳴り、イラッとしたまま、通話ボタンを押すと直ぐに耳に当てる。


「なんだよ」

「……」


 イライラとした気分を隠さずに声を出せば、電話の向こうで息を飲む気配がした。暫く、無言が続く。

 何?ともう一度訊きかけて、待てよ、何かがおかしい、とその可能性について考え始めたところで、「……久し振り」と、控え目に………とても、懐かしい、声が聴こえた。

 急に、視界が滲んだ。

 お前ほんと、どんだけだよ。なんて、自分にツッコミを入れてみても、溢れる。「せん、ぱい……」震える声を、何とか誤魔化せただろうか。


「ごめんね。既読がついたから。今なら、スマホ見てるんじゃないかと思って。……迷惑だった……?」

「あ、いや、すみませ……、あの、クラスの奴と話してて、またそいつからかかってきたのかと、」


 なんだこれ、カッコ悪。

 どれくらいぶりの会話だと思ってるの?俺。ーーーこんな筈じゃなかった。時を戻したい、と思っても、もう無理だ。

「今、大丈夫? 迷惑じゃない?」控え目に尋ねられ、大きく頷くしかない。「迷惑なんかじゃないです! 大丈夫です!」

 ふふ、と笑う声が聴こえた。

 なんて透明な声なんだろう。耳から鼓膜を打って、心を打ち、全身に沁み渡る声だ。変わらない、先輩の声。


「あんなに感情的な声、初めて聞いた」


 イライラしてますよ!と伝わるように、低く、ドスを効かせた先程の自分の声の事を思う。雲泥の差。先輩このひとに聞かせる声じゃない。


「……すみません」

「なんで謝るの? 別に、気にしてないよ!」


「今、部屋?」と尋ねられ、その必要もないのに辺りを見回した。「はい」肯定すると、「今日、花火大会、誰かと行く?」と重ねて尋ねられた。

 ドキリ、と心臓が跳ねる。

 まさか、まさかーーー…なんて、そんなこと、ある筈がない。これまでのこと、無かったことに出来る筈も無い。まだ何も、解決していないのに。


「……誰とも。そろそろ、花火、始まるんじゃないですか?」


 二十時から開始だと知っていた。そろそろ、その時間になるはずだ。

「そうだね」その言葉に重なるように、ドーン、と轟く音がした。どうやら始まったようだ。


(………この日を、こんな風に過ごす筈じゃなかった……)


 急に虚しさやどうしようもない気持ちが込み上げる。胸が苦しくなって、右手で心臓の辺りを掴んだ。


「………君の部屋から、花火って見える?」

「……さぁ、どうですかね」


 ベッドの傍の窓を振り返る。

 少し離れた場所にあるマンションの窓に反射して、少しだけ、見えると言えば、見えた。何色の花火が上がったかくらいしかわからない。


「……現物は見えないですね」

「そうなんだ。身を乗り出したら、見えない?」

「身を?」


 まさか、と思って窓を開けて下を向くと、家の前に立つ咲桜先輩が見えた。目が合うと、にっと笑う。


「降りてきてよ。少し、話をしようよ」


 ああ。

 この時の俺の感情を、どう言い表していいかわからない。もっと、本でも読んでいたら違ったのかもしれない。

 なんでそこにいるの?とか、久し振りに会えて嬉しい、とか。ボサボサ頭に部屋着の姿見られちゃったな、とか。ああ、先輩はいつだって変わらず、可愛くて綺麗だな、とか。


 失いたくないなぁ、………とか。


 色んな想いに、胸が詰まった。

 暫く、返事が出来ないでいた俺に、「構わない?」と首を傾げる先輩。ああ、これがもう、潮時ってやつなのか、と俺は腹を括る。


「……いいですよ。少しだけ、待ってて下さい」


 結局。

 現状を変えようとしたのは、先輩の方だった。

 情けない。カッコ悪……。

 俺はきっと、先輩には不釣り合いだ。






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