第2話 霧峰 律―2―


 車内にいた殆どの人間が下車し、「やっぱり皆宮島行くんですかね」と律は苦笑した。夏休みだ。宮島には有名な厳島神社があり、観光には持ってこいだろう。

 駅を出て、人の流れに従い歩くと、フェリー乗り場に着く。迷う必要が無かった。


「あ、ガイドブックに載ってたお店ですよ!」

「本当だ! わっ、並んでるねぇ!」


 牡蠣とあなごめしが有名らしい。律達は、牡蠣をお腹一杯食べようと事前に盛り上がっていたので、名残惜しさを浮かべつつ、あなごめしはスルーしてフェリーの方へ向かう。


「宮島楽しみ」

「あた、…わたしも、です。フェリーも、初めて乗ります!」

「記念写真撮ろうよ!」


 首から下げている立派な眼レフカメラではなく、スマホのカメラで、二人はパシャパシャと好き好きに写真を撮った。海。フェリー。お互い。「駅を撮るの忘れました」「私も思った。帰り、忘れず撮ろう!」高まるテンションの中、フェリーに乗り込む。

 赤い鳥居が見えて来ると、二人のテンションは更に上がった。


「教科書に載ってるやつ!」

「待って! 凄い行列だよ…!」


 厳島神社に行くだけに何時間か並ぶことになりそうだと予想したが、二人とも観光地巡りが最大の目的ではないことを思い出し、「凄いねぇ」「皆考えること一緒なんですねぇ」と他人事のように感想を述べた。

 フェリーを降りると早速、鹿が二人を迎えた。


「「鹿っ!」」


 二人は息ぴったりに叫ぶと、スマホで写真を撮ってから、思い出したように一眼レフのカメラを構える。それから、観光客が流れる方向とは別の道に進む。プランとしては、写真を撮って、早めのお昼を食べ、写真を撮りつつ、観光する。メインはあくまで、写真を撮ることだった。

 “皆が初めから『いい』と言うものを撮ってもつまらない”。

 律はそう思っている。咲桜の作品から、咲桜もそういう価値観なのだろうと律は思っていた。だから、厳島神社に向かう正規のルートを外れたことに関しては、予想通りだった。

 人混みを外れると、民家が並んでいる坂道に出た。「観光名所でも、そこを生活圏に、当たり前に暮らしている人がいるものね。当たり前だけど、なんか、不思議だよね」咲桜も同じことを思ったんだなと嬉しくなり、律は弾む声で「そうですね」と同意した。

 ガイドブックに載っていたかわからない、昔ながらの食堂を思わせるようなこじんまりとした店。近所の友達と当たり前の日常を楽しみ、駆け回る子供達。郵便局のバイク。視覚、聴覚、嗅覚、感覚で、それらを体一杯に楽しむ。やっぱり、胸が踊った。

 見慣れない景色の中に、咲桜が映る。律の視線に気が付いて、微笑む。


(ーーーああ、先輩の名前で作品集を作りたいくらい)


 わりと本気で、そう思った。

 アイドルとかの写真集みたいになっちゃうな。疑似彼女との旅行を楽しんでいるみたいな写真ばかりになることを想定し、苦笑いした。

 咲桜は、水があまり流れていない川に降りていた鹿だとか、瓦続きの屋根だとか、石の割れた階段だとか、……相変わらず、観光名所とは全く関係のない風景に立ち止まり、レンズを向けた。彼女が覗く風景を知りたくて、真似するように、律も、その景色にレンズを向けたりした。

 早めのお昼ご飯は、それでもやっぱり少し並んだ。皆考えることは同じようだ。

 ガイドブックに載っていた注文方法で裏メニューを注文し、配膳された牡蠣尽くしのそれを、やっぱりスマホカメラで撮る。

 巨大しゃもじ。観光地に紛れる郵便局。お土産屋さん。観光も楽しんだ。厳島神社は未だに長蛇の列ができていて、道を外れて階段を昇る。

 適当に逸れたはずの道は、立派で壮大な歴史的建造物へと繋がっていた。


千畳閣せんじょうかくだっ!」


 木造の大経堂。咲桜は大本命を見てつい声をあげてしまい、その様子に、律は隣で微笑んだ。

 入場料の百円を払い、靴を脱いで中に上がる。皆、厳島神社ばかりに夢中で、千畳閣にはちらほらとしか人がいなかった。

 此処だけ、時間の流れ方が違うようだ。

 夏の陽射しにすっかり汗だくになっていたのに、影になったそこは、ひやりと気持ちが良かった。夏じゃないみたいだな、と驚く。律の隣で咲桜が、声を弾ませる。


「豊臣秀吉が命じて建てたらしいよ」

「ああ、ガイドブックに載ってましたね。未完成なんだって」

「完成したものも見てみたかったけど、此処は、未完成だからこそそれでいいような、そんな空気があるよね」


 先輩は宮島に来たことがあるのだろうか。

 太い柱に右手をつき、まるで建物と心を通わせているような咲桜を見て、律はふと疑問に思った。

 厳かだけど、気後れしない建造物だと思った。金箔を施す予定だったとか、厳島神社から階段を繋げる予定だったとか、そんな情報を何処かで見た気がする。確かに、想像した完成図は厳かで雄大で、華やかで、夢のように素晴らしいものだった。けれど、今みたいに、心に寄り添ってくれるような、『静』の気のようなものは無かったんだろうと思う。未完成だからこそ、いいと言う。その評価には全面的に同意だった。


「少し、時間を貰ってもいい?」

「いいですよ。折角来たんですから。満足行くまで、心を満たして帰りましょう」


 先輩は頷いて、柱を背に正座をした。本当は寝転びたいくらい!なんて笑う。天井も、張り巡らされた立派な梁や美しい絵が目に留まり、見ごたえがあった。咲桜は、つい溜息を溢す。

 そんな咲桜を横目に、律は開けた場所まで歩いてみた。厳島神社が見える。不自然に開かれたこの場所に恐らくは階段をつける予定だったのかなと合点した。

 その場に居座る咲桜に反して、律はぐるりと中を一周し、ところどころ見上げたりシャッターを押したりした。その後、一切動かなくなった咲桜の元に戻って来て、隣に腰を下ろした。


「宿をとったら良かったなぁ……」

「そうですね」


 おかえり、でもなく、徐に咲桜が呟く。

 同意して、律も想像した。同じ部屋だったのだろうか。想像にまた、心臓が鳴る。すっかり旅行気分だった心が、『デート』と言うイメージに傾く。触れそうな程近くに置いた手。でも、触れない。重ねたりするような仲に無い。


「…………………彼は、元気?」

「……」


 またその話か。

 頭に浮かんだ幼馴染みの顔を睨む。いい加減にしろよ、と悪態付くと、想像の中にも関わらず、彼が物凄く罰の悪そうな顔を浮かべたものだから、律の方も思わぬダメージを受けてしまった。


「………まぁ。[[rb:飯>めし]]、あ、ご飯……も食べて、寝て、体調面では全く問題なさそうですけど」

「ふふ。『飯』でいいのに。あと、一人称も、無理に『わたし』って言わなくていいと思うよ」


 幼馴染みの話から自分の話に変わったことに、紅潮した。一人称を無理して『わたし』にしていたこともばれていたのか。嬉しい、と恥ずかしい、が共存する。「か、感じ悪く、無いですか?」上擦った声が、緊張でどもる。「そう?」事もなげに首を傾げると、咲桜の髪がふわりと揺れる。


「昔はよく、ガサツだとか女らしくないとか……周りから言われて……」

「『女らしく』ある必要なんてないじゃん。律は律なのに。律らしくあれば、それでいいじゃない」

「……」


 さわさわと優しい風が抜ける。ちりんちりん、と何処かで風鈴が鳴った。

 やっぱり、別世界だったのかな。此処は。ーーー律は、そっと目を閉じた。故意に、すぐ傍にあった咲桜の指先に触れた。細い指だ。咲桜は何も言わない。

 その熱を。感触を。もっと確かめたいと欲が出る。

 恐る恐る重ねた手を、咲桜の方から、握ってきた。


「……どうかした?」


 目を開けると、思っていたよりもずっと至近距離に咲桜の顔があった。目を閉じた律を覗き込んでいたようだ。

 咄嗟のことに取り繕うことも出来なくて、かぁっと顔全体が熱を帯びて赤くなる。


「……先輩の、手、…細いのに、柔らかい……」


 指を絡めて握ると、ぎゅっと握り返された。

 まさか、それで想いが通じ合ったと言うことはない。律の精一杯なんて、咲桜は気が付かない。それこそが、決定的な違いだった。いつまでも噛み合わない歯車なんだろう、と律は思う。堕ちていきそうになる気をなんとか保てたのは、持ち前の図太さ故であった。異性の片想いなら、絶対に出来ないことが、自分には出来るのだという優越にも似た気持ち。

 手を繋いだり。ハグをしたり。一緒にでかけたり。ーーー付き合っていなくても、出来るのだから。


(………流石に、キスとかは出来ないけど……)


 相変わらず、気を抜けばそのふっくらと柔らかそうなピンクの唇に目が奪われる。

 想像してしまう。キスされる時はどんな顔をするのだろう。終わった後、照れて笑う時は、どんな顔?恋人だけに見せる、そんな表情を妄想して、やっぱり幼馴染みを恨めしく思った。あいつは、知っているのだろうか。それなのに、手放そうとしているのか。それでいて、手放しきれずに、いつまでもこうして、中途半端に繋がっているのか……。


「……あたしじゃ、朔也の代わりにはなりませんか……?」

「えっ」


 つい、口が滑ってしまった。咲桜の驚いた顔に、慌てて口を紡ぐ。


「どういう…」

「ええっと、つまり……。あの、一緒に、これからも沢山、時間を過ごせませんか? あたし達。カフェに行ったり、映画を観たり。ショッピングに出掛けたり。時々、こうして、遠征しましょう。楽しい時間を、一緒に過ごしませんか……?」

「………いいね。是非、また、楽しい時間を過ごそうね。ありがとう」


 律の誤魔化しを、咲桜は『励まし』と受け取ったらしかった。

 それから、千畳閣を後にして、五重塔を堪能し、茶屋で茶菓子を食べてから、下る。

 観光客の流れに逆らい、思うままに道を進んだ。


「夜の宮島も見たかったな」

「……今度は、泊まりに来ましょう」


 灯りを灯していない灯籠が点々と続く海沿いで、咲桜が溜息混じりにぼやいた。それを拾った律は、わりと本気にそう励ました。

 また気ままに、様々な道を歩いた。

 丁度いいタイミングで潮が引いて、鳥居まで歩いていけるようになったので、他の観光客と同じようにその麓まで向かう。相変わらず咲桜は、その鳥居全体を工夫して撮るより、鳥居にこびりついた苔や貝の方に感心を示した。

 帰りの時間を逆算し、まだ明るいがそろそろ帰りのフェリーまでの時間を気にしなくてはいけなくなった。写真はおしまいして、本腰を入れてお土産の物色に夢中になる。


「ついつい買っちゃうよね」

「わかります。後悔しないように、沢山買いましょ! あっ、もみじ饅頭ありますよ!」


 きゃっきゃと買い物を楽しみ、最後にと個売りの焼き牡蠣も注文して食べた。


「牡蠣、うんまいっ!」

「今度はあなごめしも食べに来ましょう!」


 例えば。

 そんな風に気軽に「今度」と言える仲に自分がいることを、律は誇らしく思った。恋人ではない。けれど、その特権に似たこの距離感。ほら、きっと、異性では難しかったはずだ。


「はぁーっ! 満足満足! いい写真、いっぱい撮れたねっ!」


 次はロープウェイに乗って、向こうにも行こう。と、次の約束がどんどん増えた。ともすれば、『毎年、夏は宮島に行く』と言う暗黙の決まりが出来そうな勢いだ。

 出航したフェリーから、遂に昇殿しなかった厳島神社を眺めた。


「人の少ない時期でもいいですね。次は、厳島神社にも行ってみましょう」

「いいね! 楽しみが尽きないね」


 来た時と同じように浮かれ、弾んだ声で咲桜が頷く。今回かかった旅費や、まだ高校生であることを考えても、その約束はあまり現実的では無かったけれど、そういう話ではないことを、二人は理解していた。なので、水を差すようなことは言わない。

 やっぱり、咲桜と居るのは心地がいいな、と帰り路についた今日を名残惜しく想う。律の下がってしまった眉毛に、咲桜は気が付かない。


「あたし……。高校選んだの、咲桜先輩に会いたかったからなんですよ」


 感傷に浸るまま、気が付けばそんな告白をしてしまっていた。きょとんと咲桜が振り返る。「私のことを知っていたの?」とその顔に書いてあって、説明不足だったな、と補足する。


「文化祭で、先輩の撮った写真を見て…」

「ええ? 本当に? 嬉しい!」


 驚いた顔のままだ。確かに、写真一つで県内でも有名な偏差値を誇る進学校を志望するのは、なかなか無いことだろうと思う。

 次の言葉を紡ぐか悩んで、でも結局、口を開いた。


「それが、朔也の言ってた『咲桜さん』だと知って、驚きました。世間て狭いですね」

「……律は、朔也の事が好き?」


 え?と、声にならない音が漏れた。

 思いもよらぬ問い掛けに、息を飲んだ。


「…………すき、って……」


 そんなわけ、無いじゃないか。

 驚いて丸めた律の瞳に、真剣な顔をした咲桜が映る。ああ、そんな顔も素敵だな。とても自然に、そう思う。

 その白くてきめ細かい肌も。小さな顔に、黒目がちな大きな目も。ふっくらとしたピンクの唇も。ふわふわで色素の薄い長い髪も。細長い手足。豊満な胸。優しい声。雰囲気。花が綻ぶような笑顔。価値観。感性。言葉選び。全部。

 その、全部。

 好きだと思った。

 あたしの『好き』は、貴女に向いてる。

 律は、そう、思っていた。





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