第5話 思い出せない人




ーーーー…回想が逸れてしまった。




 少し前までの私は、あの時に自分が聞かされていた過去の自分を想像するあまり、本当の記憶とは相違のある記憶を、まるで本当の記憶のように保持してしまっていたようだった。あまつさえ、自分が記憶を失っていたことさえ、忘れていた。

 渚も勇志も、朝陽はるきの話をしなかった。だから、私の記憶には、幼馴染み三人で遊ぶシーンしかインプットされていなかったのだ。何故、二人は朝陽の事を教えてくれなかったのだろう?

 きっと、理由がある。意図的なものだ。

 だけど、私は思い出してしまった。それは望まれていたことなのだろうか?誰かにとって、不都合のあることなのだろうか?

 未だに、記憶を失った日の事、それから、私の彼氏だと言う彼の事だけは、どうしても思い出せない。


 彼との記憶は、やっぱり病院のベッドの上から始まるし、それからは『彼氏』として、私の事を「先輩」と呼ぶ彼しか知らない。

 確かにそう、それは、高校一年生の夏だった。つまり、私が記憶を失う前に私達は付き合い始めたと言うこと?交際ゼロ日にして、私は記憶を失った、とか?


 ………それともやはり、彼は、私に『嘘』をついていたのだろうか……?


 わからない。

 でも、私はずっと朝陽が好きだったはず。何か思い出せない記憶の中に、心境の変化があったのだろうか。

 あのどしゃ降りの雨の日のことを思い出す。

 大学二年生になっていた朝陽は、お盆になるより遥かに早く、一時的に帰宅した。

 なんでも、地元の友達の初ライブがあるとかで、招待されたんだ。とか。朝陽の通う大学は、新幹線を使う距離にある。それを、友人の為に帰ってくるなんて。よく知る朝陽、その人だな、と思った。そうだ、思い出せば出す程、私はこの人の事が好きだったんだ、と自覚する。

 僅か一日滞在しただけで、朝陽は大学のある土地へと帰って行ってしまった。「お盆にはまた帰るから」と、くしゃりと私の頭を撫でる。まったく、私の事を何歳だと思っているのか。

 心の奥が、ふわふわとした。熱い。


ーーー…ああ、私は、何を忘れているのだろうか。何故、朔也あのひとの事を覚えていないのか。


『朝、迎えに来ないで』

『わかりました』


 あの日の、やりとり。

 既読をつけたきりのそのメッセージを指でなぞる。

 彼は、どんな想いでこの六文字を送ったのだろうか。今、どんな想いでこの日々を過ごしているのだろうか…。

 学校はおろか、通学時にも会わなくなった。それはやはり、彼の意図的なものだと思う。

 いつもの時間。いつもの電車。いつもの、三両目。

 見知った顔ぶれの中に、一番近くにいつも居たはずの、彼が居ない。

 周りからは、どう思われているのか。ケンカ?別れたとか?…そんな潜め声が聞こえてきそうだなと思った。それが怖くて、一両目に乗るようになった。……そのせいなのかもしれない。だから、会わない?否、顔を見ないで済んでいることにほっとしているのは、事実だ。


「………このままじゃ、いけないよね……」


 紛れもない一人言は、私の鼓膜だけを打つ。他に誰も居ないこの部屋の空気を震わせるだけだ。声に出したって、誰かが賛同してくれるわけでも、アドバイスをくれるわけでもない。意味の無い行動。変化をもたらさない、言葉。

 別れるべきなのかもしれない。ーーー…そう、思っている。

 あの日ー私が記憶を失った、あの日ー『咲桜』は死んだのだと告げた。それと、一緒。

 貴方を覚えていない私は、本当に、貴方の知る『咲桜わたし』なのだろうか。

 貴方はそれでもきっと、変わらず私を愛すだろう。ーーー…けれど、きっとそれは、『私』にとって居心地のいいものではない…。

 別れるべきだ、と思う。のに。

 覚えている記憶の中の、彼は本当に、私の事を大切にしてくれていた。

 私も、彼の事を愛おしく思っていた。非の打ち所の無い、自慢の彼氏だった。彼と居る時間がいつも、輝いていた。温かかった。また、大切にしたいとも想っていた。

 いつも朝御飯を食べていないのは、用意をしてくれる人が居ないから。

 私の家に、彼の私物が沢山増えたのは、私達が共存を望んでいた証のようにも思う。

 私達は、いつも、何処か寂しかった。

『親から愛情を感じていない』ーーーそんな点で、私達は、酷く同じだった。


 彼は、いつから私を好きなのだろう?

 何故、私を好きになったのだろう?


ーーー私、朔也といつ出会ったんだっけ…?

ーーー中学生の時ですよ。


 いつかした会話を思い出す。

 あぁ、でも、そう。思い出した記憶の何処にも、彼は居ないのだ。

 怪訝に寄せた眉毛。気まずくて目を逸らしてしまったけど。今思うと、泣きそうなのを堪える顔だったのかもしれない。『いつまで忘れているんですか?』なんて。忘れていることすら忘れていた私を、さぞ哀しく思ったことだろう…。

 彼は何を考えている?


 何が本当なのか、何が嘘なのか。

 わからない。……何を信じたらいい?

 

(……ああ、テストが近い……)


 テストが終わったらもう、夏休みだ。












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