第29話 手を繋いで

「…顔を上げて、真太郎」

「…?」

「ごめんなさい。真太郎、君をそこまで追い詰めたのはわたしだった。こんな事言える筋合いじゃないけど、許して欲しい」

「違うよ、君は…」

「待って。お願い。君と同じ様に、わたしにも罪がある。だから、聞いて」

「……」

「まず、一つ目。わたしは君の心を大切に出来なかった。本当にごめんなさい。本来なら、学校も何もかも君が選ぶ権利があった。君の人生で、わたしのものじゃない。だから、君が辛くて止めたいって思ったなら、直ぐにそうしなきゃいけなかった。なのにわたしは、それを忘れて、君からのヘルプを聞き逃して、君を追い詰めてしまった。もう一度、本当にごめんなさい」

「そんな…約束に乗ったのは僕だよ。だから、君は悪くない…」

「それから二つ目。…多分、これが一番大きいと思う」

 息を吸って、吐く。

「…昔苦しい思いをした人は、人の苦しみに敏感になる、ってよく言うでしょ。だけど、わたしはあれは嘘だと思う。むしろ、苦しんだ人程他人の苦しみが分からなくなる。その程度、この程度って。わたしがそうだった。わたしは、君の苦しみに鈍感だった」

「えっと、どういう事?」

「不幸自慢をする気はないけど、わたしは自分でも普通の人よりは苦しい思いをしてきたと思ってる。この身体の所為で、いじめられもしたし、痛い思いもしてきた。…その所為でわたしは、外の世界の人、つまり普通の人の苦しさが分からなくなってしまった。…これでも昔は、外の世界に憧れて、普通の人になりたいと思ってたの」

 わたしは、修学旅行の夜に加々美さんにした話を、かいつまんで話した。

「わたしにとっては、外の世界は理想で、そこに住んでる人達はみんな幸せで、悩みなんて何もないんだろうと思ってた。成長して、多少はそんな考えは無くなって行ったけど、抜けきれてなかった。…あの時、君が初めてここに来た時もそう。君は幸せそうで、いつも笑っていて…。だからかな、思い込んでた。君はわたしみたいに肌は白くない、普通の身体で、明るくて、温かく笑う人。それは、君が幸せだからできるんだって。でも、そんな訳なかった。わたしが悩んで、苦しむ様に、君や外の世界の人も人間で、同じ様に悩んで、苦しい思いをしている。わたしは、君のその苦しさに気がつけなかった。いつでも君は幸せで笑ってると、どこかで思ってた。…もし君が、わたしの事で苦しんでると分かっていたら、本心を伝えて、安心させる事ができたかも知れない。本当にごめんなさい」

「本心…?」

「うん。…真太郎、さっき君は、わたしの事が好きだって言ってくれた。すごく嬉しいよ。わたしもそうだもの。真太郎、わたしも君が好き。君をもっと知りたくて、もっと近づきたい。君がわたしを外に連れ出してくれた事、本当に感謝してる」

「……」

「それから君が言った事も、そのまま君にまた返すよ。わたしだって怖かった。君は二学期からだけど、わたしは友達になってから。ううん、君と文通する様になってからかも知れない。外を知らないわたしにとっては、君は一人だけの特別な人。たった一人の友達だった。だけど、君にとってわたしは数ある友達の一人。そう考える度に、胸が痛くて、怖かった。君から忘れられたく無い、一緒にいて欲しい、わたしだって思ってたよ。『特別』だって思われたいって」

「ほんとうに?」

「本当。だから、もし君の心に気付けていたら、今の言葉を伝えられた。君の苦しさを少しでも軽くできたかも知れない。だけど、出来なかった。本当にごめんなさい」

「そんな事…」

「でも、その上で。お願い、これからもわたしと一緒にいて欲しい」

「……」

「わたしは間違えて、失敗して、君を深く傷つけた。本当なら、許される訳もなくて、縁を切られても仕方ないと思ってる。でも、その上でお願いするわ。失敗も、間違いも、全てを呑み込んで、わたしはこれからも君と一緒にいたい。君を傷つけた事も忘れずに、これからは、知識だけじゃなくて心にも寄り添える様になるから。…他の誰でもない、君だから。友達でも、恋人でも、どんな関係だって構わない。君と一緒にいられるなら。お願い、またわたしと…」

 泣くまいと思っていた。泣いてすがり付けば、真太郎はきっと受け入れてくれた。だけど、それは卑怯だと思った。優しさに甘えて、自分のした事を覆い隠すのと同じ。だから泣かないで、そして絶対に目を逸らさない。それがわたしなりの礼儀だった。だけど、それも限界に達していた。いつの間にか声はうわずって、嗚咽が混じって、視界はぼやけてくる。

 そして、言葉も出てこない。あふれ出す感情が思考を押し流して、もう何も考えられなかった。

 それでも、目だけは逸らしたくなかった。どれだけ泣きそうでも、どれだけ醜くても。思いの先だけはずらさない。

「…君は」

 真太郎が呟く。びくり、と一瞬体が震えた。

「前に君は勝手だと言ったけど、それだけじゃないね。君はとても強かだ。心の底からの思いを、目を逸らさずに告げて、それだけじゃない。そんな顔されたら、断れる訳ないよ」

「……」

「君が目を逸らさずに思いを告げてくれて、本当に嬉しい。でも、いいの?君よりも僕はずっと勝手で、ずっと弱くて、怖がりだよ?」

「関係無いよ。君だもの、君がそうだって言うなら、何だってわたしにとっては正しい事だよ。君が言う怖がりも、勝手も。わたしが思う優しさも、明るさも。みんな引っくるめて君なんだから」

「…ふふ。君は優しいね」

 そう言って、彼はわたしに手を差し伸べて、わたしの手を握った。

「こんな僕、ううん、俺で。君さえよければ…また、友達になって下さい」

「ありがとう…!」

 後はもう、言葉にならなかった。あふれ出す思いのままに泣きじゃくって、目の前の彼にすがり付いた。そのままぎゅっと抱き着いて、強く彼の身体を引き寄せる。その背を、彼の手が優しく撫でてくれた。その温かさと、鼓動が興奮をさまして、温かくて、心地よい落ち着きの中にわたしを引き戻した。

「ねえ、アオイさん」

「んー?」

 いつかの時みたいに、わたしは真太郎の膝の上にいた。

「今度から、『アオイ』ってそのまま呼んでもいいかな?」

「むしろ、今までどうしてさん付けなんだろうって思ってたよ」

 二人で笑う。

「加々美さんと椎崎君には感謝しないとね。二人がいなかったら、仲直りできなかったかも」

「君が倒れた後、椎崎がね、『津深さんの家に行かないって言うなら、行くって言うまでお前を殴る』なんて言い出して、実際に二発ビンタ食らったよ」

「ええ!?」

「まあでも、気にしてないけどね」

 彼の声は相変わらず優しい。心の底まで染み通る明るい声。

「…そうだ、アオイ。今日は君の誕生日でしょ?だから…その、プレゼントを用意してきたんだ」

「本当?」

「うん、ちょっと待ってね」

 膝から頭を上げて、普通に座る。その後彼は、ゴソゴソと手提げバッグの中から小さな箱を取り出した。

「誕生日おめでとう」

「…ありがとう。開けてもいい?」

「もちろん」

 ワクワクしながら、丁寧にリボンを解いて、箱を開ける。その中身は…

「紐ネクタイ…」

 黒の紐を茶色の木製ボタンで止めた、新しい紐ネクタイだった。

「ブローチみたいなやつは高くて手が出なかったんだけど…。それでも精一杯選んだから、喜んでくれると嬉しい」

「うん…!うん…!すごく、すっごく嬉しい」

 取り出したネクタイは、どんな高級なアクセサリーよりも綺麗で、輝いて見えた。

「ねえ、これ着けて。君の手で着けて欲しいな」

「上手くできるかな」

 不器用な手つきで、彼がわたしの襟元にネクタイを通す。胸の辺りに手が触れて、その温度を感じる。そして、ボタンでネクタイを上まで締めた。

「…似合ってる?」

「とっても」

 ピコン、と唐突に音が鳴った。鳴ったのはわたしのスマートフォン。受験合格のお祝いに買ってもらった物だ。

 画面に表示されているのは、加々美さんからのチャットメッセージ。

『仲直りできた?』

 二人で顔を見合わせて、そして笑い合う。

「折角だから、椎崎にも送ってやろうぜ」

「何を?」

 ニヤリと笑って、彼がわたしのスマホを上にかざす。わたしにも彼の考えが分かった。

「可愛く撮れるかな」

「もちろん」

「「はい、チーズ」」

 そこには二人の、わたしと真太郎の、全ての詰まった笑顔が写っていた。

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