ぼくは半袖が着られない

すきま讚魚

ぼくは半袖が着られない

「おはようございます」

「お疲れ様です」


 朝の4時45分。ちぐはぐな挨拶を交わし、アルバイト先のコンビニでコーヒーを買う。コーヒーはホットの時もアイスの時もあるけれど、1年365日のうち、ぼくの1日のスタートの大半を締めるのがこのやりとりなんじゃないだろうか。

 コーヒーを片手に、レジの後ろを通りバックルームへ。袖を通すこの制服は、毎度持ち帰り週に一度は洗濯をしている。

 5時に出勤を押すぼくと8時に上がる夜勤の坂本くんは、そこからの3時間、週に4日ほど同じ時をこの場所で過ごしている。


 朝の通勤ラッシュ間近のコンビニ。

 坂本くんとぼくの会話は必要最低限の連絡事項がほとんどだ。

 フライドフーズを山盛りに用意し、備品のチェックと清掃。あとはひたすらに忙しいレジ打ちと、配送されてきたお弁当やチルド、備品を売り場に出していれば彼の勤務時間はあっという間に終わってしまう。


「お疲れーっす」


 言いながらレジを打つぼくの後ろを歩いていく坂本くんは、いつもフルフェイスのヘルメットを片手に担いでいる。彼は二つ離れている市からわざわざバイク通勤しているらしい。

 アッシュの短髪、耳に開いた沢山のピアスの痕、剃られているのかほとんど残っていない細い眉、鋭い目つき。結構な古株だそうだが歳は若くみえる、夜勤だしバンドでもしているのだろうかといつも思う。


 ぼくとはまるで正反対、何もかもが真逆だ。


 だけど——。


 彼と目が合うたびいつも思う。少し探るようなその目つき。

 こんな夏の暑い日、陽の照りつける中を退勤する坂本くんは今日も長袖のジャケットとリストバンド。


 俺と同類か——?


 その目がいつも問いかけている。

 ぼくは曖昧にその視線に返す。


「お疲れ様です、お気をつけて」


 そうだよ、坂本くん。

 きっと、たぶん、ぼく達は同類だ。

 きみはそうやってこちらを窺う時、同類故の嗅覚が働いたって表情カオをしてるから。


 だってそう、何故ならば——。


 ぼく達は半袖が着られない……。




***



 18歳の時に始めたコンビニの夜勤のアルバイト。なんだかんだ続けて今年で8年目になる。


 1年前、早朝の時間帯に入ってきた阿部さんはちょっと変……というか不思議なヒトだ。

 入れ違いの夕勤の女学生や昼勤のパートのおばさんと違って、女の人だというのに一切の化粧っ気がない。いつも黒いスキニーとロンT。真っ黒で長い前髪は顔のほとんどを隠すような長さで、眼鏡をしているから辛うじてその目元が見えるくらいだ。アレルギーが酷いらしく、秋と春の間はずっとマスクをしていて、ほとんどその顔を見ることができない。

 いつも出勤前にコーヒーを買う阿部さんは、なんだか気怠げで常に眠そうにしている。


 だというのに——。

 彼女の接客は物凄くいい。交わす挨拶より2トーンは上げているんじゃないかという声は、店の反対側で商品整理をしていても耳に入ってくるほど。

 よく見れば、お年寄りや補聴器をつけたお客さんにはマスクを外し、その長い髪を耳にかけて、ゆっくりとよく口の動きが見えるように話していたり。そういう時の阿部さんは、うっかり目にしてしまったこちらがビックリするほどにいい笑顔をしている。

 ああなるほど……。あれだけ野暮ったい見た目をしているにも関わらず、阿部さんが店長やマネージャーにその見た目を注意されたなんて聞いたことがない。

 それに彼女はいつも制服の入ったトートバッグで出勤していて、清潔感のある服装でバイトに臨んでいた。


 顔にコンプレックスでもあるのかと思っていた、僕みたいに。

 全然、美人というほどではなくても普通に見られる顔をしているのに——。


 だけどいつも思う。

 阿部さんは真夏の猛暑日でも常に長袖だ。

 袖が取り外しのきくこのコンビニの制服で、年中その袖を外さないままでいるのは恐らく彼女と僕くらい。どんなに蒸し暑い日でも、制服の下も長袖な阿部さんが「寒がりで……」と誰かに言っているのを以前どこかで聞いた。


「お疲れ様です、お気をつけて」


 振り返って軽く頭を下げたその手元、手の甲には大きな絆創膏。

 前髪の隙間から窺うようなその目つき——。


(たぶん、そうだよな……)


 同族、といえば聞こえのいい。

 目が合うたびにあれと感じ取る。

 僕と阿部さんの、お互いが密かに共有しているであろう秘密がある。

 

 なんでかってそりゃね……。


 僕達はたぶん、長袖しか着られない——。



***



 夏祭りの繁忙期、急遽そこのシフトに入っていたという学生が休みになってしまったらしく、別段なんの予定もなかったぼくはピンチヒッターという事で夜勤のシフトに入ることになった。


「いやぁ、助かったよ阿部さん。夜勤って言っても今日明日は夏祭り客の接客がメインだから。カウンターのフライドフーズだけ切らさないように気をつけてて」

「かしこまりました」


 日付も変わりそうな0時前。ようやくといったていで汗を拭きふき、店長は店を後にした。もう朝から働き詰めだっただろう事を思えば、1秒だって早く帰ってほしいと思うのだけど、心配性で人の良い店長はこうやって最後まで従業員のフォローをして回る。


「阿部さん、夏祭り客は初めてですか?」


 ふと顔をあげれば、坂本くんがそこにいた。


「……はい、ここでは。大学生の時、別のコンビニでバイトしてた時にあるくらいで」

「そっか。どうだろう、終電も過ぎたからここから先は酔っ払いとちょっとヤンチャな学生が多いかな〜と。何かあったら呼んでくれて良いので」

「あ、ありがとうございます。たぶん、大丈夫です」


 これから朝の8時まで、交代で休憩を取りながら2人勤務。

 普段、彼はこの長い時間を1人でせわしなく働いているのかと思うと、改めて自分にはできない事だなと感心してしまう。

 早朝の、エンジンのかかりきっていない身体で出勤している時とはまた違った感覚で話せるのも新鮮だった。



***



 そのあまり見えない目元で、微笑みながら「大丈夫です」と阿部さんは言った。その返しに、真面目で丁寧な人なんだろうな……と、そう思った。


 その夜は思ったほど荒れた酔っ払いや不良が来店することもなく、ただひたすらにカウンターのフードが売れては追加を作り、時折ドリンクを補充しにウォークインに走らなければいけないくらいには忙しかった。


 押し寄せては一気に引く波のような、全く読めない客足。数分前まではレジに張り付きで小銭をしまう暇もないほどに立て込んでいたのに、今やすっかり人は去ってしまっている。


 無くなった商品を補充したり、手前に並べ直していると、ふと反対側から商品整理をしていた阿部さんが隣の棚までやってきたのが見えた。


「やりましょうか?」


 一番上の棚に並ぶパックのジュースを前に出そうと、一生懸命背伸びをして手を伸ばすその姿に声をかける。チラリ、とその手元が見えた。


「あっ、じゃあお願いしてもいいですか?」


 サッと、咄嗟にその大きな絆創膏を隠すかのように、彼女は伸ばしていた手を引く。しれっとしているようで、まるで隠しきれていないその挙動に、僕はつい口が滑ってしまう。



「阿部さん、なんでいっつも長袖なんですか?」


「えっ」とも「あっ」とも形容しがたい声を発して、阿部さんは自分の手元を抑えた。


「あっ、いや。いつも長袖だから……つい気になっちゃって」


 そうだよな、言いづらいよなこういう事は。

 自分の無神経さと、阿部さんが女性だった事も相まって、軽率な発言を即座に後悔する。


「ごめんなさい、別に言わなくても、」

「……たぶん、きみと同じ理由なんじゃないかなぁ」


「えっ?」顔を上げると、なんとも言えない表情を浮かべ、阿部さんはそこに立っていた。


(それって……)


「スイマセーン、店員さーんっ!」

「あっ!ハァイ、今お伺いします!」


 直後に来たお客さんの呼ぶ声がし、慌てて僕と阿部さんはレジへと戻る。


 それからはお互いその話題を出す事もなく、勤務終了時間までバタバタと慌ただしく時間が過ぎていった——。



***



「今日は急な夜勤、ありがとうございます。ホント、助かりました」


 退勤後、とても丁寧な口調でそう言うと、坂本くんは店頭のマシンでドリップするタイプのアイスコーヒーをこちらへ差し出してきた。


「いや、ちょうど暇だったし、そんな」

「や、僕も色々失礼な事聞いちゃったかもしれないんで……」


 謝罪の意味も含まれているのだろうそのアイスコーヒーを、ぼくは「じゃあ」と受け取る。


「じゃあ、お疲れ様です。また今度早朝に、」

「ねえ、坂本くん」


 言うなり、いそいそとフルフェイスのヘルメットを掴んだ坂本くんの背中に声をかけた。

 ん?と振り返った彼の表情は些か訝しげで、寄せられたその眉間のシワに思わず笑いそうになる。本人にそのつもりは無くとも、これは若干怖がられて損をした事が何度かあるんじゃないだろうか。


 ますますそこに興味を惹かれたぼくは、つい悪戯心で声をかけてしまった。


「答え合わせ、しましょっか——」



***



 バイクを押し、河原まで朝の喧騒と逆方向に歩いていく。


 阿部さんは今まで見せた事もないような……、まるでイタズラっ子のような笑顔で「せーのっ、」と言うと袖を捲った。


「えっ——」

「あっ——」


 その手と、顔と。何度かお互い見比べた後に。

 えっ、えっ、あっ、うそっ。と、どちらとも取れない声が2人の口をつく。


 阿部さんの手首から肘にかけては、鮮やかな花や機械や模様のタトゥーが。


 僕の手首から肘にかけては真っ赤なミミズ腫れのような線が。


 いくつもいくつも、所狭しと並んでいた——。


「なぁんだぁ〜」


 どさり、と音がしそうなほど、気の抜けた表情で阿部さんが座り込む。


「ごめんなさい、全然一緒じゃなかった。俺てっきり——」


 いたたまれなくなった僕は、ヘルメットが自分のおでこを強打するのも厭わず、頭を抱えてしゃがみ込んだ。


「いやいや、何を言っているかね坂本くん」


 袖をまくったその姿のまま、阿部さんはくるくると氷を溶かすようにコーヒーのプラカップを回している。いつの間にか耳にかけた髪の、その首元にもいくつかの模様が見えた。普段前髪で隠れているその横顔は、思ってたよりもずっとシュッとしていて、なんだか綺麗だ。


「きみのそれも。ぼくのこれも。それでも、這いずり回って生きてきた証だろう。ぼくらは、同類だ——」


 普段の彼女はどれほどその表情筋を抑え込んでいるのだろう、そう思うほどに満面の笑みで告げる。


「針か、インクか、カッターか、それとも刃物かの違いだよ」

「ハサミも入ってたりするんだ、お恥ずかしながら……」

「まあいいじゃないか、今きみはこうして生きているのだから。恥じる事など何にもない。……ではこれで、ぼく達は秘密の共有者だね」

「社会不適合者同盟とでも言っておく?」


 差し出されたその手を握り返す。

 僕よりもずっと華奢な、女性の手を。


「それもいいな、しかしぼくらはこの社会でひっそり働いているし、存在している。全然不適合なんかじゃないんだ。それもあろうことか、接客業を選んだ上での非正規雇用というね」


 ふふふっ、とどちらともなく笑いが溢れた。


「阿部さん、思ってたよりアナタずっと面白いよ」

「きみもだ、坂本くん。てっきりゴリッゴリのバンドマンだと思ったじゃない」

「音楽は好きだよ、うるさいのも静かなのも。でも楽器は弾かないかなぁ」


 そう。まだまだ、僕達はお互いの事を何も知らない。

 下の名前すら知らないのだ。


「こういうすれ違いのコント、ありそうじゃない?」


 僕の手を握ったまま、阿部さんはそう言ってまた笑った。


「ありそう(笑)それじゃあコントにタイトルをつけるとしたら、あれしかないね」


「せーのっ、」


 タイミングを合わせ、今度こそ僕たちは同じ答えを紡ぎ出す。




 ぼくたちは、半袖が着られない——。

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