管理職は報われない!〜ときどき犬〜

前花しずく

管理職は報われない!

「ろ、六時退勤、ですか?」

「ああそうだ。上からのお達しでな。働き方改革ってやつらしい」

 部長は近所で起こった交通事故を野次馬してきた父のようにそう言った。他人事だと思いやがってこのタコ。薄くなった頭頂部のひょろ毛むしり取るぞ。

「で、でもノルマはそのままなんですよね」

「そりゃあそうだ。それで売り上げが下がったんではどうにもならないからな」

「いくらなんでもそれは無理ですって」

 普段は上司に噛みついたりしない私だけども、今回ばかりは二つ返事では受け入れられない。そもそものノルマが多くて最低でも一日十時間は電話に張り付いていなければいけないのに、同じ量を八時間で終わらそうなんて千手観音でもない限り無理だ。

「最初っから諦めてるようじゃできるものもできないよぉ? それじゃ、そういうことだから頑張ってね。期待してるよ」

 何が期待じゃこの頂点ハゲ。一生十秒で切られる電話をかけ続けるこっちの身にもなってみろっつーんだ。そして親しげに肩を触るな、セクハラで訴えるぞ。……いや、流石に四十路の売れ残りババアのセクハラ告発なんか誰も耳貸さないか。はあ。

 心の中でボロカス言いながらも、指示は指示なので承る他選択肢はない。まったく、ただでさえうちの会社ブラックって評判なのに低評価に拍車がかかっちゃうよ……。部下たちにはひたすら謝らなきゃなあ。

「あ、課長おかえりなさい。本日五件のご契約いただきました!」

「お疲れ様ー。……犬くん、よく笑顔でこの仕事できるね」

「この顔は生まれつきっすよ。それよりなんかあったんすか?」

 ミルクをたっぷり入れた甘めのコーヒーを口に含みながら犬くん――もとい犬山くんは訊ねてくる。彼は二年くらい前に新卒で入ってきて、以来真面目に仕事に取り組んでいるのだ。名前が犬山なのと言動が犬みたいに柔らかい印象だから、私は勝手に犬くんと呼んでいる。多分犬くんの前世は柴犬か秋田犬に違いない。うん、絶対そう。

「さっき部長から残業を減らすように指示されちゃってさ。流石に残業せずにノルマをこなすのは犬くんでも無理でしょう?」

「あー、残業時間なんて考えたことなかったな。言われてみれば毎日外が暗くなるまで仕事してますもんね」

「犬くん……君、給与明細とかちゃんと見ないわけ?」

「僕、実家暮らしなんであんまり給料を数えたりはしないです」

 実家暮らしか……。まだ若いとはいえ今風だなあ。私の同級生の男なんか八割がた親父さんと喧嘩して家を出て行ったものなのに。私も二十半ばでなんだかいづらくなって出てきちゃったし。最近は親子の仲がいいって聞くもんねぇ。

 ……って、実家暮らしでも給与明細くらい確認するでしょ普通。

「そうは言っても犬くんだって七時とか八時くらいまで残ってるじゃない」

「そうですけど、正規の退勤時間っていつでしたっけ」

「六時よ、六時。つまり今より一時間以上早く帰らなきゃいけないってこと」

「あらら、それは確かに痛いですね」

 ようやく分かってくれたか。「あらら」ってなんなのそのおばさんみたいな反応は。それこそ私みたいな人間が使う言葉よ、犬くんには似合わない。

「犬くんはさておき残業代がもらえることだけをモチベーションに仕事してる人もいるからね。みんなにどう言おうかすごく迷ってる」

「そんなに思いつめなくてもいいんじゃないですかね。みんな、そうは言っても課長のこと信頼してるんすから」

「また調子のいいこと言って。あなたにはまだ分からないわよ、管理職のつらさは」

「課長」

 不意に力の入った声で呼ばれて顔を上げると、そこにはいつになく真面目な顔をした犬くんがいた。いつの間にかこっちを向き直っていて、飲み終わった紙コップは机の上に置かれていた。

「もっと僕たちを信じてください。確かに僕には課長の大変さは分かりませんけど、でも力になりたいっていう気持ちは本物です。みんなも多分同じ気持ちだと思うんです。だから、もっと信じてください。もっと頼ってください」

 淀みのない目をして彼はそう言った。信じてください、か。どれだけ純粋で天然ならそんなにクサい言葉が出てくるんだか。まったく、まったく犬くん、君ってやつは。

「あーもう分かった! うじうじしてても仕方ないしね。腹くくってやるよまったく」

「うんうんそうしましょ。僕も一緒にくくられますから」

「犬くんそれ多分意味が違うと思う」

 えー、と大袈裟に反応して見せる犬くんとそれを見てクスクス笑っている部下たち。私は思っていた以上にいい部下に恵まれてたみたいだ。

「よし、今日みんなで飲み行こう! 私が全部奢ってやる!」

「え、本当っすか!?」

「……いや、半分! いや、三分の一!」

「ちょっと課長ー!」

 そこかしこからツッコミが飛ぶ。結局私は飲み代の六分の一を支払ったのだった。

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