第3話

「おじいちゃん、この中のものはなあに?」

 古びた茶箱の中を覗き込みながら千佳は祖父に尋ねた。茶箱は一つではない。三つある。最後の一つは台車に乗ったままである。

「家の蔵の中にあったものだ。ずいぶん前に運び込んだんだが、なかなか時間がなくての。整理が今までつかなんだ。修介君に頼んでここに運びこんでもらったのだよ」

 祖父の答えに

「家のものまで博物館に寄贈しちゃうの?なんかもったいない」

 千佳が首を傾げたのを見て祖父は静かに笑った。

「蔵の中に貴重なものがあると言っても、金目のものがあるわけじゃないからな。色々見てきたが、蔵の中にはその家の歴史にとってなかなか捨てがたいものは残っているが、大判小判がざくざくなどという事は殆どないものだ。残念ながらな。だが、むしろそうした先祖が捨てがたいと考えたものには地方の歴史にとって貴重なものがあるのだよ」

「そうなの?」

 千佳は箱の中に手を入れて一番上にあった紙切れの束を取り出した。

「ふむ、これは出納帳すいとうちょうだな。いつごろのものかな」

 祖父は眼鏡をかけるとひっくり返しながら紙切れを調べ出した。

「出納帳ってお金の出し入れでしょ?そんなものが何かの参考になるの?」

 熱心に調べ始めた祖父に向かっていぶかるように千佳は尋ねた。

「ああ、お金の出し入れというのはその時に誰に貸したかというようなことまで分かるからな。武家に貸した跡が残っていれば、その武家が金に困窮こんきゅうしていたかもしれないということまで分かる、、、ああ、これは文久の頃のものだな」

 祖父は顔も上げずに紙をめくっている。

「ぶんきゅう?」

「江戸時代の最後の頃だよ」

 そう言うと、漸く祖父は顔を上げた。言いつけられて千佳が持ってきた緑色のラベルに丁寧に「文久元年ー元治二年:芹澤家金銭出納帳」と記すと大ぶりのビニールバックに貼って紙切れをその中にしまい込んだ。

「私は何をすればいいの?」

 千佳は途方に暮れたような声を出した。筆で書かれた字なんてとても読めそうにないし「ぶんきゅう」とか「げんじ」とか言われても一向にピンとこない。年号で知っているのは明治から後、それと「大化の改新」とか「建武の新政」とか歴史で習ったイベントのある年号だけだ。

 修介は、自分だけで整理していたんだろうか?細かい字でタイトルをつけてあった品々を千佳は思い浮かべた。あいつ、いつそんな才能を身に着けたのだろう?

 そんな千佳の思いを余所に、祖父は

「まずは、書物を一冊ずつ丁寧にそれぞれ作業台の周りに並べておくれ。私がそれを見て時代ごとにラベルをつけていく。終わったらラベルの色ごとにまとめておいておくれ」

 と千佳に命じた。

「うん、分かった」

 そのくらいならできそうだ、と千佳は素直に頷いて作業に取り掛かった。作業台は家にあるキッチンテーブルの五倍くらいある大きな木製のものだったが、周りはすぐに埋まっていった。祖父はその一点一点を丁寧に確かめ、ラベルを貼っていく。

 それが終わると千佳はラベルの色ごとにプラスチックの運び箱の中にそれを持っていって仕舞った。単調な作業だったけど、祖父は丁寧に着実に一つ一つの作業をこなしていった。古い木箱の中身はだんだんと減っていって一つ目、二つ目が終わった。台車に乗っていた最後の箱もやがて底が見えるほどになっていった。最後に残ったのは筆箱くらいの大きさの小さな木箱だった。それまでは全部紙の束だったのに・・・。

「何が入っているんだろ?」

 千佳は呟くと掌に箱を載せてそっと揺すってみた。中でからからんからんという何かが転がる音がした。

「ん?」

 首を傾げる。それまで書類ばかりだったので、てっきり手紙のような物が収められているのかと思っていたのだ。

「まあ、いいか」

 その木箱を作業台の上に載せると、千佳は祖父の作業を見守った。始めてからもう三時間ほど経っている。龍彦はまだ帰ってこない。たぶん裏山でフキノトウでも見つけたんだろう。

 祖父は手際よく作業を続け、作業台に置かれていたものは次から次へとラベルをつけられ、千佳によって運ばれていった。最後に残ったのはあの小さな木箱だけだった。祖父はそれをみると首を傾げた。

「これは・・・何かな?」

「あの木箱の底に入っていたわよ」

 作業台越しに千佳が答えると、祖父は不思議そうに、

「だが、あの箱には古文書だけが入っていた筈なんだが」

 と呟いた。

「中に何か固いものが入っているみたい。からんころんと音がしたから」

 そうか、と答えると祖父はその小さな木箱を開けようとしたが、蓋が固く閉まっていて簡単には開かなかった。

「千佳、その棚に作業用具が入っている。そこからのみを取ってくれんか」

「分かった」

 千佳は棚を開け、小さな鑿を取り出すと作業台を回って祖父に手渡した。

「何が入っているんだろう。もしかしたら小判かも」

 そう言って千佳は興味津々で祖父の手元を覗き込んだ。祖父は鑿を蓋の隙間に差し込むとこじ開けた。微かな音がして、蓋が開いた。

「何、それ?」

 残念ながら小判ではないようだった。黒い縁に囲まれた石のような物をそっと祖父の太い指が取り上げた。

「これは・・・翡翠ひすいだな。銀の細工がしてある」

「ひすい?」

「石だよ。宝石の一つだ。昔は玉とも呼ばれたものだ」

「宝石?見せて」

 千佳が頼むと、祖父は差し出された両の掌にそれを置いた。宝石にしては・・・地味だなぁ、と思ったその瞬間、

「あ・・・」

 背筋に衝撃が走り、千佳は思わず声を上げた。

「うん?どうした」

 祖父が怪訝けげんそうな声で千佳に尋ねた。

「おじいちゃん・・・私この石、見たことがある」

 その感触、持ち重りは確かに千佳の記憶の中にあった。でも、いつ、どこで、という記憶までは蘇ってこなかった。

「そうか?」

 祖父は疑わしそうに千佳を見た。

「うん・・・。こうやって同じように渡されたことがあるような気がする。渡してくれたのおじいちゃんじゃなくて?」

「いや、この石は初めて見たな」

 祖父は博覧強記だけではなく、この歳にしては記憶もしっかりとしている。祖父が見たことがないというのは本当だろう。だとしたら、いったい誰がこの石を千佳に渡したのだろう?

「ねぇ、おじいちゃん、私、この石が欲しい」

 咄嗟とっさに千佳はそう言った。なぜだか良くわからないけど、とても自分にとって大切なものだ、そんな気がしたのだ。

「ふうむ」

 祖父は石の入っていた箱を取り上げるとしげしげと眺めた。それから、

「箱書きもないから由来も分からんし、いずれにしろ家の先祖の残してくれたものだ。手伝ってくれたお礼にお前にあげよう」

「ありがとう、おじいちゃん」

 千佳は微笑んだ。

「だが、せっかくだから磨いてやろう。銀も錆びておるし、石もくすんでいるから、手を入れればずいぶんと見栄えがするようになるぞ」

「うん、お願い」

 そう言って祖父の手に石を戻そうとした時、龍彦が

「ただいまぁ」

 と言って手にフキノトウをいっぱいに持って帰って来た。千佳が祖父に石を返そうとしているのを素早くみつけて、

「ねえちゃん、それなに?」

 弟は尋ねながらフキノトウを台の上に置いた。

「なんだっていいじゃない」

 千佳は手のひらを閉じたが、

「見せて見せて」

 駄々っ子のようにせがむ弟に仕方なく閉じた手のひらをそっと開けた。弟は興味ありげにそれを摘まみ上げた。その指が土に汚れていて千佳は顔を顰めたが弟は一向に気にしていないようだった。

「どうしたの、おじいちゃんに貰ったの?」

「うん」

「いいな、いいな。僕も何か欲しい」

 思った通りの反応だった。顔をしか

「手伝ったからそのお礼に貰ったのよ。たっちゃんは何も手伝っていないじゃない」

 と千佳は叱ったが、

「だって外で遊んで、おじいちゃんたちの邪魔しなかったじゃないか。それにこんなにフキノトウを取って来たし」

 弟は平然と反論した。

「なによ、それ」

 弟を睨みつけた姉に、取り成すように祖父が、

「龍彦は何が欲しいんだ」

 と尋ねた。

「カードゲーム」

「そんなの駄目に決まっているじゃん」

 呆れたように千佳が言ったが、祖父は

「龍彦の誕生日はもうすぐだから、じゃあ、その時に買ってあげよう。フキノトウは天ぷらにでもするか」

 と答えた。

「わあい」

 はしゃぐ弟から

「ほんとうに甘いんだから、おじいちゃんたら」

 と千佳はぶつくさと言うと渡した石を取り上げた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る