第24話 聖女の息子

 朝、出勤してすぐにウィルフレッドの執務室に呼び出されたアルベルトは、いつものように立ったままではなくソファを勧められたことで、今回のそれが簡単な話ではないのだろうと予測していた。



「細君の見立てはどうだった?」



 ウィルフレッドの問いに、昨日レティがアルベルトに言ったことを伝えれば、最後の恐ろしい捨て台詞に彼は笑った。「ふふっ。早く会わせちゃえば良いのよ、か。」と、ウィルフレッドが楽しそうに笑う。

 エドワード殿下が転移魔法陣の利用許可書を欲しがるのには、何らかの意図があると考えるのが普通だというレティの言葉は、どうやらウィルフレッドの頭の中に当然浮かんでいたことだった。頷きながらアルベルトの話を聞いていた彼の様子は、自分の考えと照らし合わせるような雰囲気で、もしかしたら本当にただ自分を休ませたかっただけなのではないかと、アルベルトはレティの話したことを伝えながら訝しんだ。



「でも、確かにそれは一理ある。でないと、話は進まないし、何の対策も立てられない。」


「リズも、最近めっきり姿を現さないしなぁ。」



 「リズが来る時に話が進む」とレティは言っていた。前々回来たときは、本当のシナリオでの皇太子殿下、つまりはウィルフレッドに会うためだったのだろうというのがレティの見立てである。それなのに、転移魔法陣が無いという状況に、リズは王宮に訪れることは叶わなかったし、ウィルフレッドはこちらにいるのだ。王宮を訪れる意味が無かった。

 前回来たときは、皇太子殿下と聖女様の結婚式を見ると言っていた。実際は、結婚式自体がまだ先のことであり、しかもその相手はイザベラ様であって、聖女と皇太子殿下が結婚されるようなことは無い。もし、ウィルフレッドと聖女様が結婚して、王宮で過ごされることが決まっていれば、魔王封印場所を管理するためにも、エドワード王子殿下をこちらに派遣して、転移魔法陣を設置しようという状況になることも、容易に想像できた。


 この先起こるはずだった本当のシナリオというものがわからないのは痛いが、それから随分と外れた状況になってしまっているということはわかっている。次に来るのは今の皇太子殿下がこの地を訪れるときなのだろうか。そうなると、予定はまだ少し先のことだ。



「次はやはり、エドワードか…。」



 ウィルフレッドもどうやら同じことを考えていたようだ。アルベルトがそれに頷く。



「王宮の方はどうだったんだ?」



 顎に手をやって、しばらく黙り込んでいたウィルフレッドだったが、アルベルトの質問に顔を上げた。



「利用許可証の発行については理解していただけたのか?」


「それについては、現在のこちらの状況を報告して利用できる人間を把握しておきたい旨を陛下にお伝えしたのが、一応はご納得いただけたようだった。エドワードに対しても、手を打っていただけると言ってくださった。」


「そうか。それなら安心だな。」 


「しかし…それとは、別の話なんだが、」



 そう言って、ウィルフレッドが言い淀む。話難い内容なのかと、アルベルトはその言葉の続きを待った。ウィルフレッドが何かを考えている間、もう冷めてしまったであろうお茶に手を伸ばす。



「リーベルス公爵令嬢が体調を崩しているらしい。」


「イザベラ様が?」



 アルベルトの手が止まる。カップを手に取るのをためらい、そのまま手を引いた。



「それについて、どうやら箝口令が敷かれているらしいのだが、あまりに姿を見せないイザベラに、王宮内では懐妊の噂も実しやかにささやかれ始めているそうだ。」


「結婚もしていないのにか? それは…、ひどいな。」


「実際のところはわからないが、ダニーが言うには、精神的に少々不安定になっているのだと。イザベラ嬢の御父上であられるリーベルス公爵がそう言っていたらしい。」



 二人の視線がぶつかる。アルベルトは、前にウィルフレッドが言っていたことを思い出していた。ウィルフレッドがそんなアルベルトを見て頷いた。



「魅了の魔法か。」



 アルベルトの言葉に、ウィルフレッドが腕組みをして目を瞑った。ウィルフレッドがリズにかけられたそれが、もし聖女に覚醒したリズによるものであれば、もっと精神的にやられていただろうとウィルフレッドは言っていた。王族であるウィルフレッドの魔力の方が上だったお陰で、少しの効果で済んだのだと。―――では、イザベラ様は? もし、皇太子殿下にその魔法をかけられているのだとしたら?

 コンコンと、ドアをノックする音が沈黙を破る。二人揃って、思考の沼に嵌まっていたようだ。沼から勢い良く浮上する。

「入れ。」とウィルフレッドが言うとドアが開き、執事のロンが入って来た。ロンは一礼すると、「リズ様がいらっしゃいました。」と言った。



「噂をすれば…か。」



 昨夜のレティの言葉を、アルベルトがそのまま呟くと、「なんだそりゃ。」とウィルフレッドが笑った。

「しかし、ご様子が少しおかしいのです。」とロンが言う。



「どのように?」


「見つけた兵が言うには、礼拝堂を出てすぐのところで固まっておられたと。今は応接室の方に御通ししておりますが、まわりをキョロキョロされて落ち着かないご様子でして。」



 ロンの言葉を聞いて、ウィルフレッドが立ち上がる。それについてアルベルトも立ち上がった。

 カツカツカツと響く靴音を気にすることも無く、城の応接室へと向かう。ノックをしてドアを開ければ、確かにそこには修道女の姿をしたリズがソファに座っていた。ドアが開いたと同時に、「ひえええっ!」という声と共に後ずさったようだ。驚きに満ちた目がこちらを向いている。



「ほ、本物⁉」



 リズは目を見開いたまま、ウィルフレッドに向かってそう言った。



「本物とは? どういう意味だ?」


「しゃ、喋った!」



 全く会話にならず、ウィルフレッドは困ったようにアルベルトを見た。アルベルトは、こちらを見られても…と肩を竦め、困った表情をする。リズは体勢を立て直し、姿勢を正して座ると、「お、俺はアサイタケル。」と言った。



「タケル?」



 どこかで聞いた名だとアルベルトは思い出す。



「母さんが! せ、セーブデータが変だって言うから、ちょっと覗いてみたんだ。そしたら…。」



 そう言って、タケルと名乗ったリズは黙りこくってしまった。



「…リズの、息子か?」


「母さんの名前は莉愛だ。ゲームでは、リズって名前だって言ってたけど。」



 ウィルフレッドが優しい笑顔で声をかけると、タケルは何度も頷きながらそう説明した。

「あいつ、何やって、」アルベルトがそう言いかけた時、「タケル君、よく来てくれた。」とウィルフレッドがタケルの前で膝をつき、目線を合わせた。



「怖かったかい?」


「驚いただけだ。」



 ウィルフレッドの穏やかな声に、タケルはちょっと泣きそうな顔になって、そう言った。確か彼は十二歳だ。こちらで言えば、アカデミー入学前。大人への一歩を踏み出したばかりの、まだ幼さの残る年頃だ。初めての状況で、それでもなんとかそれを理解をしようとしている姿に、ウィルフレッドもアルベルトも、思わず笑顔になる。



「母さんの言っていること、全く信じてなかったんだ。ギュッターベルグの城は半端なくでかいとか、自分のところには転移魔法陣が無いとか、皇太子殿下はもっと格好いいとか、嘘つけって思ってて。」


「それで、来てみたのか。」


「うん。確かに城はでかくって、どっちに行ったらいいのかわからなかった。」


「そうか。」



 素直に話してくれるタケルに、ウィルフレッドは立ち上がって手を伸ばし、「来てくれてありがとうな。」と言ってその頭を撫でた。そして、「座っても良いか?」とタケルの隣を指差すと、彼が頷いたことに笑顔で返してそこに腰かけた。アルベルトは、その向かい側のソファに座る。



「これはタケル君のゲームなんだろう? どんな物語のゲームなのか教えてもらっても良いかい?」



 タケルは頷いて、「でも、僕もまだそんなに進んでいるわけじゃないんだ。」と言った。アルベルトは、タケルの自分自身の呼び方が「俺」から「僕」に変わったことに気が付いて、さすがはウィルフレッドだなと苦笑した。そういえば、人心の掌握術も皇太子教育に入っていると確か言っていたなと思い出し、今度はちょっと苦い気持ちになる。まあでも、ここはウィルフレッドに任せることが賢明だと判断して、アルベルトは静かに見守ることにした。



「まず、プレーヤーは修道女になってこの世に生まれる。」



 プレーヤー。早速知らない異世界語が出てきてウィルフレッドとアルベルトは固まる。どうやら、ゲームをする人の事をそう呼ぶらしい。



「ゲームは、前回の聖女の覚醒と魔王復活と封印ていう物語の、ダイジェスト映像から始まるんだ。」



 ダイジェスト…。今回も異世界語が連発されるのだろうか。いちいちその言葉の意味を気にしていては、話が進まないことを知っている二人は、聞きたい気持ちをグッと我慢する。そして、気を引き締めて話の続きを待った。



「封印が終わった後、聖女リズは空に消えて、その記憶を残したシュナイダー嬢とウィルフレッドが結ばれるんだ。ここまでがオープニング。」



 今回の物語の始まりは、ギュッターベルグの礼拝堂で神に仕える修道女が、その記憶を無くしている様子から始まる。彼女は修道女として、魔王封印のその場所を見守りながら、ずっとそこでそれなりに幸せに暮らしていくはずだった。ところが、ギュッターベルグ伯に転移魔法陣の利用を勧められる。せっかくだから、結婚式を見てきたらどうだ?と。本来君がいたはずの場所を、と。



「そう言われて、聖女としての記憶がフラッシュバックするんだ。」



 聖女としての記憶を取り戻した聖女は、言われるがままに皇太子殿下と聖女様の結婚式を見に行く。そして、そこに魔物が突然現れて王都は大混乱に陥るらしい。



「それを、修道女であるプレーヤーだったか?———が倒すのか。」



 ウィルフレッドが声を少し落として、タケルにそう聞いた。先ほど聞いたばかりの異世界語を使えることに、アルベルトは驚き、そしてやっぱりこいつはすごいなと、尊敬の眼差しをウィルフレッドに向ける。



「うん。そして、魔王の封印を確認するために、皇太子と一緒にギュッターベルグへ戻るんだ。で、そこには魔王に心を売ったギュッターベルグ伯がいて、」「ちょ、ちょ、ちょっと待て。」



 焦ってその言葉を止めたのはアルベルトだった。聞き捨てならない言葉が聞こえた。



「魔王に心を売る?」


「そう。真っ黒になったギュッターベルグ伯が、」


「真っ黒…。」


「皇太子に子供の頃からの文句を、あーだこーだと、」


「あーだ、こーだ…」


「それで、空が黒い雲で覆われて、」


「なっ!」



 ウィルフレッドが、くくっと喉を鳴らし、「アルベルト、いちいち反応するな。」と笑う。「ゲームの話だよ。」とタケルが困ったように言った。



「だ、だけど…、こっちでは現実だ。」



 アルベルトは少し恥ずかしくなって、モゴモゴとそう言った。それを見て、タケルが苦笑する。少し力が抜けたようなその姿は、修道女という格好なのに、十二歳という年相応のそれに見えた。



「でも、皇太子がギュッターベルグ伯なんでしょう?プレーヤーは聖女になれてないし、魔王に心も売ってないし、ここ、完全にバグってるよね。」


「バグ。」



 レティがよく使う異世界語だ。ここは、バグに見せかけた裏ルートだと、何度も聞かされた話だ。



「だから、大丈夫なんじゃないかなぁ。」


「そうだな。」



 そう言って、ウィルフレッドがタケルに笑いかける。



「タケルが知っているのはそこまでか?」


「うん。」



 タケルが心配そうに頷くと、ウィルフレッドはタケルの頭を撫でながら、「助かった。ありがとな。」と笑った。タケルも、少し恥ずかしそうにして頷き、そして子供らしいはにかんだ笑顔を見せた。そして、「じゃあ、僕、帰るよ。」と言って、タケルが立ち上がった時だった。

 コンコンとドアを叩く音がした。「どうした?」とウィルフレッドが声をかけると、ドアが開けられと同時に「そ、それが、皇太子殿下と宰相筆頭補佐様がいらっしゃいました。」と、ロンが焦って言った。



「エドワードが?」



 ウィルフレッドはそうロンに聞き返す。ロンは頷いただけだったが、ウィルフレッドは何も言わずに、アルベルトに目線を向けた。アルベルトは、その視線を受けてから、タケルを見る。———リズに、いや、プレーヤーに会いに来たのだ。隣国への訪問はもう少し先だったはずだ。そんな取り繕った上部だけの理由を、いよいよかなぐり捨てるほど、もう待っていられないということか。



「アルベルト、タケルを送っていけ。」



 ウィルフレッドがアルベルトに向かってそう言うと、タケルがアルベルトに目を向けた。不安の乗るその瞳に、アルベルトが頷く。



「こいつはこれでも国内最強の魔法使いなんだ。安心して良い。」



 ウィルフレッドがそう言って、タケルに笑いかける。そして、席を立った。タケルはそんな彼を一度見てから、再びアルベルトに視線を戻し、「最強の魔法使い?」と呟いた。アルベルトは、困ったように笑ってから小さく頷いた。



「エドワードはどこに?」


「アルベルト様の執務室で、宰相筆頭補佐様とご一緒にお待ちいただいております。」


「わかった。」



 彼はそう言って頷くと、再びアルベルトに視線を寄越す。アルベルトはその視線を受け止めて力強く頷き、そして「じゃあ、タケル。行こうか。」と、出来る限り落ち着いた口調で言って、立ち上がった。タケルも慌ててそれに続く。

 廊下に出たところで、「お前の母さんによろしくな。」とウィルフレッドがタケルの頭を撫でた。タケルが頷いたのを見て彼は笑顔を見せると、背中を向けて速足で去って行った。アルベルトとタケルは、その執務室とは違う方向から礼拝堂に向かう。


 修道女の格好は歩きにくいのか、タケルは何度か転びそうになっていた。「慌てなくてもいいぞ。」とアルベルトが言うと、「こんな長いスカートみたいなの、履いたことないんだ。」と、タケルはその裾を蹴とばすようにした。「俺も履いたことないな」とアルベルトは言ってから、全く違う世界を生きているであろうタケルの気持ちが少しわかり、おかしくなって笑った。

「皇太子ってことは、こっちでいうギュッターベルグ伯なんでしょう?」と心配そうにタケルが聞いてくる。少しだけ息が上がっているようだ。



「何しに来たんだろう?」



―――きっとリズに会いに来たのだ。


 リズが来る時に話が進む。エドワードが来るからリズが来たのか、リズが来たからエドワードが来たのか、それはさすがにわからないけれど。まあ、中身はタケルなので、会わせるわけにはいかない。


「そうだな。一体何しに来たんだろうな。まあ、でも悪魔に心は売っていないと思うぞ。…まだ。」と言って、アルベルトは笑う。速足で歩くことを止めることはできないが、タケルが少しでも安心してくれたら良いと思ってのことだ。



「真っ黒なギュッターベルグ伯は、まじで強いから! 気を付けてね! 本当に!」



 タケルがアルベルトに追い付いてきて、その腕を掴んで言った。彼は泣きそうな目をまっすぐに向ける。心の底から心配してくれているようだった。「ありがとう、タケル。」そういって、アルベルトはタケルの頭を撫でた。



「ギュッターベルグ伯には、光魔法が良く効くんだ。それ以外の魔法はあまり効かないから、物理攻撃でいった方が良い。回復魔法もちゃんと用意してよね。」



 戦い方を教えてくれるタケルに、なんだか嬉しくなってアルベルトは笑う。



「わかった。言われた通りにする。」



 アルベルトは、自分の胸に手を当て頷いた。君主の命令を受けるときにするそれだ。礼拝堂に入ると、凛とした冷たい空気が張り詰めていた。そろそろまた雪でも降るのだろうか、刺すような冷たさがそこにはあった。その真ん中で、女神リリアの像が、何も写さない目でこちらを見下ろしている。アルベルトは、不思議な力を持つそれをじっと見た。ここで、タケルはセーブをする。



「ありがとうございました。」



 タケルが頭を下げた。丁寧なそれに、アルベルトは彼の母親を思う。きっと、とても大事に育てているのだろうと。こんな大きい子がいるのだ。リズがあれだけ逞しくなっていたのも頷ける。



「向こうに帰ったら、母さんに一度またこっちに来てくれるように言ってたと伝えてくれ。」


「わかった。」



 タケルはしっかりと頷いて目を瞑る。しばらく沈黙した後、光の粒がチラッチラッといくつか瞬き、ゆっくりとその数を増やしていく。そして、ブワッという音と共に、その光の粒がタケルの全身を一気に覆いつくして、その姿を消した。

 セーブをするということ。その不思議な力に、自分の力などまだまだだなとアルベルトは思う。再び女神像を見上げる。悪魔に心を売り渡すと真っ黒になるという言葉。真っ白な女神リリアの像。なんて対照的なんだとアルベルトは独りごちる。こちらの世界で、黒というのはそういうことだ。でも、向こうの世界でも?———そんなことを考えながら、彼を運んだ光の最後の一粒が消えたのを確認すると、踵を返して速足で戻る。

 今、自分の部屋に来ているのだ。悪魔に心を売り渡す前の彼が。










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