第23話 皇太子・エドワード

「それが、私の分は無いのかと非常にご立腹でして。」



 ダニーが蟀谷こめかみに皺を寄せながら言った言葉は、その場にいた全員に溜息を吐かせるほど威力のあるものだった。

 アルベルトが描き上げた転移魔法陣は、全部で三つ。ギュッターベルグ城内のアルベルトの部屋の地下に一つ、王宮の魔術研究室の地下に一つ、魔王が封印されているその入り口に立つ修道院跡地の地下に一つだ。全ての魔法陣からどちらの場所にも行けるように、その場所の情報を組み込んだ。今朝やっと、それら全ての作業を終えたところだった。


 利用するにあたっては、自らの血によって契約をし、その持ち主以外が使うことができないようにしたバングルが必要なのだが、そのバングルを持つ者と一緒であれば誰でも移動できるため、それを渡せる人物はひどく限られたものとなってしまった。それにより、王宮側では不満の声が出ているらしい。


 宰相筆頭補佐であるダニーによって、転移魔法陣が間もなく完成すると報告されたのは、まだ昨日の事だ。その報告に色めきだった貴族達が、なぜ自分たちにその使用許可証が無いのかとお怒りらしい。しかもそれは、限られた高位貴族しか出席することのできない御前会議でのこと。宰相筆頭補佐であり、叙爵も間もないと言われているダニーとはいえ、今はまだ男爵家の三男坊だ。その不満を抑えられるような力は無い。しかも、その中で特にお怒りなのが、それら高位貴族を諭すべき立場である皇太子殿下であられるエドワード王子だったというのが、より頭の痛い話だった。



「隣国へ訪問するにあたり、ギュッターベルグからであればその日程を少なく抑えることができると。」



 ダニーの言葉に、皆が揃って頭を抱える。ウィルフレッドだけが、呆れたような表情をしていた。



「皇太子殿下が訪問するとなれば、それはどんな形であれ公式なものになる。連れ立つ者たち全てを魔法陣で転移させるつもりか。馬車や近衛兵の馬などはどうする気なんだ。しかも、突然ギュッターベルグから皇太子殿下が現れたとわかれば、転移魔法陣の存在が他国に漏れるのは時間の問題になってしまう。」



 そう言って、ウィルフレッドにしては珍しく怒りを露わにしている。



「それでも納得しないようなら、ダニーが一緒に乗ってやって、皇太子殿下だけこちらに飛ばしてひとりで行かせれば良い。」とまで言った。転移魔法陣の利用許可証であるバングルを持っているのは、王宮側は宰相筆頭補佐であるダニー・ヒルと、王宮魔術研究室のジョン・ノア室長と第二騎士団の団長の三人だけだ。それらは全て、魔王封印の地の警備と研究のためのものである。近衛である第一騎士団の団長ではなく、第二騎士団の団長に許可をあたえたのは、第一騎士団は王家を守るためのものであって、国内の警備のためのものではないからだ。

 ギュッターベルグ側は、アルベルトと、まだしばらくこちらに滞在することになったルディ・ドリオの二人だけである。これから問題点も色々出てくるであろう状態で、利用者を把握しきれる人間だけに留めておきたいと思うのは当然のことだった。



「しかし、皇太子殿下というお立場からのご意見ですと、私では到底…。」



 珍しくダニーが言い淀む。どんなに仕事ができても、身分を笠に詰め寄られれば、何も言い返せないのがこの国の悪しき風習である身分制度だ。そして、何よりウィルフレッドが嫌ったそれである。



「私が行こう。」



 ウィルフレッドが力強くそう言って、その際は付いてくるようルディに指示を出す。アルベルトは始め、ウィルフレッドにもバングルを作成するつもりでいたのだが、本人が「私が持てば、他がもっとうるさくなる。そういった物は現場で働くものにだけ必要なものだ。上に立つ者がウロウロしていても、周りは気分が悪いだけだろう。」と言って、それを固辞したのだ。

 アルベルトの上司であるウィルフレッドが持っていないということが、少しでも抑止力になればと思ったのだが、どうやらそれが全く意味をなさないほどに、転移魔法陣というのは魅力的らしい。



―――お偉いお貴族様たちにとっては新しい玩具みたいなものだろうけど、皇太子殿下にとってもそうなのだろうか?



 未だその正体を掴めない皇太子殿下に、魔法陣の利用許可を与えるのは怖い。おそらく、ウィルフレッドも同じ気持ちだろう。アルベルトはそう考えて、ウィルフレッドの言葉に力強く頷いた。



「まずは陛下への謁見許可を得る。ダニー、頼めるか。」



 ウィルフレッドの言葉にダニーが頷いた。



「では、今すぐ陛下へお伺いを立てる手紙を書く。ダニーはそれを持って王宮へ戻れ。手紙ができあがるまでは、修道院跡地の警備体制と宿泊施設建設の進捗状況を一度確認しに行ってくれ。ルディはダニーと共に行き、その指示を仰げ。謁見の許可が下り次第、ルディは私と共に王宮へ上がる。陛下との謁見の最中、ルディは騎士団に赴き、エドワード殿下の隣国訪問の際の行程と部隊編成を調べろ。」


「畏まりました。」



 二人の声が揃う。そして、動き出す。修道院跡地へ転移するために、魔法陣のある地下へ続く階段を下りていく二人を見送ると、「アルベルト。」とウィルフレッドが声をかけてきた。



「手紙ができたら、修道院跡地に二人を呼び戻しに行ってくれ。そしたら、あとはもう帰って休め。」



 確かに全ての作業を終えたのは今朝の事だ。でも、そんな疲れた顔をしていただろうか、とアルベルトは思わず自分の顔を擦る。ウィルフレッドは笑って、「うちの最強魔法使いに、地味な作業ばかりさせて悪いな。」といった。「何を今更。」とアルベルトが笑う。



「今日は嫁とゆっくりしてくれ。その変わり、今後の仮説をいくつか立ててくれると助かる。」



 なるほど、それが本音か。アルベルトはそう気が付いて、「わかったよ。」とだけ言った。






「来るなら来るって、連絡寄越しなさいよ。」


「仕方ないだろぉ。本当はもっと寄り道しながら来るはずだったんだけど、なんだかあちこちで検問があってさ。結局、王都から一直線に来ちゃったんだよ。これでもかなり時間はかかった方さ。まあ、あとは色々面倒だったしね。」



 アルベルトがウィルフレッドに申し付けられた仕事を終えて、いつもより早く家に帰ってみれば、レティの兄であるロベルトが遠い王都から遊びに来ていた。確かに、ギュッターベルグに来るとは言っていたが、こうも突然にやってくるとは思っていなかった。彼が連絡一つ寄こさなかったのは、おそらく最後に言った言葉が本当の理由だろう。そして、それに怒るレティに、のらりくらりと説明するロベルトを見て、またいつものが始まったと若干諦めの境地で苦笑した。

 それでも、レティにとっては一緒に育った兄であり、アルベルトにとっては気心知れた幼馴染だ。王都から遠いこの地まで遊びに来てくれたことは、純粋に嬉しい。



「アルは、いつもこんなに早く帰れるのか?」


「今日は特別よ!最近は、帰って来るのもままならなかったんだから。アルベルトを自分と一緒にしようとしないで。」



 ロベルトがいると、一気にかしましくなるのはいつものことだ。それが必ずしもロベルトだけが原因では無いことを、レティはわかっていないと思う。こうなるとなかなか会話に入れないアルベルトは、二人の会話を聞きながら苦笑するばかりだ。



「検問は、厳しかったのか?」


「フィッシャー商会の荷馬車がこっち方面に出るって言うから、それに一緒に乗せてもらって、ギュッターベルグ手前の町まで移動したんだけど、その途中で二か所。どちらも荷物のあらためがあって、結構長い時間足止めをくらったんだ。あれは、武器の流出入か、それとも人間か…、探っているのはそんなところだろうな。大商会であるフィッシャー商会でさえ、結構厳しく調べられてたから、小さい商会なんかは大変だろう。」



 皇太子殿下の隣国訪問があるからだろうか。それとも、魔王復活の可能性を考えての処置だろうか。これは一度ダニーに確認しておいた方が良いかもしれない。アルベルトがそう考えていると、レティがちらりとアルベルトに視線を向けた。おそらく同じことを考えているのだろうが、残念ながらこれは極秘事項だ。アルベルトは困ったように、小さく横に首を振った。その様子を見ていたロベルトも慣れたもので、何かある—――と悟ったようだ。



「何らかの準備はいる感じか?」



 腐っても商会の跡取りだ。さすがに何の情報を持たずに帰るわけにはいかないと、前のめりになって聞いてくる。アルベルトが何も答えず、ロベルトを見る。二人の視線がぶつかって、無言の時間が過ぎる。すると、ロベルトは頷いて「分かった。」とだけ言った。

 何も言わないということはそういう事なのだと、ロベルトならわかってくれるだろうとアルベルトは思ったのだが、どうやら伝わったようで安心した。



「こちらに協力できることがあれば、何でも言ってくれ。お友達価格でやってやる。」


「そこは、どーんと任せろと言うべきところじゃないの?」


「こっちはそれが仕事だ。相手がお貴族様ならお友達価格でも十分良識的だろう?」



 やいのやいのとまた始まってしまったが、それをアルベルトが止める。



「ところで、こっちにはどれくらい滞在する予定なんだ?」


「まずは一度、隣国まで行ってみたいから、足を確保でき次第すぐにでも出発する。帰りにまた寄るから、その時ゆっくりさせてもらえると嬉しいな。」とロベルトが楽しそうに言うと、「雪が降るのはまだまだこれからなんだから、気を付けてよ。」レティが心配そうに言った。「わかってるよ。」———ロベルトは、優しい兄の笑顔でそれに答えた。

 トントンとドアを叩く音の後、「夕食のご準備が整いました。」とマリーの声がして、三人は立ち上がる。



「レティがまさかお貴族様になるなんてなぁ。」


「青天の霹靂ってやつよ。」


「なんだそりゃ。」



 レティの異世界語に笑いながら、食堂へと向かう。



「うちもレティがいなくなっちゃったし、使用人を増やすかって言ってるんだ。」


「私はやっぱり使用人扱いだったのね。言っておくけど、夕食の片づけは自分たちでするから、手伝ってよね。」


「俺は客だろう?そんなのアルベルトの魔法でちゃちゃっと、」「アルベルトの魔法を便利道具みたいに言わないで。」


「お前だって、アルベルトに髪の毛を乾かしてもらってるんだろう?」


「なんで、それを!」



 自分の魔力を当たり前のもののように会話する二人が可笑しくて、アルベルトがまた笑う。「最強魔法使い」とウィルフレッドが言っていたのを思い出す。それを便利道具のように扱う二人は、きっと自分より最強だろうとアルベルトは思う。「黒持ち」であるという意識が消えることは無いが、自分の周りは本当に温かい―――とアルベルトは嬉しくなって、また笑った。






「雪だるまが作れるほどの雪、もう残っていないのに、どこで作る気かしら。」



 濡れた髪をタオルで拭きながら、レティが寝室に入ってくる。明日は、修道院跡地を見に行って、その後は家の前で雪だるまを作るのだと、ロベルトは子供のような笑顔で言って、客間へと去って行った。



「もうすぐ本格的に降り始めるだろうし、そうなると山を越えるのは大変よね。ロベルトも皇太子殿下もこんな時期に慌てて行かないで、春になってからにすれば良かったのに。」



 この兄妹が揃うと、暴風に大雨が加わった嵐のようだとアルベルトは思う。王都にいた頃からずっとこんな感じだったし、かえってその賑やかさにホッとするというのだからおかしな話だ。



「思い立ったらすぐに行動するのがロベルトだろ?」


「思い立ったが吉日ってこと? あれは、計画性が無いっていうのよ。物には時節ってね。」



 レティが呆れたように肩を竦める。知らない異世界語だったが、アルベルトはそれよりも、レティの髪の先に溜まっていた雫が、肩にかけたタオルに吸い込まれて消えたのが気になって、彼女の濡れた髪を見ていた。



「今日、全ての作業が終わったんだ。」



 ベッドに寝っ転がったまま、アルベルトが手をレティに伸ばすと、レティは傍までやって来て横に座ってくれた。いつものようにレティの髪を、アルベルトの指が撫でる。しばらく梳いてその濡れた髪の重さを楽しんだ後、アルベルトはふっと魔力を込めて、それを一気に乾かした。レティの髪がふわっと揺れる。あっという間に軽くなった毛先を、今度はくるくると指を回して、その逃げる感じを堪能した。そんなアルベルトを嬉しそうに見つめながら、レティはその話の続きを待っている。



「転移魔法陣は全部で三つあるんだけど、その利用者を管理するために、この前言っていた利用許可証を作ったんだ。それで、」とアルベルトは言って、レティの髪から手を放し、袖を捲って腕にはめているバングルを見せた。

「見せて。見せて。」とレティはその腕をガシッと捕まえて、顔を近づけてくる。そして、「ふ~ん。」と言いながら、恐る恐るその真ん中に填め込まれた石に触れた。



「これ、魔石?」


「魔石? 魔力を込めた石ではあるけど、こういうのを向こうでは魔石っていうのか?」


「魔石は、魔物が落とす魔力のこもった石。それを使って魔道具を作ったりするの。」


「魔力がこもっているっていう意味では一緒だけど、こっちでは魔物が石を落とすことは無い気がするな。これには俺の魔力が入れてあるだけなんだ。その…魔道具?って言うのは?」


「魔石に込められている魔力を原動力にして動かす道具のこと。まあ、向こうでそれは空想上の話でしかないけどね。向こうでの動力は電気だから、電気機器。」


「デンキキキ。」



 聞きなれない不思議な言葉のそれに、アルベルトがふっと笑う。



「まあ、魔力がその動力源という意味では、確かにこれは魔道具と言えるかもしれないな。」



 アルベルトはそう言って、その腕に填められたバングルを空いている方の手で触る。



「で、持っている人が一人でもいれば、魔法陣に乗ったものは全て転移できるような仕組みにして、数をあまり作らないようにしたんだけど、」「それって、アルベルトと? 他には誰が持ってるの?」



 被せるようにレティが質問してくる。かなり、興味津々であるに違いない。



「王宮に三人と、こっちに…俺を含めて二人。」


「本当にずいぶん少ないのね。ギュッターベルグ伯様もお持ちなの?」


「いや、閣下はお持ちじゃない。いらないとおっしゃられて。」


「なんか、そういうところ―――流石ね。」



―――俺もそう思う。しかし、問題はそこではない。



「これを、皇太子殿下がどうしても欲しいとごねていて、閣下はその対応のために王宮に向かわれた。」


「皇太子殿下が?」



 アルベルトの言葉に、レティがあからさまに訝し気な表情をする。



「それは、リズに会うため?」


「表向きの理由は、全く違うけどな。」



 レティは、腕を組み首を傾げて、「本当にそれだけが理由かしら。」と呟いた。どういうことだ?———というアルベルト考えをその視線で察したらしく、レティはそのまま続ける。



「だって、リズに会うだけで良いなら、別に自分用の許可証なんて要らないでしょ?持っている誰かと一緒にでも来て、会ってしまえばそれで良いんだから。こちらに何度となく来たい理由があるから、それが欲しいのよ。」



 確かにそうだ―――アルベルトは、無意識になでていたレティの髪から手を下ろす。レティはちょっと微笑んでから、アルベルトの横に手をつく。アルベルトがそっと布団を持ち上げれば、そこに滑り込んだ。



「本来のシナリオは、皇太子殿下がギュッターベルグ伯で、今のギュッターベルグ伯が皇太子様のはず。でも、裏ルートは…?———やっぱり、エドワード皇太子殿下は異世界人で、本当のシナリオを知っているんじゃないかな。それを知っていて、本来のものに近づけようとしているのか、それとも別に何か企んでいることがあるのか…。」



 何とも薄気味悪い話だとアルベルトは思う。同じ異世界人であるにも関わらず、まとう空気がレティやリズとは全く違う。



「リズはシナリオを変えようとして、結局裏ルートに突入しただけだった。だから、シナリオを大きく変えてしまった人物は間違いなく他にいる。そして、本来の動きと違う動きをしているのは、ギュッターベルグ伯とエドワード皇太子殿下とイザベラ様ね。イザベラ様を操っていると思われるのが皇太子殿下とくれば、やっぱり彼には何かあると考えるのが妥当だわ。」



 レティがそう言って、アルベルトの胸に顔を埋めて来た。ふわふわの髪が頬をくすぐる。そして、「皇太子殿下とリズを早く会わせちゃえば良いのよ。」と、恐ろしいことをさらっと言ってのけたのだった。



「でも、リズがいつ来るかわからないぞ?」


「噂でもしてれば、その内来るわよ。」


「なんだそりゃ。」


「噂をすればなんとやらってね。」


「噂をすれば、ねぇ。」



 アルベルトは不思議な異世界語に苦笑する。でも、レティがそう言うと、本当にそうなりそうだなとも思う。「そんなもんかもな。」と笑いながら、アルベルトはサイドボードに置かれたランプの灯を消した。













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