第43話 麗しの花(後編)

 フロースの即位式は明刻、〈太陽ソル〉のあった時代でいう正午に行われた。成人パーティーの日と同じ会場に大勢の魔族が集められ、会場内は騒然としていた。

 僕や国王ラウルムはサノーに連れられて、壇上の傍の席に通された。フロースは綺麗に着飾り、成人パーティーの時よりも麗しく輝いて見えた。

 王女の姿が見えると国民達は湧き立ち、会場内は歓声で溢れた。ルビーの目が会場全体を見回す。あれだけ騒いでいた魔族達は一斉に声を潜め、礼儀正しく跪いた。


「皆、ありがとう。どうか楽にして。下を向いていて折角の晴れ姿を見れなかったんじゃあ、お祝いされる側としても勿体ないもの」


 そう言って優しく微笑む。国民達は互いに顔を見合わせ、フロースの美しい姿を目に焼きつけようと顔を上げた。

 フロースの召使が黄金のティアラを持って現れる。あれが魔神女の証なんだとサノーがこっそり教えてくれた。

 本来は先代の魔神、または魔神女から直接証の装飾品を手渡されるのだが、今回は召使が皿から取り上げてつけてあげていた。

 大きなダイヤが存在を強調するように輝いた。その派手な輝きにも負けないほどフロースの美しさが光っていた。

 ドレスの裾を広げ、フロースはすまし顔で一礼した。会場内が再び歓声で埋め尽くされた。


「本当、フロースって美人だよな」

「全くじゃのう。わしも長生きした甲斐があるわい」


 ニコリと微笑む。ルビーの目が一人一人の顔をしっかりと見てから、目配せした。

 本当に何も見えていないんだろうかと、この時ばかりは僕まで疑ってしまった。

 新しい魔神女様の話が始まるとわかり、大波のような歓声が吸い込まれていった。


「ありがとう。こうして皆から祝福してもらえて嬉しいわ」


 音魔法で拡張された声は会場の隅々まで届いていた。フロースは少し照れくさそうに笑った後、かしこまった様子で背筋を伸ばした。


「皆、私のお祝いをしてくれるのは嬉しい。でも、一つ話したいことがあるの。一年前から続いてきた戦のこと」


 会場内の空気に緊張感が生まれる。魔族達の忠誠っぷりに僕は思わず舌を巻いた。

 〈妖国フェリアーヌ〉の住人も従順ではあるが、ここまでではない気がする。


「七年前、私の父カエルム・アクィラ・アモルは過ちを犯しました。決して許されない罪にその身を染めてしまいました。その罪とは人を一人殺し、禁じられたアーラの秘術を使って親を持たない少年を生み出したこと。

 自然の流れに身を任せて生きる妖族からは多くの非難を受け、〈妖国フェリアーヌ〉との親交を図っていた父は〈妖国フェリアーヌ〉に立ち入ることを禁止されました。それだけでは終わらず、父はアーラの秘術を使用したことにより呪いを受けました。どうなってしまったのかは、皆もよく知ってるはず。

 呪いのせいで父の慈愛の精神は憎しみに塗り替えられてしまいました。〈妖国フェリアーヌ〉への恨みを募らせた父はあろうことか〈妖国フェリアーヌ〉に忍び込み、多くの命を殺めました。ここから私達の戦いは始まりました。本当に、〈妖国フェリアーヌ〉には悪いことをしてしまったと、父に代わって反省しています」


 フロースは深々と頭を下げた。その件のことは国王ラウルムが国民達に対して上手く説明してくれて収まっていた。もう誰もフロースや魔神カエルムを責めることはないと思う。


「私は父を呪いから解放して止める方法を探しているうちに、ある天才科学者の過去を知ることになりました。彼は自分の命は無価値だと言う大切な女性に命の重さを教えてあげたくて、ある理論を打ち立てました。傾動天秤理論、彼は人の命の重さは誰の目線で見るかによって変わるということを科学で証明しようとしました。個体差を考えない、客観的な説明が常識な科学において、主観を取り入れた理論を打ち立てる、途方もない挑戦でした」


 一体どういう方向に話を進めているんだろう? 多くの人がフロースの話に首をひねっていた。

 フロースが大丈夫と言わんばかりに微笑む。それだけで、ヒソヒソとざわついた会場内から音が消えた。


「皆、命は平等だと思いますか? 本当に平等だと思いますか? 貴方にとって大切な人と会ったこともない人の命、この二つを天秤にかけた時つり合うと思いますか? 私はそうは思いません。だって、思いの分だけ大切に思えてしまうから。

 全然悪いことじゃない。人間なんだから誰よりも誰の方が大事だとか優劣はつくわ。平等なんて言葉は、無責任な人が自分をあたかもいい人に見せるための偽善から生まれたものにすぎないと私は思います。

 命は不平等です。人間だから、不平等になるんです。だからこそ大切だと思った人を大事にしてください。愛を伝えてください。そして、誰かを愛する自分のことも大切にしてください。そしたらきっと、命の重さも実感出来てくると思うの。

 戦で大切な人を失った人、この中に沢山いると思います。私もそうです。魔神様と魔神女様、私の両親もこの件で亡くなりました。でも、誰かを恨んだり、復讐したりしません。だって、私は自分の命の重さを知っているから。魔神女だからではなく、一人の女として色んな人を愛し、愛されてきたから感じられるの。

 この重さを、かけがえのない温もりを。誰かを悲しませたら、きっと私の命は軽くなってしまう。だから、皆も復讐だとか悲しいことは考えないで。自分の命を軽い物にしないで。ただ、地に足をつけて今を生きようとして。独りよがりな考えかもしれないけど、戦乱の中で生き残った一人の女としてお願いします」


 フロースは再び深々と頭を下げた。この位置からだと俯いた目に今にも零れ落ちそうなほど涙がこみあげてきているのがわかった。

 涙は見えなくても、フロースの熱意は会場の奥まで伝わっているだろう。静まり返った会場内を見渡しながら、僕は確信していた。


「新魔神女フロース様!」


 誰かが叫び、手を叩いた。別の場所から声が上がり、パチパチと拍手の波が広がった。悲しみの涙に喜びの涙が追加され、フロースは遂に壇上でポトポトと涙をこぼした。

 僕は胸が熱くなり、壇上に飛び乗ってその体を抱きしめたい衝動に駆られた。サノーがいなければ、或いは〈妖国フェリアーヌ〉の王子という立場がなければ、実際にそうしていたかもしれない。


「私達はどこまでも新魔神女様の味方です!」

「大切にします。この気持ちも、この命も!」

「復讐はしません。我々の心は、常に新魔神女様と共にあります!」


 歓声と興奮は暫く収まらなかった。それどころか時間が経てば経つほど増幅しているようだった。

 会場を警護していた兵達がいい加減静かにするよう国民達を叱りつける。このままでよいとフロースは彼らを止めた。

 喜びは押さえつけるものではない。祝いの場なのだから、好きなだけ喜びを分かち合うべきだと。


「前から思ってたけど、フロースって凄いな」

「そりゃあ、新魔神女様じゃからのう。お前さんもああいう国王様を目指すんじゃぞ」

「はい」


 結局、会場が大人しくなるまでそこから三十分もかかった。その間、フロースは天女のような眼差しで彼らを見守っていた。

 幸せそうだ。こんなに忠実な国民に囲まれれば当たり前か。見ている僕まで嬉しくなった。


  ◇


 宵刻十二時、僕達は国境であるラインザの森に来ていた。星の神殿の近く、僕がフロース達と初めて会った場所だ。

 身分や国を気にせず、二人で落ち着いて話すにはこの場所しかないと思った。フロースはあの後公務に追われ、なかなか魔神城を抜け出せなかったらしい。

 本当はまだ仕事が残っていたのだが、あまりの量に嫌気がさしてしまい、町娘に変身して魔神城を抜け出してきたらしい。やれやれ、いくら演説が立派でも、先が思いやられるな。


「魔神女に即位してからの初仕事、お疲れ様。上手くいってよかったな」

「当然よ。私を誰だと思ってるの?」

「こうなるとはわかってたけどさ。話聞いてて僕も胸を打たれた。命の重さが不平等ってなんか納得した」

「納得してくれなきゃ困るわよ。これから二人で新しい国を作っていくんだから」


 フロースは手鏡を手の中で転がしていた。僕に背を向けて、〈魔国デモンドカイト〉のある方角に顔を向けていた。

 その背中を抱きしめたくなって、僕は後ろからそっと近づいた。

 足音に気づいて、来ないでとフロースが僕を止めた。こんな風に拒絶されると思っていなくて、僕は少しショックを受けた。


「ゼノ、あっち向いて立ってて」

「なんで?」

「なんでも」


 どういうつもりなんだろう? 不思議に思いつつ僕は言うとおりにした。

 〈妖国フェリアーヌ〉のある方角を向いて立つ。トスンと何かが落ちる音がした。

 それから、草を踏みしめる軽やかな音。無邪気な声と一緒に温かい衝撃が背中にあった。華奢な腕が無理に背伸びして僕の肩から胸へ伸びてきた。


「手鏡、持ってないよな?」

「ウフフ。そう」

「もしかして、見えるようになったのか?」

「夕べから少しずつね。今は近くだったら普通に見えてる」


 そうだったのか。だから今日の即位式で違和感があったのか。


「でも、僕はイグニスになったわけでじゃないし、サノーは生まれて一週間を超えたら契約は結べないって」


 緑色の熱気を放ち、レグルスが現れた。前までフロースの前では姿を現さなかったのに。


「理由など明白だろう」

「レグルスにはわかるのか?」

「お前の魂の性質が変わったから自然と契約が結ばれたのだ。本質を考えればわかることだ」


 クスクスと誰かが笑った。声の方に振り返る。懐かしい銀髪が見えて、僕の中で喜びが沸き上がった。

 少し恥ずかしそうに肩をすくめながら、一万年の眠りから覚めた恋人も手を引かれて歩いてきていた。


「レグルスが本質とか目の前の事象とか言うの、すげえ笑えるんだけど。天秤がつり合ったからって素直に言えよ」

「アルス! 元気だったか?」

「なんだ、それ。別に数日かそこら会ってなかっただけだろ」

「ツバサとは上手くやってるのか? 二人きりでいるんだろう?」

「お陰様で絶好調だよ。そうだ。これ見てくれよ」


 アルスが合図すると、ツバサが手に持っていた物を見せてくれた。〈心臓カルディア〉で間違いなかった。

 しかし、前見た時と様子が違う。虹色ではなく、黄色味を帯びた白色で眩しく光り輝いていた。


「これってもしかして、〈太陽ソル〉の光?」

「ああ。これは謂わば、小型の〈太陽ソル〉だ。散々〈命源ポエンティア〉を集めていただろう。傾動天秤理論でそのエネルギー値を十倍まで増幅させることが出来たんで、こうして輝きを放つようになったってわけ。この石さえ量産出来れば〈太陽ソル〉の復活も夢じゃないってことだ。妖霊とか妖族と魔族の契約だとか考えなくても物が見えるっていう当たり前の時代がそのうちやってくるだろう。俺達がそうしてみせる」


 アルス、やはりツバサに会ってから顔つきが変わった。上手く表現出来ないけれど、とてもよくなった。

 なんとなく地上を漂っていた頃の、行き場のない天使とは違う。これも命の質量が変わった結果なのかもしれないとボンヤリ思った。


「もっと前からこうしてラピスで実験してればよかったって思うよ。頭の固さだけはご立派な教授陣に突きつけてやりたかったぜ。俺の理論が理解出来ない常人でも、論より証拠、こうして光り輝くラピスを見たら、ぐうの音も出なかったはずだ」

「まあまあ、こうして証明されたわけだし。〈太陽ソル〉、本当に復活させるのか?」

「ああ。人間の目が深海生物みたいに退化する前に完成させないと。ゼノ達にも本物の青い空を見上げる喜びは知ってほしいんだ」

「僕達が生きてる間に出来るのか?」

「さあ。問題は〈太陽ソル〉の量のラピスを確保しなきゃなんないってことだ。きっと爆発の衝撃でテラのあちこちに落ちてるんだろうけど、全部集めるとなるとちょっと厳しい物がある気がするよ」


 と口では言いつつアルスはどこか自信ありげだった。ツバサはなんとなく言葉の意味を理解しているのだろう。くすぐったそうにクスクス笑っていた。

 その肩で今まで見たこともない色をしたウサギが丸くなり、幸せそうに微睡んでいた。数日の間にこんなにも変化があったことに驚く。


「また遊びに来いよ。特にゼノはワコクの街並みが恋しくなるだろ?」

「アルス、今やこの二人は両国の最高権力者だ。そう簡単に遊びに来ることは出来まい」

「え? そうなのか、レグルス。そりゃあおめでとう。大出世だな。ま、でも気が向いたら足を運んでくれよ。歓迎するぜ」


 アルスは来た時と同じようにあっさりと帰っていった。

 また遊びに来い、その言葉が嬉しくてたまらなかった。


 アルスの姿を目だけで見送った後、レグルスは炎になって姿を消した。僕はフロースの手を取った。光を取り戻した目は迷うことなく僕の目を捕らえ、握った手に視線を落とした。


「イグニスのこと、弔ってあげないと。僕が王子になると決めた以上、このことは墓場まで持っていかなきゃならない秘密になってしまった。あれだけ国民に慕われながら、誰にも見送ってもらえないのは悲しすぎる」

「そうね。ここに慰霊碑を建てましょう。そして二人で祈るの。イグニスが生きてきた道だとか、イグニスの大切さだとか、二人で語り合うの。きっとイグニスは恨んでいないわ。だって、代わりになる相手がゼノなんですもの」

「そうだといいけど」


 空を仰ぐ。相変わらず茶色をした空はくすんでいて、枯葉のような鳥が旋回していた。


 これが僕の生きていく世界。


 いつか様変わりするかもしれない。でもきっと、どんな世界になったとしても楽しめるんじゃないかと思う。自分をしっかりと感じていられれば。


               〈終わり〉

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風ウサギの天秤 星川蓮 @LenShimotsuki

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