第36話 アルスの過去(後編)

 僕はペンナに振り返った。ん? と首を傾げ、アメジストの瞳を僕に向けた。


「今度は私達のことが知りたい?」

「まあ……」

「いいよ。順を追って話してあげる」


 ペンナは軽やかな足取りでアルスの対面にしゃがみ、羽を取り上げた。クルクルと回し、風車で遊ぶ子供の用にその動きをまじまじと見た。


「最初に言っておくと、私とイリスとステラは元々一羽だったの。どうして分裂したのかは後で話すから、先に私がツバサとの関係を持つようになった経緯を話すね。私は元々、ユウヤが〈太陽ソル〉から削り落とした〈心臓カルディア〉の〈命源ポエンティア〉だった。最初は意識も何もなかったんだけど、〈命源ポエンティア〉注入措置でツバサの体に無理矢理押し込まれた時に妖霊になったの。ツバサを鋳型にして自分の姿を作ったから、私とツバサは姿はよく似ているけど、見てのとおり性格は全然違うし、全く別の存在よ。ちなみに、ウサギの姿はツバサの好きだったぬいぐるみを鋳型にして得たものよ。どんなに仲良しでも、同じ顔だとお互いに変な感じがするし、ウサギの方がペットみたいだってツバサが喜んでくれたからね」


 ペンナは羽を真ん中の死の点に置いた。


「それからの五十年はとても幸せだった。不老化手術の後遺症で子供が作れない体になっても、ユウヤさえいえればツバサは満足してたし。けれどね、さっきアルスも言ったように、ユウヤは老いて死が迫って状況が変わった。寝たきりになったユウヤの世話をしながら、ツバサは一度私に訊いたの。

 ユウヤが死んでも私は永遠に生きていかなきゃいけないのかって。死んではいけないのかって。ツバサにとってみれば、ユウヤのいない世界は生きる意味がないんだって。とても怖い言葉だった。宿主だったからっていうのもあるけど、私は何より友達としてツバサのことが大好きだったから。ユウヤが死んだら後を追って死のうとしてるんだって気づいてね、私は決めたの。ユウヤをツバサと同じ不老不死にしようって。それで、ユウヤを妖獣として生まれ変わらせた。鋳型はアーラの秘宝の一つでもあった、あの天使の絵。

 上手くいった。おじいさんから銀色の天使に生まれ変わったユウヤを見て、ツバサはとても嬉しそうだった。これで永遠に一緒にいられる。出会った頃、甘酸っぱい記憶を蘇らせるあの頃の二人のまま。でもね、ある時から歯車が狂い始めた。ツバサが自分を傷つけるようになったの。自分に刃を向けることが多くて、本当に近いうちに死ぬんじゃないかって思った。

 感情に手を加えて、ツバサは何も悪くない、傷つける必要なんてないんだっていう風に思考を持っていかせるようにしたり、記憶を修正したり、私は色々やった。努力の甲斐あって、ツバサは自分を傷つけなくなった。その代わり、今度はユウヤを傷つけるようになった。結局ね、私には矛先を変えられても、攻撃的な気持ちはどうにも出来なかったの。そしてツバサはユウヤの首を絞めてしまった。もう、ユウヤをユウヤとして生かすことは出来ない。だから全ての記憶を封印して、私はユウヤにアルスとして生きる道を与えたの」


 羽でアルス誕生を指す。その左側にペンナは新しく点を打ち、眠りと書いた。


「ツバサはユウヤを殺してしまったショックで暫く引きこもっていたんだけど、数日すると導かれるように〈赤霊峰マウント・ルーベル〉に登った。死のうとしたみたい。私はそんなの嫌だったから後を追いかけて必死で止めた。そしたらね、ツバサは三つの疑問を口にした。どうしても生きて欲しいと言うなら、その疑問に対する納得のいく答えを言えって言ったの。

 私は答えられなかった。ツバサは私の制止を振り切って断崖絶壁から身を投げようとした。私はその瞬間ツバサとの契約を切って浮上して、ツバサの肉体から〈命源ポエンティア〉を抜き取った。肉体が腐らないように、ほんの少しだけ残してね。そして心に誓ったの。私で答えを見つけられないなら、ツバサの疑問を解決出来る人を捜そう。それまではツバサには眠ってもらおうって」


 だから〈赤霊峰マウント・ルーベル〉でツバサは眠ることになったのか。合点がいったけど、壮絶な話だな。


 ツバサが最後に口にした三つの疑問が、風、虹、星の神殿で出された例の質問ということらしい。

 ただ質問を投げかけたところで答えてくれる人はいないと思って、ツバサの妖霊は神霊の力と秘宝という餌をぶら下げて、ツバサの疑問を解決してくれる賢人の出現を待ったらしい。


「普通逆じゃないか? 試練を乗り越えた先の褒美として力を使わせるっていう風にするだろう?」

「わかってないね。使ってしまったから後戻り出来ないっていう方がずっと真剣に考えるじゃない。私が三羽に分裂したのはこの頃。もしかしたらツバサの記憶や精神にヒントがあるんじゃないかって思って眠ってるツバサから記憶と精神を引き出したんだけど、生命、記憶、精神が一つの場所に集まったら、ツバサの悲劇を私自身が引き起こしそうにまってしまったから、分けて持たなきゃいけなくてね。それで私はウェントス、イリス、ステラの三羽に分裂して、それぞれツバサの記憶、生命、精神を分けて持つことにしたの」

「そうして一万年もの間、答えを探し続けていたのか」

「そうなの。でも結局、納得のいくような答えは見つかっていない。色々頑張ったんだけどね」


 ペンナはお手上げだと言うように苦笑した。


「秘宝とか秘術とか、ちょっと大袈裟に言葉を捻ってみたら驚くほど飛びついてもらえて助かった。意外といるのよね。死んだ人を蘇らせたい人、人の感情を自分のものにしたい人、悪い記憶を消したい人。けどね、皆答えを見つけられずに死の時を迎えてしまった。秘術を求めた呪いだからなんて言えば聞こえはいいけど、元々は私達のわがままみたいなものだし、死なせてしまった人達には悪いって思ってる」

「そりゃあ、そうか。質問の答えを知りたかっただけだったんだもんな」

「うん。ステラもね、こんなに沢山人を死なせることになるなんて思わなかった、私達がしていることは正しいのかって言って泣いてた。そりゃあそうよ、だってステラの精神はあのいい子のツバサと同じだから、良心が痛まないはずはない。だから私は今まで呪い殺してきた人達の記憶をステラから抜き取って、星の神殿の〈色封石ラピス・カラー〉の街に住まわせた。時々様子を見に行ったけれど、ステラは神殿から出てこなかったからきっと心穏やかに過ごしていたんだと思う」

「ペンナはよくおかしくならなかったな」

「私はステラのお陰で苦しむ気持ちを無くしてたし、アルスがいたからね。アルスは私が名前を与えた後、ずっと行方知れずだったんだけど、ある日私の前に現れて神霊様の近くで仕えさせて欲しいって願い出てきたの。人の姿をした自分が宿った人間は体の変形が殆どなくて、魔族の一味だと思われて嫌な思いをする、だから誰にも宿りたくない、神霊が誰にも宿らないのも人の姿をしているからなんだろうって言ってね。宿らない理由についてはとんだ誤解をされたわけだけど、一人が寂しかったからそういうことにしておいて、私達は二羽でずっと世界が進んでいくのを見守った」


 ちなみに、魔族が驚異的なスピードで魔力を自力で作れるようになれたのは、ペンナがある男にツバサの遺伝子工学の知識を与えたかららしい。

 その彼はアーラの呪いの餌食になって一年後に死んでしまい、電気虫の遺伝子を注入する方法はきちんと伝えられずに闇の中に葬られてしまったという。


「まさかこんなにも早く遺伝子異常が起こるなんて思ってもみなかった。ツバサもユウヤと肩を並べられるほど優秀だったけど、さすがに人ゲノムと組み合わせた時に突然変異を引き起こしやすい塩基配列なってたってことまでは見極め切れなかったようね」

「その辺りのことはよくわかんないけど……。急に魔族が魔力を自己生産出来るようになったのはペンナがかかわってたのか」

「そう。そんな調子で長い月日が流れたある時、ある男が虹の神殿を訪れた。それこそが魔神カエルム。カエルムはアーラの秘術を使って貴方を生み出した。人の手によって作られた存在、心臓を抜き取られ、死ぬためだけに生まれてきた使い捨ての命。ステラはその話を聞いてそれはそれは酷く怒ったの。手のつけようがないほど怒ってしょうがなかったから、ステラの強いお願いもあって、カエルムの処遇はイリスの代わりにステラが決めることになったの」


 僕が生きていられるのも、ステラがイリスに生かしてほしいとお願いしてくれたからだったらしい。僕を可哀想に思ってくれたのもあるが、どうやったらカエルムに過ちを認めさせ、罰を与えられるのか考えてのことだったのだろうとペンナは言った。

 そして僕は神殿の外に出た時に、魔神カエルムに目撃された。ステラの目論見通り、カエルムは贖罪のために神殿まで来て、ステラに抑えの利かない殺意を植えつけられた。


「なるほど。それから虹の神殿に納められていた〈心臓カルディア〉を手に入れて、大量殺戮を始めたってわけだな」

「そんなところ。以上が私達の話。わかったかな?」

「大体はわかったけど……やっぱり引っかかるな。ステラがカエルムに怒ったのはわかったよ。でもそれでなんで大量虐殺させようなんて考えたんだ?」

「本当のところは聞けてないんだけど、ステラは命の価値ってどうやって計ったらいいのか知りたいんだと思う。記憶はなくても、ステラが持っているのはやっぱりツバサの精神ってことね。ユウヤはツバサを助けるために〈太陽ソル〉を壊してしまった。〈太陽ソル〉の欠片である〈心臓カルディア〉が輝く命の量がわかれば、ステラはツバサの命に釣り合う重さがわかるって考えたんじゃないかしら。だから魔神であるカエルムの命を奪った」

「魔神は一人で何万人分の価値があるって言ってたもんな。あれ? ってことはフロースも?」

「暫くは殺される心配はないわ。私達は神霊だから、〈心臓カルディア〉に触り続けていることは出来ない。だから誰かの体を借りる必要があるの。そしていくら神霊でも誰でも体を借りられるわけじゃない。合わない体だったら、記憶と引き換えに貴方が妖霊を失っていったように弾かれてしまう。フロースは貴方を本当のイグニスに出来なかったショックで心に隙間があったからステラに取り込まれてしまったの」


 確かにあの時のフロースはショックを隠せない様子だった。

 神霊に取り込まれてしまっても無理はなかったのかもしれない。


「そうよ。さて、昔話はこれくらいにして、ここからが本題よ。貴方が七羽の妖霊を自力で追い出せなかったように、フロースもステラを追い出すことが出来ないでいる。だから、フロースを救うためにはステラに殺戮をやめるよう説得しないといけない」

「で、説得するためにはあの疑問三つの答えを見つける必要がある。結局そこに辿り着くのか」

「違うだろ」


 それまで口を閉ざしていたアルスが急に遮った。眉間にシワを寄せ、今まで見たこともないような険しい顔をしていた。

 あまりにもアルスらしくない表情に、僕の胸はざわついた。

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