第16話 名医の偉業(中編)

 一万年前、マグナ・クレピタスが起きてこのテラから〈太陽ソル〉が失われた。光が失われた世界でも、人間は二千年もの間、石油や他の資源に頼ってそれまでの生活を続けていた。

 しかし、どんなに節約しても資源には限りがある。加えて、人間を取り囲む自然自体に大きな変化が起きてしまった。

 地上に降り注いだ〈太陽ソル〉のエネルギーが浸透したせいで、木が燃えなくなったという。火は電気の源であり、明かりそのもの。人々はパニックに陥った。


「しかし、世界とは上手く出来ておるようで、その頃には人間の体質も変わり始めていたんじゃよ」


 一部の人間が妖気生命体を自らの体に宿し、地上に降り注いだ〈太陽ソル〉のエネルギーを光として知覚する能力を手に入れた。自分の体に他の存在を受け入れやすい人種、霊媒師や占い師といった人間だった。科学が正とされていた時代に排除されていた人種が一気に英雄のようになった。

 彼らは自らを妖族と名乗った。〈太陽ソル〉がなくなってから三千年後の話だった。


「暫くは彼らによる圧政があったんじゃが……。まあ、その辺りはよかろう。電気や火が失われた世界では科学は役に立たない。次第に妖術に頼った生活をしたいと人々の思考が変わっていき、妖霊を得ることに対して寛容的になった。千年が経った頃には殆どの人間が妖霊を宿せるようになっていた」


 ところが、妖術には致命的な問題があった。

 体の変形だ。

 一部の人間はどうしても角や尻尾が生えるのを嫌がり、妖族を妖霊代わりにして力を取り出すという方法が開発された。


「それが魔族なんだな?」

「そう。当時は非常に批判を浴びておったらしい。悪魔か魔物か、魔族の魔はそういう意味じゃ」


 それでも、誰かの命を奪っているわけでもないので魔族は異端者として少しばかり肩身の狭い思いをするだけだった。そればかりか、魔力は妖力と違って七種全ての魔法が使用可能だったため、魔族に転身したがる妖族が数を増していった。

 結果、百年後には魔族は総人口の三割を占めるようになった。


「魔族はそれ以上増えることはなかった。魔族は同じ日に誕生する妖族がいなければ生誕しないからのう。力を供給出来る妖族が近くにいなければ、生まれてくる我が子を魔族にするのは諦めるしかなかったんじゃ。時代の流れが変わったのはそれから三百年が経った頃じゃ」


 魔族によって妖族が虐殺されるようになった。目的は輪廻の法則によって希望の日に生まれてくる妖族の確保だった。

 当然、殺害対象になった妖族は黙っていない。

 怒った妖族は国を閉ざして魔族との接触を一切断った。魔族は魔力を失うかに思われた。

 しかし独自の文明を発展させていた魔族は、驚異的なスピードで研究を進める。そして魔族に遺伝子操作を行うことで、妖族を頼らずとも魔力を自己生産出来るようにした。新たな技術は一気に広まり、たった十年で全ての魔族が魔力を自分で作り出せるようになった。


「そんなに早く?」

「ああ。わしも早すぎると思って色々調べたんじゃが、この頃を語る資料はどこにもないんじゃ。注入された遺伝子が電気虫じゃったとわかったのも遺伝子ゲノムを読み解いた結果。方法を記した記録はどこにもない。そして、文献がなかったからこそカエルム卿は妖族との交流を復活させたがったんじゃ」

「なんで?」

「実は、二十年ほど前から遺伝子異常を持った魔族の子供が生まれるようになったんじゃ。決まって異常があるのは電気虫の遺伝子が注入された部分の塩基配列」

「ゲノムとか遺伝子とかよくわかんないけど、とりあえずその遺伝子異常が起きると自分で魔力が作れなくなるってことか?」

「うむ、そうじゃ」

「そりゃあ困るよな……。けど、それで妖族と魔族が交流を深めるようになったんだとすると、妖族にとってあまりにも得がないというか、負担の大きい話じゃないか?」

「カエルム卿もそこは重々承知で、妖力を分けてもらう代わりに〈魔鏡石スペキュラム〉を納めておった。わしらの鏡に使用する石じゃよ。元々は銅だったんじゃが、妖気を吸収して魔法に対して非常に高い感受性を示すようになった。自然との共生を信条とする妖族の生活において、様々な面で役に立ったんじゃよ」


 〈魔鏡石スペキュラム〉、へえ。


「苦労は多かったが、わしは〈フォンス〉を満たす治療を出来たことを誇りに思うておる。お前さんとも仲良くなることが出来たしのう」


 サノーは大きな欠伸をし、曲がった背中を伸ばした。


「年かのう。どうも宵刻になると早々に眠くなってしまう。わしはそろそろ寝る。イグニスは?」

「まだ眠くならない。もう少し散歩して余った体力を消費するよ」

「そうか。じゃあ先に寝かせてもらうとしよう。おやすみ」

「なあ、サノー」

「なんじゃ?」

「いや、やっぱりなんでもない。おやすみ」


 じじくさい溜め息をつきながらサノーはフロースのいる小屋に戻った。

 イバラの中にいたあの男のことを聞こうと思ったんだが、なんとなく訊いてはいけない気がしてやめておいた。妖霊が抜けでもしたら困るからな。


 サノーがいなくなったんで、隠れていた妖霊達が次々と姿を現した。

 あいつがいると好きに動けやしないと鳥のディーバがけたたましく文句を言った。

 別に、ただの習慣で姿を見せないだけなんだろうから、そんなに窮屈なら出てくればいいのにと思う。


「あそこまで調べてたなんて。サノーって本当に凄いな。七十年しか生きてないのが信じられないよ」


 ディーバとアグリコラが騒ぎ立てる中、アルスはサノーの話に関心した様子で小屋をじっと見ていた。


「アルスはあの話知っていたのか?」

「知っているも何も、俺は一万年前からこの世界を漂っているんだ。不死身だから」

「そんなに?」

「そりゃあ〈太陽ソル〉から生まれたんだから、本来〈太陽ソル〉が存在していただろう時間までは生きられる。あと何億年かな」


 そんなに長生きだなんて、普通に友達みたいに接しているのが不思議に思えてきた。


 俺は透明な板の電源を入れた。黒髪の少女が弾けるような笑顔でこちらに向かって話しかけている。


「アルス、この子、イリスにそっくりだと思わないか?」

「イリスじゃなくて、どう見ても〈赤霊峰マウント・ルーベル〉で眠っていた少女本人だろ。最近は誤解されてるけど、アーラっていうのは本来神霊三羽のことを指すんだ。〈赤霊峰マウント・ルーベル〉の少女はツバサって名前。アーラをワコク語にするとツバサになる。姿形が同じだから敢えて同じ名前をつけたんだろうな」


 〈赤霊峰マウント・ルーベル〉の少女が聖女アーラっていう誤った認識は一万年という長い年月によって自然に生まれてしまったらしい。

 変なところに細かいアルスは、そういう認識のズレに対して厳しかった。


「っていうかアルスもワコク語がわかるのか?」

「レグルスにノートの著者の名前を教えたのは俺だぜ。人型だからか、俺は魔族みたいに生まれつき文字が読めるんだ」


 画面の中でツバサがユウヤへのエールを送っている。

 アルスは面白くなさそうに前髪を指先で捻じった。何を拗ねてるんだよ。


「ユウヤってノートを書いた奴と同じ名前だよな?」

「その子の言ってるユウヤがイタクラユウヤなんじゃないかって言いたいんだろう? 俺もそう思うぜ。ベイコクに行くほど優秀な科学者だったんだろう? そりゃあモテるだろうよ」


 ん、とアルスが顔を上げる。半ば奪うように俺の手から透明な板を取り上げ、食い入るようにツバサの話す姿を見つめた。


「どうかした?」

「おかしいと思わないか?」

「何が?」

「誰かを紹介しているのに相手が見えない」


 勝手に俺のブレスレットを操作し、早戻しと再生を繰り返す。

 五回見返した後でアルスは探偵みたいに顎に手をやった。


「妖霊がいるのかもしれないな。確かに〈太陽ソル〉の光の下では俺達の姿は映らなくて、霊感を持ってないと見えなかったって言うけど、こうして見ると奇妙だな」

「〈太陽ソル〉がなくなる前から妖獣がいたってことか?」

「別に珍しいことじゃないぜ。妖獣自体は〈太陽ソル〉が爆発する前から〈太陽ソル〉の光に混ざって時々テラにも来てたし、目撃例もまあまああったって話だって聞いてる。〈太陽ソル〉自体が落ちてきたわけじゃないんで妖力もあんまりなくて、人に宿っても魔法が使えるようになる例はごく稀だったんだけど、妖獣くらいは見える人も結構いたらしい。霊感だとか霊力だとか、当時はそんな言葉で表現されて、超常現象の一つとされていたって聞いたことがある」


 妖獣が超常現象の一つってなんだか笑えてくるな。一万年前の文化なんてそんなものか。

 映像が終わったのでアルスが板切れを返してきた。話が終わったと解釈し、ディーバとアグリコラの二羽が俺達の間に割って入ってきた。


「それより、さっきの小瓶は? さっさと飲んじゃいなさいよ。どうせ飲むつもりなんでしょ?」

「でも、それで妖霊の誰かが抜けてしまったら……」

「抜けたいから飲んでって言ってるのがわからないの? もうこんな変な体質の人間を宿主にしていたくないの。飲んで。早く飲みなさい!」


 全くもう、なんなんだよ。声もキンキンしてて煩い鳥だな。

 俺の体から緑色の煙がなびき、緑色の火をまとった獅子が現れた。


「それを飲んだところで誰かが抜けることはない」

「どうしてわかるんだ?」

「我輩は十七年もの間、イグニスとともに生きてきた。小瓶の中身を見なくても、どんな記憶が抜かれ、どんな思い出の回路が焼き切られたのかわかる。そして、誰がどの記憶を嫌ってこの呪縛から放たれるのかも把握済みだ。その上で抜けるわけがないと言っている」


 それなら小瓶を飲んではいけない理由はないが……。この妙な胸騒ぎはなんだろう?


「よした方がいいんじゃないか?」


 アルスが腕組みして言った。銀色の目が警告するようにきつくなっていた。


「パンドラの箱っていうのがどういうものなのか知ってるだろ?」

「無数の災厄と唯一の希望を詰め込んだ箱、だよな?」

「だったらその中身は災厄の可能性が高いってことだ。きっと飲めば後悔する」

「アルスはこの記憶が何なのか知ってるのか?」

「さあ。でも、あんな場所から出てきたんだ。俺なら飲まずに捨てる」


 アルスが言うなら、飲まない方がいい気がしてきた。

 この胸騒ぎだってきっと心が覚えていて、俺に警告してくれているんだろうし。

 レグルスは猫背に座り、頭を低くしていた。なんだからしくないな。結局飲んでほしいのかほしくないのか、どっちなんだよ?


「やめておきなさいよ。ね?」


 マナティのマルガリータまで姿を現し、優しく諭してきた。やはりここは直感に従っておこう。

 俺は小瓶をポケットにしまった。煩い二羽がけたたましく騒ぎ立て、俺の髪やすね毛をむしり始めたので、俺はギャアギャア叫びながら逃げ惑うことになった。

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