第15話 名医の偉業(前編)

 ペンナが降り立ったのは静かな小高い丘だった。

 〈魔国デモンドカイト〉と〈妖国フェリアーヌ〉の境に位置するラインザという場所らしい。

 丘にはちょうど身を隠せるようなボロ家があった。明刻になるまで俺達はそこで休むことにした。


 フロースがあの時なんで記憶の小瓶を飲んでいたのか、理由を聞こうとしたらサノーに止められた。今は誰とも話したくないらしい。

 でも俺は俺で諦めがつかないから何度もドアを叩いてみた。何分もしつこく粘ったのに、フロースは遂に出てこなかった。


「もうよいじゃろう。一人になりたがっている時は一人にしてやるもんじゃ」

「逃げる前、フロースが俺の記憶を勝手に飲んでいたんだ」

「お前さんの記憶を?」

「ああ。記憶の波のショックで俺が部屋から運び出す時は気絶してた。他にもほら……って、あれ?」


 ポケットに手を突っ込んでみたが三本あったはずの小瓶は一本しか残っていなかった。ヘリコプターから放り出された時に落としたのか。

 それでも、サノーを説得するには充分だった。


「ふむ……。複雑な文字が躍動しておる。確かに普通の水ではないようじゃのう」

「今だってきっと俺の過去を知ってしまったから誰とも会いたがらないんだろう。サノー、何か心当たりはないか? 俺は何かとんでもないことをしでかしたのか?」

「はて、わしの知る限りではそんなにショックを受けることはなかったと思うが。イグニスとフロースは一年間も姿を消しておったからのう。その間に何かあったとすればお前さんとフロースしか知らんじゃろうな」


 サノーに訊いても駄目か。やはり、この瓶を自分で飲んでみるしかないんだろうな。


 場所を小屋の外に移して俺とサノーは話を続けた。

 空は相変わらず茶色くくすんでいて、シトシトと雨が降っていた。

 なんだか気が滅入ってくる景色だな。空気全体が光っているから、雨が降ろうが晴れようが明るさは変わらない。

 当たり前なことのはずなのに、どうしてか違和感を覚える。昔から気に入らない色味だと思っていたような気がする。


「ところでお前さんや、わしの執念のお陰でこれは死守されたぞい。持っていくがいい」


 サノーが渡してきたのはブレスレットと一緒に使う透明板だった。


「ありがとう。あんな中でよく回収出来たな」

「これっぽっちしか回収出来なかったと言った方が正しい。わしの可愛い傑作があんな無残な姿に……。トホホ」


 腕いっぱいに抱えたヘリコプターの残骸に頬ずりし、涙声を絞り出す。あの惨事でこれだけ回収出来たっていうのがむしろ驚きだぞ。どうやったんだよ。


「あのイバラはなんだったんだ? 妖族の襲撃って言ってたけど」

「正確には〈妖国フェリアーヌ〉からの襲撃じゃ。二年前から〈魔国デモンドカイト〉の各地で起きておる」

「なんで妖族が魔族を襲ってるんだ?」

「国の関係が悪化したんじゃ。わかりやすく言うなら戦争じゃよ」

「戦争……。カルディアの嵐って言ったよな? 魔族から大量に〈命源ポエンティア〉を吸い上げて、妖族は何をしようって言うんだ?」

「そこなんじゃが、わしにもよくわからん。ただはっきりしているのは、〈心臓カルディア〉を掲げていた人物は魔族ということだけじゃ」

「は? 魔族が妖族と手を組んで魔族を襲わせてるってことか? なんで?」

「それがわかったら苦労はせん。少なくともあの魔族は、わしらの味方であるはずなんじゃが……」

「なんで味方だなんて言えるんだ? どう見ても裏切り者じゃないか」

「わしもわからんのじゃ。全くもって何故ああなってしまったのか……。やはり七年前のつけが回ってきたのかのう」

「七年前って、何があったんだ?」

「まだ思い出していないのなら話せん」

「……もしかして、俺の心臓の手術と関係があるのか? あれも確か七年前だろ?」

「なんじゃ、思い出していたのか。確証はない。わしもフロースもあのお方に何があったのかさっぱりじゃからのう」


 どうにも歯切れが悪いな。記憶のことを気にしてはっきり言えないのか。クソ、気になる。

 かといって無理に聞き出して妖霊が抜けても困るか。ここは我慢するしかない。


「そういえばその手術って、サノーがしてくれたんだろ? サノーが俺の命の恩人だなんて知らなかった。そんな名医だったのに、今までけなすようなこと言って悪かったな」

「お前さんの口からそんな言葉が出てくるとは! 嬉しいのう。長生きはしてみるもんじゃのう」


 サノーは笑っていた。笑っているのに目が死んでいて、俺はドキリとした。


「もしかして、手術で何かあったのか?」

「何を言っておるんじゃ。あれはまさにわしの集大成と言えるべき手術じゃった。心臓を摘出する、その間は体の全ての機能を停止させるわけじゃが、自分で呼吸も出来ないほどに深く眠ったお前さんがきちんと息を吹き返してくれるかどうか怖くて怖くて仕方がなかった。わしだってお前さんを本物の息子のように可愛がっておったんじゃぞ。わしがミスをしたらお前さんは死んでしまう、その思いが強くて手術中も泣きそうじゃったわい」

「そりゃあ、プレッシャーも大きいよな。でもお陰でこんなに元気になったんだし、ありがとうな」

「なんじゃあ、急に。わしを励まそうって魂胆か? わしはもう、ヘリコプターへの未練は捨て去ったんじゃ!」


 その発言こそが未練タラタラじゃないかよ。俺、一言もヘリコプターなんて言ってないのに。


「心臓を取り換えたんだよな? ってことは、今ここにあるのは誰の心臓なんだ?」

「……知らん」

「知らない?」

「名前は知らん。知ってしまったら情が移ってしまうじゃろう。わしが心臓を摘出した時点でその子は死んでしまうんじゃ。……わしが殺しているみたいじゃないか」

「そういうのって脳死の子供を使うんじゃないのか? 手術した人が殺したなんて言う人はいないと思うけど」


 サノーは力なく首を振る。

 脳死だとしても殺すことには変わりないのか。俺、ちょっと無神経だったかもしれない。


「フロースがサノーのことを先生って呼ぶのも医者だからか?」

「そうじゃ。わしは片田舎の町医者じゃったが、カエルム卿に腕を認められて、それからはフロースの主治医となった」

「なんでそこでフロースが出てくるんだ?」

「ん? それはフロースがカエルム卿の一人娘じゃからに決まっておろう」

「フロースが王女様だって!」

「言ってはいけなかったかのう……。フロースはただの魔族ではない。魔神族、わしらよりも強力な力を持った一族の娘じゃ」


 俺、実はとんでもない状況に立たされていないか? なんでそんな身分の高い人と恋人になってるんだ?


「主治医をしてたってことは、フロースはどこか悪いのか?」

「命には影響がないが、持病があるんじゃ」

「持病って?」

「うむむ……」

「隠すなよ。調査中に発作でも起きたら困るだろう」

「命には別条がないと言ったじゃろう。まあ、既に困った事態になっておるから言うても問題ないじゃろうな」


 サノーは腕いっぱいの残骸を脇に置いた。


「フロースは生れ落ちた時、〈フォンス〉が枯れておったんじゃ。言うまでもなく盲人じゃったし、魔法も全く使えなかった。我々魔族は遺伝子操作によって自ら魔力を生み出す力を得ておる。フロースは遺伝子の突然変異による障害を患ったわけじゃな」

「でも、俺の記憶を抜き出す前までは目が見えたんだろう?」

「わしが治療したんじゃ。正確には、お前さんの妖力をフロースに分け与えさせた」

「俺の?」

「まあ、ひとまず聞いておれ。お前さんも知ってのとおり、わしは外科医の傍ら、趣味で考古学の勉強をしておった。太古に行われていたという力の継承の資料も持っておったから、フロースのお屋敷にお呼びがかかったんじゃ。わしだって古人じゃない。太古の魔法に関しては素人もいいところじゃった。まあ、そこはよしとして、兎に角わしは手探りであれこれ試し、どうにかお前さんとフロースに魂の契約を結ばせた。〈フォンス〉はすっかり満たされ、フロースは視力と魔力を手に入れた」

「魂の契約って、俺と妖霊との関係のことを指すんじゃないのか?」

「つまり、お前さんがフロースの妖霊ということになるわな」

「悪い冗談だろう。俺は人間だぞ」

「魔族はその昔、そうして魔力を得ていたんじゃよ。わしも書物でしか知らんことじゃがな」

「へえ。で、なんで俺だったんだ? なんか理由でもあったのか?」

「それはお前さんとフロースの生まれた日が同じだからじゃ」


 嘘だろ! あのお嬢様よりは絶対に長生きだと思ってたのに。


「その後わしはずっとフロースの視力が低下していないか経過を観察してきた。お前さんとも仲良くしておったんじゃぞ。フロースが魔力を保つためにはお前さんとフロースが定期的に会う必要があった。会うだけでよい。小一時間一緒にいれば消費された魔力が補充されるからのう」


 なんだか、話を聞けば聞くほど俺とフロースの数奇な関係に驚かされる。

 俺達は単なる恋人じゃなかった。同じ長さの時間を生きていて、俺はフロースの魔力を補う存在で。生まれ落ちた瞬間から俺達はこうなる運命だと約束されていたんだな。


「少し昔話をしようかのう。〈太陽ソル〉が失われてから今に至るまでにザックリとした歴史じゃ。元々お前さんも知らなかった情報じゃから、聞いても妖霊が抜けてしまうこともなかろうて」


 サノーの話はとても長かった。長かったのに興味深い内容で、俺はじっと集中して聞くことが出来た。

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